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令和3年 地元各紙新年号への寄稿文 -21.01.01

地元の各紙新年号への寄稿文
『 コロナ禍は人類に価値観の根本的転換を示唆している(北信ローカル様)』、
『 何が「不要不急」なのか(長野経済新聞様)』、
『 緊急時対応の大切さを(長野建設新聞様)』 を以下に掲載いたします。


『コロナ禍は人類に価値観の根本的転換を示唆している』 北信ローカル様(元旦号)

 一時代の常識が次の世代では非常識に変わることがある。
 例えば、都市への人口集中は資本主義社会では必然であり、抗えないものと決めてかかってきた。文明の発達も余裕のある人たちが一箇所に集うことにより都市文明が生まれたからに他ならない。ところが、今や人類の半数以上が都市部に住み、なかんずく海岸部の大都市に人口の多くが集中している。経済的に見たら集中が効率的であり、社会基盤の整備にしてもバラバラに造るよりも一箇所にきちんとしたものを造ったほうがコストは少なくてすむし、恩恵を受ける人も多数にのぼるからである。
 しかし、大きな落とし穴があった。感染症の蔓延である。ビル・ゲイツは、5年前に人類の危機は核戦争よりも正体不明のウイルスによる感染症によりもたらされる可能性が高い、と指摘していた。そればかりでなく、ミリンダ(妻の名)・ビル財団はWHOにも多額の寄附をして、感染症の研究にも資金援助をしてきている。世の中の先を見通せる人はいるのである。
 感染者の思いがけない拡大に悩まされたのは、ニューヨーク、ロンドン、東京等の大都市ばかりである。便利さの追求の果てにできあがった見知らぬ他人と接触をするのが当たり前の近代都市は感染症には全く無防備であることが証明されたのである。
 そうなると、人には滅多に会うこともなく過ごせる地方や過疎地の方が、ずっと安全だったのである。だから、古代の人々はわざと離れて住んでいたのかもしれない。
我々人類は21世紀末にもこの地球に生き残るためには濃厚・濃密接触を避けるべく、地方に分散して生きていかなければならないかもしれない。




『何が「不要不急」なのか』 長野経済新聞様 新春特集号(長野経済新聞・建設タイムズ合併号)

 コロナ禍の中で頻繁に「不要不急」が使われた。あらゆるスポーツ、音楽会等芸術関係、そしてもっと影響が大きかったのは、飲食業・観光業である。必要か不要かは、人間が暮らしていくのに必要かどうかが分かれ目で、食料品店、薬局、医療関係者、交通機関従事者等はエッセンシャルワーカー(基幹的労働者)として位置付けられた。
 こうした中、目の敵にされたのがパチンコ店やである。小池都知事が初期の頃連日呟いた「バー、キャバレー、ナイトクラブ」の類である。特にパチンコ店の営業は厳しく制限された。しかし、台と睨めっこしているだけのパチンコがクラスターになった例は殆どなく、魔女狩りの対象にされただけであった。これも絶対に必要なものではないが、ウサ晴らしに必要不可欠な遊びになっている人には、なくてはならぬものだろう。

 第三次産業は、日本のGDP大半の72%を占めている。その中の各種サービスは、元来人の暮らしを豊かにするためのものであり、生きて行く上で必ずしも必要ではないものもある。その一方で、本当に必要なもの、例えば食料を生産する農業とか子供の面倒をみる保育や高齢者や病人の介護とかは軽視されている。気がついてみると日本の経済は、生きることから遠く離れたことで回っているのだ。

 では、サービス業は「不要」なのかといわれればそうではない。例えば、文化・芸術・スポーツ、そして旅行や外食等、人々の生活の潤いのために不可欠なものである。ただ「必要不急」なものとして今は我慢せざるを得ないだけである。
 今、この「必要不急」の仕事に携わる多くの人たちが苦境に立たされているが、私たちに出来ることは何だろうか。感染のリスクのあり、現場に行くのは控えざるを得ない。それならば、側面的な応援、例えば文化・芸術ならコンテンツや物販を買い、旅行・飲食は、県内旅行や宅配の利用等と微力ながらも何かしら出来るのではないだろうか。

 コロナ禍は、ぜいたくを極める現代人に、もっと謙虚に生きよと警告を発しているのかもしれない。しかし、人間にはある程度の遊びも必要である。我々は、今夜の一杯、美味しい郷土料理、お気に入りの歌手の歌、ご贔屓のお芝居、ナイターの興奮を守るため、協力する時ではなかろうか。




『緊急時対応の大切さを』 長野建設新聞様(新年号)

 2020年1月隣国台湾政府は正月休みを返上して中国の武漢の怪しい動きへの対応を協議していた。台湾は中国の反対でWHOからは阻害され、感染症の情報が入ってこない。そのため独自で情報収集するしかない。前代未聞の感染症により死者も出ていることをキャッチし、直ちに防疫措置をとり、中国本土との交流を禁止した。

 それに対して我が日本は、中国の低賃金目当てのサプライチェーンの寸断により部品が入ってこなくなることを恐れていた。安倍政権が待ち望む4月の習近平の来日も控えていた。
 もう一つ、東京オリンピックの開催という問題もあった。そのため。一切国境措置を講ずることなく放置した。そして、何も手を打たないという批判に対して、2月27日苦し紛れに発したのは突然の一斉休校だった。
 幸いにして、日本の医療制度は他国と比べてひけをとらず、今傾斜の奮闘により西欧諸国と比べると感染者数も死者も低く抑えられている。しかし、対応を誤ったことは紛れもない事実である。その結果、史上最長を誇った安倍政権は7年8カ月で終止符を打った。
 水害対策でもそうだが、緊急時の対応如何で全てが決まることを物語っている。
 私はこれを機会に、いざという時にどう動くか、常日頃から頭の訓練をしておかなければなるまい。2021年は、あたふたとせずにいれることを願ってやまない。