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2021年4月15日

4月16日街頭演説のお知らせ

4月16日(金) 羽田候補の街頭演説を下記にて行う予定です。

10:00頃 Aコープ松代周辺(街頭)
14:00頃 Aコープすこう周辺(街頭)
16:00頃 江部交差点(街頭)
17:15頃 飯山駅ツルヤ前(街頭)
19:00頃 原信中野店(街頭)

弁士:羽田次郎
   篠原孝は衆議院本会議があり、16:00江部交差点より参加
※予定は変更となる場合がございます。

2021年4月11日

次期総選挙の3つの前哨戦は完勝で政権交代に結びつける -羽田次郎は圧勝で菅政権に打撃を- 21.04.11

 昨年12月27日の羽田雄一郎参議院議員の急逝後、3ヶ月があれよあれよという間に過ぎ去った。まさに怒涛の数ヶ月であった。政治家とは非情な仕事である。雄一郎議員が亡くなったことは悲しいことではあるが、悲しんでばかりはいられない。県連代表としてすぐに補欠選挙に取り掛からなければならなかった。

<世襲はなるべく避けるべし>
 私はかねてからなるべく世襲は避けるべきであると思っていた。なぜならばいろいろな世代や、地域の代表で、様々な経験をした人たちが、替わりばんこに国会議員になり、国会で議論して政策を練っていくべきであると考えている。今でいえばダイバーシティーが大事なのだ。それを同じ一族がずっと国会の議席を独占すると、その周りの人たちの声だけが国会に通りやすくなり、好ましいことではない。だからといって全ての世襲を否定するわけではないが、なるべく避けるべきと思っている。

<雄一郎参議院議員の無念さを最もよく知る弟、羽田次郎>
 雄一郎議員は非業の死を遂げている。安倍・菅内閣によるコロナ対策の不備により、直ぐにPCR検査が受けられず、2日待って検査に行く直前に他界したのである。家族、支持者、我々同僚議員からすれば痛恨の極みである。したがって私は当初から後継はまず羽田家、そして千曲会(羽田後援会)の意向を優先すべきと考えていた。なぜなら、雄一郎議員の無念さは周りの人が最もよくわかっているからであり、今回の選挙はそこが出発点だからである。
 大方の予想通り、弟の羽田次郎が公認候補として挙がり、2月6日若林千曲会会長がわざわざ県連の事務所に羽田次郎を公認してほしいと依頼に参られた。我々は、持ち回りの常任幹事会で決め、直ちに党本部に公認申請した。2月17日には、連合長野が直ちに推薦してくれている。

<公認後はスムーズに進んだ出馬準備>
 ところが公認されたのは2週間以上経った2月24日で、北海道2区の松木謙公衆議院補選候補と同時であった。その後は2月26日に連合が推薦し、27日に前2回(2016、2019)と同様に野党と市民団体との間で政策協定を結び、28日に長野事務所の事務所開き、と順調に仕上がっていった。国民民主党の長野県の組織はないが、関係する6産別の皆さんが羽田次郎を応援しやすくするために3月3日には国民民主党の推薦もいただいた。

<2016年以来の実績を誇る政策協定にとやかく言われる筋合いなし>
 16年も3野党(民進、共産、社民)と市民団体とで政策協定を結び、杉尾秀哉を民進党で1番の大差での勝利に導いた。19年の羽田雄一郎の時も国民民主党と立憲民主党に別れていたので、4野党と市民団体とで同じように政策協定を結んだ。国民民主党は1%の支持率しかなかったにもかかわらず、14万5,000票の大差で最初に当確報道がなされる圧勝だった。32の1人区で国民民主党公認では唯一の当選者である。長野県はもともとリベラルへの共感が強いが、いち早く取り組んだ野党共闘の為せる業である。
 2021年も全く同じように着々と野党共闘を造り上げた。ところが、国民民主党だけでなく立憲民主党の一部、国民民主党を支持する6産別を中心とする連合の一部から野党共闘の政策協定に様々な不満が寄せられた。野党共闘の揚げ足を取らんとする一部マスコミの格好の餌となり報道された。
 私は政策協定を破棄しろとか修正しろといった要求に一切応じなかった。前にも2回してきたことであり、何よりも実績を上げている。政治は選挙に勝たなければ始まらないというのは北沢俊美元防衛相の教えである。また、政権交代という大目標のためには大同小異で団結していく以外にないという羽田孜元総理の教えに従ったまでのことだ。1か月のすったもんだの挙句4月7日、国民民主党の再推薦とやらで決着した。結局は3月上旬の当初と同じ体制つまり、立憲民主党公認、3野党推薦、連合、連合長野の推薦という真っ当な体制に戻っただけのことである。

<総選挙の前哨戦となる3つの選挙は必勝しないとならず>
 自民党は北海道2区は、吉川貴盛の収賄事件を恥じて不戦敗である。それならば、広島の買収も恥ずべきことで、立候補は見送ってしかるべきだが、保守王国の自信からか擁立した。しかし、羽田雄一郎の死に対してこそ最も責任を感ずべきではないかと思う。政策のミスでPCR検査を受けさせてもらえず、命を落としているのである。
 そこに、兄に大差で敗れた小松裕が立候補した。聴診器をつけた小松そのものと言えるシルエットの上に「いのちと暮らし、雇用を守る」と書かれた流し込みポスターが貼られ、法定ビラ第1号も配布された。真実は いのちも暮らしも守らず、雇用を失っており、ブラックジョークかと疑ってしまう。もし、これで負けるようでは、天国の兄に大目玉を喰ってしまう。我々は火の玉となって選挙戦を闘わなければならない。世上、2つは野党が当選し、落とすのは広島ぐらいだと報じられているが、少なくとも長野は兄と同等の勝利をものにし、広島も勝利して総選挙につなげなければならない。

<偉大な羽田家の誠実DNA>
 羽田孜・羽田雄一郎に続き3代見続けているが、DNAは偉大である。温厚な人柄、誠実な話し方等、本当に瓜二つそっくりである。一方、身近にいただけにその違いもよくわかってくる。顔も兄雄一郎よりもずっと父に似ているが、性格も似ていることに気がついた。兄はひたすらじっと黙っていて、ポツリと大事な時に発言するぐらいで、敵はいなかった。それに対して父はうるさい農林族の中で、発言されるべきときに発言し、その場をまとめていた。弟にはその片鱗が垣間見られた。
 新人ながら挨拶は起承転結が立派である。私の高校の同級生が、ハラハラドキドキしっぱなしの篠原の新人の頃と比べると雲泥の差だとほめた。私も本当は全く同感だったが、あまりに事実を端的に言われ癪に障ったので、父と兄を見てきているので「門前の小僧習わぬ経を読み」だけの話だ、と強がりを返していた。

<見事な質疑応答>
 しかし、質疑応答の見事さに舌を巻いた。右翼政治評論家のフォロワーになっているのはけしからんという質問に対し、彼はその評論家が世襲議員でもきちんとやったらそれで良いではないかということを言ったので、それに対して「いいね」を投稿しただけだと素直に答えていた。
 男女差別については、在学生の97%が白人のアメリカの大学にいて有色人種として差別された経験があるので、差別される側の気持ちがよくわかる、と自らの体験を交えて答えた。地元の有力支持者から、東京で仕事をしている妻を選挙のために連れて来いと言われたことに対して、夫の仕事のために妻が仕事を辞めなければならないというのは、女性に対する差別であるからしないと答えたという。それに対して、それでは選挙は戦えない、と責められたのに対して「それでは貴方は森さんと同じですね」とやり返したら相手がひるんで何も反論しなくなった、と笑いをとっている。
 年収2百万円以上の後期高齢者の医療費2割負担については、兄の雄一郎が自分は健康だし東京都は検査も停滞しているから仕方がない、といって検査を2日待ち、待っている間になくなった事例を引きながら、負担が多くなることで兄と同じように診察を控え、命を縮めるというようなことがあってはならないと応じた。多分、皆ホロリとしながら聞いていたと思う。
 おわかりのとおり、きちんと自分の言葉で誠実に答えているのである。ゴマカシ答弁ばかりする菅政権の面々と正反対なのだ。私はこの点からしても、兄を凌ぐ政治家になっていくのではないかと期待している。

2021年4月 9日

4月11日街頭演説のお知らせ

4月11日(日) 長野市内の各地で街頭演説を行う予定です。

9:00頃 平安堂 若槻店(駐車場)
9:50頃 イオンタウン三輪 周辺(街頭)
13:50頃 西友 伊勢宮店 前(街頭)
15:50頃 西友 南BP店 店頭前
17:00頃 Aコープファーマーズ 篠ノ井店 付近(街頭)
18:30頃 長野駅前(街頭)

弁士:羽田次郎、篠原孝
※予定は変更となる場合がございます。

2021年4月 8日

女性議員を増やして政権交代-国民の半数の声を国会に届けて日本の政治を変える-21.04.08

 10月21日までに必ず解散総選挙がある。公職選挙法上、6ヶ月前の4月21日以降はそれまでの間私1人のポスターを貼ることができず、党の演説告知用の2連(2人以上)ポスターでないと貼り出せないことになっている。どの議員の1人ポスターも、ほぼ同じ時期に、この2連や3連に張り替えられるのはこれが理由である。
 通常は解散してから告示の日まで30日間位に使われるものだが、急な解散ばかりのここ数回は作成する時間さえなく作ってこなかった。しかし、今回は最長6カ月間にもなるので、演説告知ポスターを作ることとした。
 昨今、日本の女性議員の少なさが指摘されている。そこで、演説の告知と共に女性議員を増やす重要性を訴えることにした。旧知の女性議員20人に依頼し、費用は増すが10種のテーマで女性議員2人と私の3人のポスターをそれぞれ作成し、各200枚の計2000枚印刷した。

<4人の女性議員の決意に敬意を表すも大同団結も必要>
 女性議員の数を増やさなければならないと強く思うきっかけがあった。2012年、社会保障と税の一体改革で、政権与党・民主党が揺れていた頃である。勇気ある4人の女性議員が離党し、「みどりの風」という政党を作った。理由は野田内閣が大飯原発の再稼働を認め、TPPも推進しようとしていたことを許せなかったからである。私も全く同じ立場だった。
 私はもう片一方で、政策の違いがあっても大同団結していくべきである、という羽田元総理の教えを忠実に守っていた。だからどれほど彼女たちに賛同しても、党を割るわけにはいかなかった。

<捨て身の女性政治家>
 政治家にならんとして若くして政治の世界に入った人たちは、自分の政策を標榜はしているが、最後になるとあまり固執しない。更に、私には政策の実現よりも自分が政治家としてのし上がっていくことのほうを重要視しているように見える。
私は農林水産省をほぼ勤め上げた後で、羽田元総理らの強い勧めで55才で政界入りした。落選したら二度と出ないと決めていた。つまり、政治は私にとっては、余業のようなものである。だからこそ、いつも捨て身の姿勢で政治に臨んできた。恐いものはないのである。
 だからといっていい加減に振る舞っているわけではない。短い政治生活を充実させるべく全力を尽くし、かつ融和に努めている。
 女性政治家は、最初から政治家を目指してきた人などそう多くはいまい。偶然にもひょんな事から政界入りしたが、政治の世界にそれほど執着していない。その代わり、自分の目指す政治を実現させようと心に決めている人たちだったのだ。
私はこういう私心のない思い切りのいい政治家こそが、今の日本の政治に必要だと思うようになった。

<期待した初の女性代表、蓮舫代表>
 そうした折、2014年に思いがけず民主党に初の女性代表、蓮舫代表が誕生した。私は蓮舫氏が代表選に出るのを反対した。女性であること、台湾籍であることが嫌だったからではない。むしろ逆である。女性であり、台湾人(国籍)でもあるにもかかわらず、日本社会しかも政界でこれだけのし上がっているパワフルな女性に惚れ惚れしていた。しかし、台湾籍だったことを隠し、二重国籍ではなかったと強弁する姿勢は納得いかなかった。それが喉につっかえていたので代表選に出る資格がないと、投票日当日の常任幹事会でも反対していた。
 しかし、蓮舫代表が選ばれた以上は代表を助けるのは党員の義務である。そしてせっかく女性党首なのだから、それを前面に押し出し、女性議員を多くし、そして政権交代に向かうべきだということで以下のような建白書を突き付けた。また意見交換の場では「東京23区内の民主党の得票率が最も低い衆議院の小選挙区に鞍替え出馬して、衆議院議員となり総理を目指すべし」と激励した。代表になったら衆議院に鞍替えすると述べていたからである。ところが、残念ながら意見交換の2日後の突然辞任し、実現しなかった。

<17年の分裂選挙時にも肝の据わった2人の女性議員に胸を打たれる>
 もう一つ、女性議員の肝の据わり具合に気付くことがあった。
2017年の総選挙は、小池百合子都知事と前原代表が「希望の党」をつくり混乱した。私は、排除の論理を振りかざす尊大な党には行きたくなかったが、2014年の代表選の時からずっと前原氏を担いでいたので、我慢して希望の党で出ることにしていた。ただ、党の内部の会合では我々が選んだわけでもない小池代表に、公認申請することなどないだろうなと、念を押したところ、前原代表は絶対にないと明言していた。
 ところが10月2日に、おかしな政策を散りばめた紙が全公認候補者に送られてきて、そこにサインして提出するようにと命じてきた。重大な約束違反である。私は黙って拒否した。更に、親しい同僚議員が混乱に巻き込まれるのを見ていられなかったので、「私は14年間の政治家としての矜持から、このような屈辱的な紙に署名することはしません」とショートメールでやんわりと忠告した。ア行から始め、途中眠くなって確かカ行の途中で寝入ってしまった。
 後でわかったことだが、私のメールに呼応して無所属で出た者が2人いて、2人とも女性だった。2人とも前回は比例復活だったが、議席を失うかもしれない危険を冒し、いかがわしい希望の党に見切りをつけたのだ。この2人の英断には天も味方したようで、見事に小選挙区で当選している。そして、私の見立てた通り、成り立ちからして危うい希望の党は、1年で瓦解していった。

<長野県で女性国会議員ゼロが続くのは、恥じ入るばかり>
 私は上記2つの事実から、女性政治家の方が肝が据わっており、政治家として信用できると確信するに至った。2017年の分裂選挙後に民進党の選対委員長を拝命した時も、19年の参議院選挙用に女性候補募集と銘打って全国紙の新聞広告で、候補者を募ることを考えていた。しかし、3党鼎立の解消に真剣になり過ぎて体調を壊し、選対委員長を退き、実現できずじまいだった。長野県でも女性国会議員は山口わか子(社民党)以来出ていない。「篠原さんはいくら頑張ったって、自分のところでやってないじゃない」という批判も女性議員から既に頂いている。県会議員も含め何回か試みたが、途中で横槍が入り、実現していない。恥じ入るばかりである。

<単純な篠原私案・比例区で優遇>
 今、女性議員の割合を一定比率(○○%)にするということを法律で定めるクオータ制を導入すべしと盛んに言われている。簡単であり理想的であるが、実現はなかなか難しい。
 そこで私が考えたのは単純なことである。今の比例代表制を活用し、11ブロックあるが、四国(6議席)、北海道(8議席)、北陸信越(11議席)といった少ないブロックは例外として、例えば15議席以上あるブロックでは、小選挙区で初めて出馬した女性候補を比例区の1位にする。他の候補は同率2位にする。となると7人か8人かの新人女性議員が必ず誕生する。2期目にはそうした優遇はやめ、同順位にして1期目の働きに対して有権者の審判を仰ぐ。最初だけは優先権を与えるのだ。これを数回繰り返せば、徐々に増えていく。そして、30%に達するまでするか、50%までするかは、まさに政治判断で決めればよいことである。

<政治界での男女平等が著しく遅れていると指摘される日本>
 その折も折、世界経済フォーラムは「ジェンダーギャップ指数」を発表している。政治の分野では日本は156カ国中147位という恥ずかしい結果である。衆46(9.9%)、参56(22.6%)という低さでG7諸国でもとびぬけて低く、女性の政治参加が遅れているのである。フランス(16位)は、2000年以来、制度改正を重ね、国民議会で候補者を男女平等とするパリテ法を推進し、02年12%が、17年には39%に増えた。同じようなクオータ制は、北欧、韓国、台湾等で導入されている。日本も一工夫する時が来ている。
 そうした中、私の不甲斐なさを恥じ、償いの意味を込めて、自分の理想を体現したのが、今回の10種類の女性議員(20人)との3連ポスターである。

全10種のポスター(イメージ)をご覧になるには、こちらをクリック