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よそ者に土地の所有を許すべからず -盛り土の問題は土地所有規制でしか防げない- 21.8.3

<重要土地利用規制法の意図するもの>
 前通常国会で、重要土地利用規制法が最後まで揉めた。自衛隊の基地とか原発の周辺とかの周囲1㎞と国境離島を「注視地域」に指定し、政府が利用実態を調査するとともに、土地の売買の届出を義務付け、違反者に刑事罰を科すものである。これらの土地が敵対する国のいかがわしい人たちに買い占められて、日本の安全に悪影響を及ぼしてはならないという趣旨の法律である。
 どこの国でも軍事施設等については、非常に厳しい規制がある。例えば空港が軍事施設としても利用される場合は、空港の景色をカメラにとどめようとしても止められることがある。どこの国も安全保障には敏感だが、日本はのどかな国であり、そういった規制は今までほとんどなかった。だから本当の趣旨には何ら問題はない。

<日本の森林は外国人に買われている>
 それを最近、重要な国境地帯、典型的な例で言うと対馬の港や自衛隊の施設の周りの土地が外国人に買い占められているということが問題にされだした。それよりも前に二束三文の森林が中国資本に買い占められているということは、元農水省林野庁の平野秀樹が『領土消失 -規制なき外国人の土地買収』(角川書店 2018年)で指摘されている。しかし、いくら外国人に土地を売らない、所有させないと言ってみても、ダミーの日本人の名前を使えば、簡単に売買も所有もできることになる。そういった野放図な状態にメスを入れるために重要土地利用規制法が考えられた。私は、安全保障上の理由で土地の所有、利用、売買等を規制することには何ら反対するものではなく、むしろ遅きに失したと考えている。


<唐突な私権制限につながる恐れから野党は反対>
 国家の安全なり原発施設の安全には相当神経をとがらせてあたらなければならないが、だからといって調査対象や調査内容が曖昧なままで、私権を蹂躙しプライバシーが侵害されてはたまらない。その歯止めはどこにあるかわからないので我々野党は反対したが、通常国会最終日の6月16日未明に成立した。


<熱海の土石流の原因>
 そうしたときに熱海市伊豆山の盛り土による土石流によって多くの命が失われた。これについては詳しく新聞報道されているので、私があれこれ述べるまでもないが、2000年頃からそれこそいかがわしい不動産業者や産廃業者が跋扈し、所有者がくるくる変わっていった。一応盛り土は届け出なければならないものの、15mまでの盛り土しか許されないのが50mにもなっていたという。要は熱海市がいくら厳格な管理をしようと思っても届け出の時以外に規制はできず、無理なのだ。その地には何の縁もなく、ましてその山林を利用して山の木を育てるという目的など更々なく、ただただ産廃や土の捨て場所を求めて買い漁っているだけの人たちは、端からルールなど守ろうという気がない。ただ余計なモノを安く処理することだけが目的であり、後は「野となれ山となれ」なのだ。農地と違い山林は誰でも所有できることになっており、それがこういう結果を招いているのである。


<産廃や建設残土はそこら中に埋められている>
 どこでも悪いことを考える者がいる。得体の知れないよそ者が、悪い企てを隠して勝手なことをしようとするのだ。図式は自衛隊基地や原発の周辺に群がる輩と何ら変わりはない。その地に根付いている人たち、地元の人たちは、周りの人たちに迷惑をかける事は絶対にしようとしないし、できない。よそ者にはそんな気持ちはひとかけらもない。
 高度経済成長時代には膨大な産業廃棄物や建設残土が出ている。その捨て場として標的にされたのは千葉県の遊休農地、平地林であり、産廃銀座と呼ばれた。所沢では見えない林の中でゴミが焼かれダイオキシン汚染が問題となった。千葉県は農地が農業などに使われることなく、産廃が勝手に埋められたのである。いくら後でいろいろ言っても後の祭りで泣き寝入りするしかないというケースが相当多くあったのだ。ダンプに産業廃棄物を積んだトラックが千葉の田舎のほうに相当流れていたのだ。ゴミマイレージ(ゴミを運ぶ距離)は少ないにこしたことはない。
 もっと昔の話になるが、1996年岐阜県の御嵩町でも谷がいつの間にか産廃の捨て場になり、その揉め事で町長が襲われる殺人未遂事件まで発生した。しかし、こうしたことはいつの間にか記憶から消えてしまっていたのであった。高度経済成長が終わり産業廃棄物の規制が進んだりしていくらか下火になったが、まだこのような悪事が行われているのだ。


<いずれ傾斜地の太陽光パネルによる土石流が発生する>
 これも変な人たちが農地を借り、変な人たちが山林を買って勝手に利用することから生ずる事例である。「自分の土地をどう使おうが文句あるか」というのが理屈である。そして熱海の谷もそのように使われたのである。所有者が転々とし、誰が責任を持ってその土地を管理しているのかもわからない。土石流の発生した谷の隣に帯のように太陽光パネルが置かれているのが目に映った。これもいずれ役に立たなくなったときに放置され、そこから廃液が流れていってまた山々もその下流の住宅地や田畑も汚すことになるだろう。太陽光パネルの下には草木は生えず、何年も経つと地盤が緩んでいく。そしていつしか、古ぼけた太陽光パネルとともに土石流が発生する恐れがある。再生エネルギーの美名の下、美しい日本の国土が汚され、後世代にツケを回しているのである。


<土地利用規制はどこでも必要>
 自衛隊の施設や原発施設の周りの土地利用規制に血眼な政府が、日本の山林等の土地利用については疎く、今回のように日本人の命を危険にさらしているというのは矛盾以外の何ものでもない。規制が必要であり、これこそ絶対的な規制、つまり盛土や産廃の廃棄は禁止すべきなのだ。日本は何かにつけ金を優先し、便利さを追求し、安全をないがしろにし、規制を怠ってきたのである。それどころか、規制緩和の大合唱できており、いまだその姿勢を改めようとしない。安全も環境も規制する道以外では守れないのだ。いま猛威をふるっているコロナも飲食店や商店の営業規制、そして外出規制をしなければ感染防止はできないのだ。根は一緒なのである。マスコミ論調も評論家もこうした理論的な矛盾に全く気がついていない。


<農地をよそ者に所有させるべきではない>
 農地の株式会社による所有問題もその延長線上である。日本の経済界が農地の土地所有を農民だけに限っている農地法の改正をしつこく迫っている。国家戦略特区で農地の株式会社による所有を許し、その結果うまくいったらそれを全国に広めるというのだ。愚かとしか言いようがない。農地を使うといって買われた土地が、いつのまにか産廃や残土を埋める土地に変わるのは目に見えている。農業をやると言っているが、まずは転売利益であり、農地以外への自由転用なのである。そしてその行き着く先に産廃の埋め立てである。これは最初から規制しておかないと防ぎようがない。
 土地利用について、これらの一連の悪巧みを阻止するには、そこに住んでいる人、責任の伴う人以外に土地所有を許すべきではないということなのだ。自衛隊基地周辺も熱海の山林も農地も皆扱いを同じにするべきなのだ。それをつぶさに教えているのが、熱海の土石流の発生である。でたらめな人に山林の所有を許した成れの果ての姿である。
 漁業法シリーズで強調してきたが、日本の漁業も漁民以外にでたらめに使わせてならない。理屈は全く同じことなのだ。