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2021年8月26日

【東京五輪総括シリーズ③】 変質した平和の祭典をどう立て直すか -×産業化・巨大化・横暴なIOC 〇ジェンダー平等・パリに期待する-21.8.26

<ここまで巨大にする必要はない>
 肥大化した五輪が問題視され、大会延期に伴い式典の簡素化も検討されたが、史上最多の33競技339種目と肥大化が進んだ。招致決定から8年の歳月をかけ、関係予算3兆円、直接的予算でも1兆6,440億円もかかっている。
 日本は野球で金メダルを取った。しかし、私は個人的には野球は五輪種目に必要ないと思う。なぜならば、選手たちにはいつも力を発揮して技量を見てもらう場が与えられているからである。つまり、プロ化してあちこちで競技が行われている種目は除いていいのではないかと考える。ゴルフ、テニス、バスケットボール、ボクシング等も必要あるまい。五輪だけは4年に1回しか国民の注目を浴びない地道なスポーツの祭典でよいのではないか。
 ただ、プロレスはあるが一般のレスリングはないので・・・と、議論すればきりがない面もある。また、逆に東京が初採用した都市型スポーツのスケートボードやサーフィン、スポーツクライミング等は若者中心にストリーミング(スマートフォンと高速通信の普及で、データを受信しながら音楽や映像を再生する)の視聴や動画投稿が増えた。若者が気軽に楽しむ、学校の部活も強化合宿もないという新しいタイプのスポーツは、TV放映権に依存する商業主義に堕落した五輪を改革する風穴を開けるきっかけになるかもしれない。

<IOCの横暴さは受忍の限度を超えている>
 今回の五輪で、財政負担を開催地に押し付け、コロナ等の様々なリスクも負担しない、身勝手なIOCの振舞いが、日本国民にも世界にも明らかになった。大会の延期に伴う追加経費や減少したチケット収入の補償は、日本と都が負うことになる。ジョージアの柔道選手が観光目的で選手村から外出し、参加資格証を奪われているのに、バッハ会長は何回も訪日し、平然と銀ブラするなど我が物顔で振る舞い、あまりに傍若無人であり、日本人の常識ではとても受け入れられない。25日の厚労委員会閉会中審査で尾身茂分科会会長が、国民にテレワークをお願いするなか、なぜオンライン挨拶にしないのか、と痛烈に批判したのは日本人の気持ちを代弁している。
 IOCは恒例の大会組織委員長への功労賞だけでなく、菅首相と小池都知事にも賞を贈るというが、JOCは嫌味の返礼として今回の教訓をしっかりと報告書としてIOCに突きつけるべきである。五輪憲章でIOCは「国際的な非政府の非営利団体」というが、一方的な契約で暴利をむさぼるわけのわからない存在である。今回の反省を活かさなければ、もう開催地(国)に手を挙げる都市は減る一方だろう。中くらいの都市ではとても負担できない。目ざといIOCはそれに気付いたのであろう、32年をブリスベン大会と先手を打って決めている。


<ジェンダー平等が進み、女性の参画が増え、性的マイノリティへの認知が進んだ> 
 女性の参加が48.8%となり、史上最高だという。新体操など女子しか五輪種目になっていないものもあるが、男性から女性に性転換したトランスジェンダーの選手が参加したのも初めての大会として注目を浴びた。男女混合の団体戦も多くなり、男子団体、女子団体を一本化して競技種目を減らす効果もあった。今後はさらに工夫されていくだろう。
 それから、どこにもこうした記事は見受けられなかったが、東京五輪は主催地の小池東京都知事、橋本聖子大会組織委員長、丸川珠代オリパラ担当相と3人とも女性となった。五輪旗は小池知事から女性のイダルゴ・パリ市長に手渡された。まさに女性が全面に出た大会であり、女性の参画を象徴していたのである。
 


<薄れゆく国威発揚の五輪>
 日本のマスメディアは、例えば原発の賛否にみられるとおり、露骨にその「主張」を全面に出すようになった。それが五輪報道にもみられ、読売はいつも他紙よりも派手に日本の金メダルを報じた。中止を社説に書いた朝日は、コロナ関連に多くの紙面を割き、その他も朝日と同様に国威発揚的論調は少なかった。
 厳密に過去の五輪報道とは比較していないが、日本のメダルの数がいくつだとかの報道も少なく、各国別メダル数の表も後半になってやっと登場したぐらいだった。そのかわり最近ではすっかり定番となった世界各国と日本の都道府県別のコロナ感染者数、死亡者数の表のほうが目についた。まさに、今日の世相を反映していた。表彰式では相変わらず金メダル獲得者の国歌が流れたが、国家を背負って勝ったという雰囲気がそれほど感じられなかったのは私だけではあるまい。スケートボード決勝で、世界ランク1位の岡本碧優選手が大技に失敗して4位とメダルに届かず涙を浮かべていたが、そこに他の選手が駆け寄り担ぎ上げて健闘をたたえた。この祝福には国家など全く存在しない、新たな若者のスポーツが誕生していたのだ。

<「多様性と調和」のスローガンだけは実現しつつある>
 選手の構成も明らかに多様化した。その意味では、うつろに響いた他のスローガンと異なり、「多様性と調和」のスローガンだけは輝いた。日本も聖火最終ランナーに大坂なおみ選手、旗手に八村塁選手と開会式から変わりつつあることを強調した。そうした中で最も象徴的なのは、男子マラソンで内戦下のソマリアを離れた難民で、オランダとベルギーから出場した2人が、お互いに励まし合って銀・銅メダルを獲得したことだろう。2人は受け入れてくれた現国籍の地ばかりでなく、出身国の栄誉も担っていた。
 もともと五輪は平和の祭典である。戦争せずにスポーツで競うということになっている。だから国が根底にあるが、今後、国の位置づけがどうなっていくかを見守りたい。


<心に残る五輪となるのかが疑問>
 コロナ禍の東京五輪で日本のメダルは金27、銀14、銅17と全部で58個といずれも過去最高のメダル獲得を記録した。しかし、50年後の記憶にどれだけ残っているか気になるところである。菅首相は党首討論で、1964年の東京五輪の思い出をとうとうと語った。質問時間潰しの卑劣な行為である。「東洋の魔女」「アベベ」「ヘーシンク」が登場した。全く同じ齢の私にも鮮烈な印象が残っている。
 今回の東京五輪で、皆がこれと同等の心が踊らされる場面があっただろうか。国民の多くが1964年と同じようには熱狂することはなかったのではなかろうか。また五輪関係による経済効果は競技場の建設等はいいとして、無観客で観光や飲食業界はズタズタであり、野村総研によると1300億円縮小し、1兆6771億円だという。また、チケット収入900億円は消え、インバウンドもなく国民や都民の負担が増すだけである。
 

<パリへの期待>
 3年後は100年振りのパリ五輪である。私が1991年から3年間勤務した地である。日本人と同様にお祭り好きなフランス人は、観光名所でパリを一望できるトロカデロ広場の特設会場に多くの人が集まり、東京の閉会式に合わせて、次回パリ大会への引継ぎを歓迎した。パリは約50人の職員を東京大会組織委に送り込んでいる。フランスもパリも五輪を待ち望んでいることが手にとるようにわかる。もう既にベルサイユ宮殿やエッフェル塔まで競技場にするとかいうプランもあるという。フランスは、厳しい規制や日本国民の反対論もあったものの成功した、と評価している。粋なフランスは、いろいろと工夫をして見せ場の多い五輪にしてくれることだろう。
 3年後はコロナが終息していることを願わずにいられない。その時は私も機会を見てパリに赴き、東京五輪のコンペンセーション(補償?)で是非ひとつの競技ぐらいは生で見てみたいと思っている。

2021年8月25日

【東京五輪総括シリーズ②】 理念なき五輪のくるくる変わるスローガン -復興・安心安全・コロナに打ち勝った証はどこへ行ったのか-21.08.25

<どこへ吹き飛んだのか「復興五輪」>
 2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会総会で行ったスピーチの中で、安倍前総理は原発事故状況に関して「under control」と自信を見せ、日本が2011年の原発事故から見事に立ち直ったことを世界に示さんとした。1964年の五輪で戦後日本の復興を世界に見せつけんとし、2008年の北京が中国経済発展をアピールするのと同じ目的があった。そこまで復興五輪を銘打つなら、マラソンが札幌で行われるのだから、ソフトボールと野球だけでなく他の多くの競技も東北3県にある競技場を優先して使用してもよかったのではないだろうか。イギリスでは、サッカー場での感染状況をきちんと検証している。日本も3県の競技で感染者が増えたか検証してみるべきである。これがのちの北京冬季五輪、そしてパリ五輪に見本を示すことにつながる。
 20年2月27日、小中高校の一斉休校は自粛要請といいつつ例外なしだったが、感染状況はそれほど変わらないのに例外的に宮城、福島、静岡の3県だけに有観客を認めたのは釈然としない。せっかくのメディアセンターの福島ブースもあまり使われず、福島復興のPRがほとんどされなかったようである。表彰式で被災地のブーケが贈られたのが、せめてもの慰めである。
 復興五輪は安倍・菅政権と続く、口先だけのスローガンの最たるものとなった。
 選手村で福島産食材が使用されることを懸念した韓国が独自の給食センターを設置したことに対し、日本政府が「風評被害を助長する」として対応を求めた。韓国では選手村共通の食事を食べた韓国選手がSNSで批判されるなど、相変わらずのイザコザが生じた。かくして「安心・安全」五輪もどこかに行ってしまった。

<「コロナに打ち勝った証し」から「コロナと併走する五輪」へ>
 コロナがいつまでも収束しないことから、いつの間にか今度は「コロナに打ち勝った」ことを示す五輪と後付けのスローガンがとって代わった。そんなに次々に付け替えなくてもいいものを、五輪を是が非でも開催したいための大義名分をあちこちに求めたのだ。それだけ理念なき五輪だったからだ。
 「バブル」という別世界を作り上げ、厳重な管理や隔離により1万余人の選手団が感染源になったり、感染拡大の要因にはならなかった。コロナ感染を避けるため、バスで競技場と選手村を往復するだけだったからだ。関係者は毎日PCR検査を行い、検査数は62万件に達した。そして陽性者は138人で陽性率は0.02%と低く抑えた。そのため出場できなかったのは19人のみ、クラスターの発生もギリシャのみだった(朝日新聞8月6日時点)。短期間でこれだけ多く検査した集団はなく、徹底的な検査で感染症はある程度抑えられる証となった。しかし、誰が見てもコロナに打ち勝ったとは言えまい。
 メダルの授与も授与する者が首にかけてやるのではなく、自分で首にかけるという徹底ぶりだった。それにもかかわらず、ソフトボールの後藤希友選手の金メダルをかじる河村名古屋市長は、得意のパフォーマンスでひんしゅくを買うというおまけがついた。


<国民と菅内閣の間にできた大きな溝>
 無観客により観戦では感染拡大にならなかったが、五輪の外の世界では、開催中に1日4,000余人だった感染者が3倍の1万5000人に急増した。そして今(8月22日)は3日連続2万5000人を超えている。皮肉を込めて言えば「コロナと併走した五輪」となった。そして、コロナ対策は二の次にされたのである。その意味では尾身茂分科会長の発言どおり五輪が「日本人の意識に与えた影響」は大だった。国民には外出やイベントの自粛を求めながら、世界中から五輪関係者を招き入れているのは明らかに矛盾であり、国民の気の緩みを誘発したことが感染拡大の一因となったと見てよい。またワクチン接種したから大丈夫というのもとんだ誤解であり、これこそ一斉の副反応なのかもしれない。
 日本国民には禍も多かったが、選手たちは活躍の機会を与えられたことに深く感謝しているに違いない。また、JOCも安堵したが、政府と国民の間にはわだかまりが残った。その結果が、五輪はおおむね成功裡に終えたのに、菅内閣支持率が最低になった理由である。


<大袈裟なおもてなしはできずとも現場の人々の心でカバー>
 選手は国民と接触しないように選手村と競技会場を往復するだけというバブル環境の中ではあるが、それなりに満足して帰国したと思われる。その証拠に多くの選手がSNSで日本のおもてなし振りを報告し、多くの動画が世界中に広まった。ロシアのスポーツ相は「東京五輪は人類の偉業だ。日本の人は深い敬意に値する」と初めての無観客開催を高く評価している。少なくとも外国メディアから酷評は聞かれない。
 このようなややこしい運営が必要な五輪は、日本以外では多分開催できないだろう。トップの判断は迷走しても、現場の人々はきちんと対応できるのだ。これこそ日本人のなせる技である。いつも辛口の韓国の朝鮮日報も「困難な状況でも世界から1万人以上が集まった東京五輪は、国際社会が後から参考にする教本になる」としている。


<コロナ収束後の再訪時に本当のおもてなしをしよう>
 8年前、滝川クリステルさんのフランス語による「お・も・て・な・し」スピーチが、ジェスチャーとともに五輪の東京招致に一役かったが、その「おもてなし」は「おあずけ」となってしまった。ただ、ほんの僅かの接触でも、現場の日本人の気配りが伝わり、大半は好印象を持ってくれたはずだ。多くの選手はコロナ禍が過ぎ去った後、思い出の地日本を再訪してくれるに違いない。その時に思いっきり「おもてなし」をするのが日本の礼儀であり、そのようなプログラムを政府なりボランティアが組むべきである。特に、ホストタウンになるはずが実行されなかった地方都市も訪れてほしいものである。歓迎されること請合いである。


<日本の真夏の五輪の開催は選手に対して無礼千万>
 東京五輪は、アメリカのテレビNBCの膨大な放映権料に動かされ、酷暑の8月開催となった。IOCは勝手が過ぎているが、日本もこんな日程を受け入れることこそどうかしている。選手が最も気持ちよく動ける春か秋の最適な気候の時、つまり小中学校の運動会の季節に開催するのが一番のおもてなしである。ロンドンもパリも北緯50度近辺であり、夏はからりとしている。北緯35度の東京は日中気温が30℃を超え蒸し暑く、とても外でスポーツのできる環境ではない。テニスのジョコビッチ選手が日程変更を申し出て、開催時間が変更されたのは当然のことである。
 開催日や、開催時間までアメリカの勝手に決められては選手がたまらない。五輪は米TV局や巨大スポンサーに動かされるのではなく、やはり「選手ファースト」でなければならない。アメリカはせっかく高視聴率を狙ったのに、開始早々の日程でリオの女子体操で四冠の超目玉、バイルズ選手が欠場し出鼻をくじかれ、視聴率はリオ五輪と比べて4割減と過去最低となったという。強引なやり方が功を奏さなかった皮肉な結果となった。五輪が大々的にTV中継されるのは東京が最後となり、今後は後述するストリーミングが中心となると言われている。かくしてサマランチ元会長の造り上げた商業五輪は瓦解していってほしいと思っている。

2021年8月23日

【東京五輪総括シリーズ①】 東京五輪はもっと早く無観客開催を決定すべきだった -選手のことを考えたら開催、コロナ対策を重視したら中止という狭間の解決-21.8.23

 205の国と地域が参加した二度目の東京五輪は新型コロナウイルスの影響で初めて1年延期されたが、8月8日に17日間の競技を終えて、閉会式が行われた。8月24日には、パラリンピックが開幕する。遅ればせながら、私なりに東京五輪を紛糾してみる。


<最初からきな臭い生臭い嘘の五輪、それでも無事に終えたのは「現場力」の賜物>
 東京五輪への安倍前首相のこだわりは尋常ではなかった。リオ五輪の閉会式会場にスーパーマリオに扮して登場した。国の関係ではなく、主役は小池東京都知事のはずなのに、明らかなルール違反である。スポーツの祭典であり、政治は控えなくてはならないのに、これ以降は政治主導が続いた。
 ところが、日本の必要以上の肩入れにも関わらず、東京五輪は「コロナに祟られた」五輪とでも呼べるほどケチがついた五輪だった。まずは、今もフランス法廷で続く東京招致を巡る不正疑惑である。その後は国立競技場の設計に始まり、開会式演出者の過去の行状による解任とトラブル続きであった。
 しかし、始まってみると、さすが日本ならではの細かい配慮で、毎日のPCR検査と、バブル環境で大過なくとやり遂げた。コロナの初期に数十人のウィーン・フィルハーモニーが4日おきのPCR検査、空港からはチャーターバスでホテル直行、貸し切りで会場までの往復をすることにより演奏を続けていたのを私も知っていたが、それを1万人の選手規模でやってのけたのである。競技自体が大過なく終えられたのは見事というしかない。これは日本の現場の人達の能力・気遣いの賜物であり、世界からは後々も評価されることになるだろう。

<コロナ戦争中にスポーツどころではないという中止論の正当性>
 コロナ禍の中で五輪をどうするか国論を二分したが、政府は国民の7割以上が中止・再延期を望む中、強行した。私もどうすべきか日本国民の一人としてあれこれ考えをめぐらした。あっさりと中止すべきという考えにもひかれた。
 なぜなら、日本のみならず、世界中が混乱しており、新型コロナウイルスの蔓延を除くには「人流」を断つのが一番手っ取り早いからだ。つまり、五輪選手といえども国境間を超えた往来は危険だということだ。
 5月、信濃毎日新聞(信毎)を皮切りに、朝日新聞まで五輪中止の記事を書いた。信毎は軍部と対立した桐生悠々の伝統が今も変わらぬことを示しており、私は思わず膝を叩いた。性懲りもなく一旦流れができたら止められない癖は第二次世界大戦も東京五輪も同じなのかもしれない。
 世界の首脳クラスはコロナへの対応を戦争に例えた者も多くいた。世界中が闘っている時に競技場でスポーツどころではないという正論である。1980年には、ソ連のアフガン侵攻に対して抗議する意味からも、日本を含む西側諸国はモスクワ五輪をボイコットした。今回、コロナ戦争とアフガン戦争を並列にした論はお目にかかれなかったが、私は同じことだと考えていた。


<伊達治一郎(モントリオール五輪レスリング金メダリスト)にみるスポーツ選手の鍛錬>
 通常は私の身近にメダリストなどいないが、1977年アメリカ留学中の夏、縁があってモントリオール(1976年)のレスリングの金メダリスト伊達治一郎と銅メダリスト菅原弥三郎を中西部の移動中に私の車で送ったことがある。2人は夏休みのレスリング教室の目玉ゲストとして各地を転々としていた。当時、次のモスクワ五輪を目指していた。3人で安モーテルに泊まった時も、伊達はベッドの上で柔軟体操をし、ぐっすり寝ている年下の菅原を叩き起こして朝のランニングもしていた。自分だけでなく、菅原に金メダルをと叱咤激励している姿が私には微笑ましく映った。英語は流暢に話すことはできなくともレスリング用語は英語であり、何よりも伊達の愛嬌あるキャラクターは子供達にも通じ、「ジィー」と呼ばれ、人気者だった。よく日本人の本番での弱さが指摘されるが、関係者の間では他はダメでも伊達だけは確実に金メダルだと言われていたという。モントリオールではそのとおり、7月の試合で6回フォール勝ちの絶対王者だった。しかも、74kg級という日本の苦手な中重量級での快挙だった。


<伊達と山下、高田の違い>
 一流のスポーツ選手の日頃の鍛錬振りを垣間見て感心した。ところが、目標だったモスクワ大会は政治に翻弄され、4年間の練習の成果を出す絶好の機会を失ってしまった。世界選手権4連覇を続けていたレスリングの高田裕司は連覇の希望を絶たれ涙を流して記者会見し、山下泰裕も控え目ながら、不満を述べていた。汗水流して必死でトレーニングを重ねてきた選手にしてみれば全身から力が抜けるほどのショックだろう。何よりもピークがあり、その時を逃すともうトップにはなれないことも多い。そうした中、伊達は「何も五輪のためだけにレスリングをしてきたわけじゃない。国がそう決断するなら仕方ない。」と動じることはなかった。その後、母校国士舘大学のコーチを務めるなど活躍していた。しかし、その気丈夫な伊達は1918年66歳で早逝して今はいない。私は東京五輪の中止で揺れ動く中、もし伊達が生きていたら何と言うか、いつも気になっていた。モスクワ五輪中止に異を唱えなかったのだから、多分日本人の命と生活を犠牲にする東京五輪は開催すべきでないとド正論を吐いたかもしれない。
(この件は、16年8月30日のブログ「オリンピックを政治の道具にするな」で既に書いている)


<五輪開催を政権浮揚策に使うもくろみがはずれる>
 世論は正直である。東京五輪は良かったという声が6割を上回った。その点では、開催反対者も競技が開催され、日本が金メダルを取れば盛り上がるという安直な思惑が一定程度当たったことになる。ただ、菅首相が望んでいたほどの熱気はなく、内閣支持率は好転することなく逆に30%前後にまで下がっている。国民は素直に日本の史上最多の金メダルに拍手を送ったが、それと同時にコロナ対策を二の次にする政府を支持することなく冷静に見ていたのである。「日本が活躍すればすぐ忘れる」という愚民政策には乗らなかったのだ。五輪は、より感染力の強いインド由来のデルタ株による新型コロナウイルスの第五波の猛威に屈したのである。


<もっと早く無観客開催を決定すべきだった>
 東京五輪は中止にしても開催にしても、もっと早く決断すべきだった。断行するなら、どのように開催するかを明確にし、それを国民に、選手に、世界にきちんと説明すべきだったが、それが欠けていた。
 選手のためには開催する必要があった。途中から他のスポーツイベント等への対応から学び、中止と開催の間をとった「無観客開催」というアイデアが生まれてきた。しかし、政府は密にならない有観客と欲張って決断を下さなかった。4月25日発令の東京の緊急事態宣言は、開会1ヶ月前の6月21日からまん延防止等重点措置に移行した。この時点でもまだ有観客に固執していたのである。42会場中、宮城、福島、静岡の3県を除く37会場が無観客となった。早く決まっていれば旅館業者も飲食店も混乱せずに済んだところを遅い決定のために迷惑を被っている。例えば、あるホテルでは大会組織委との契約でメディア関係者が泊まることになっていたが、誰が宿泊するかわからなくなり100人分の部屋と朝食を用意したが結局5人だけで振り回されるばかりだったと嘆いている。

2021年8月 3日

よそ者に土地の所有を許すべからず -盛り土の問題は土地所有規制でしか防げない- 21.8.3

<重要土地利用規制法の意図するもの>
 前通常国会で、重要土地利用規制法が最後まで揉めた。自衛隊の基地とか原発の周辺とかの周囲1㎞と国境離島を「注視地域」に指定し、政府が利用実態を調査するとともに、土地の売買の届出を義務付け、違反者に刑事罰を科すものである。これらの土地が敵対する国のいかがわしい人たちに買い占められて、日本の安全に悪影響を及ぼしてはならないという趣旨の法律である。
 どこの国でも軍事施設等については、非常に厳しい規制がある。例えば空港が軍事施設としても利用される場合は、空港の景色をカメラにとどめようとしても止められることがある。どこの国も安全保障には敏感だが、日本はのどかな国であり、そういった規制は今までほとんどなかった。だから本当の趣旨には何ら問題はない。

<日本の森林は外国人に買われている>
 それを最近、重要な国境地帯、典型的な例で言うと対馬の港や自衛隊の施設の周りの土地が外国人に買い占められているということが問題にされだした。それよりも前に二束三文の森林が中国資本に買い占められているということは、元農水省林野庁の平野秀樹が『領土消失 -規制なき外国人の土地買収』(角川書店 2018年)で指摘されている。しかし、いくら外国人に土地を売らない、所有させないと言ってみても、ダミーの日本人の名前を使えば、簡単に売買も所有もできることになる。そういった野放図な状態にメスを入れるために重要土地利用規制法が考えられた。私は、安全保障上の理由で土地の所有、利用、売買等を規制することには何ら反対するものではなく、むしろ遅きに失したと考えている。


<唐突な私権制限につながる恐れから野党は反対>
 国家の安全なり原発施設の安全には相当神経をとがらせてあたらなければならないが、だからといって調査対象や調査内容が曖昧なままで、私権を蹂躙しプライバシーが侵害されてはたまらない。その歯止めはどこにあるかわからないので我々野党は反対したが、通常国会最終日の6月16日未明に成立した。


<熱海の土石流の原因>
 そうしたときに熱海市伊豆山の盛り土による土石流によって多くの命が失われた。これについては詳しく新聞報道されているので、私があれこれ述べるまでもないが、2000年頃からそれこそいかがわしい不動産業者や産廃業者が跋扈し、所有者がくるくる変わっていった。一応盛り土は届け出なければならないものの、15mまでの盛り土しか許されないのが50mにもなっていたという。要は熱海市がいくら厳格な管理をしようと思っても届け出の時以外に規制はできず、無理なのだ。その地には何の縁もなく、ましてその山林を利用して山の木を育てるという目的など更々なく、ただただ産廃や土の捨て場所を求めて買い漁っているだけの人たちは、端からルールなど守ろうという気がない。ただ余計なモノを安く処理することだけが目的であり、後は「野となれ山となれ」なのだ。農地と違い山林は誰でも所有できることになっており、それがこういう結果を招いているのである。


<産廃や建設残土はそこら中に埋められている>
 どこでも悪いことを考える者がいる。得体の知れないよそ者が、悪い企てを隠して勝手なことをしようとするのだ。図式は自衛隊基地や原発の周辺に群がる輩と何ら変わりはない。その地に根付いている人たち、地元の人たちは、周りの人たちに迷惑をかける事は絶対にしようとしないし、できない。よそ者にはそんな気持ちはひとかけらもない。
 高度経済成長時代には膨大な産業廃棄物や建設残土が出ている。その捨て場として標的にされたのは千葉県の遊休農地、平地林であり、産廃銀座と呼ばれた。所沢では見えない林の中でゴミが焼かれダイオキシン汚染が問題となった。千葉県は農地が農業などに使われることなく、産廃が勝手に埋められたのである。いくら後でいろいろ言っても後の祭りで泣き寝入りするしかないというケースが相当多くあったのだ。ダンプに産業廃棄物を積んだトラックが千葉の田舎のほうに相当流れていたのだ。ゴミマイレージ(ゴミを運ぶ距離)は少ないにこしたことはない。
 もっと昔の話になるが、1996年岐阜県の御嵩町でも谷がいつの間にか産廃の捨て場になり、その揉め事で町長が襲われる殺人未遂事件まで発生した。しかし、こうしたことはいつの間にか記憶から消えてしまっていたのであった。高度経済成長が終わり産業廃棄物の規制が進んだりしていくらか下火になったが、まだこのような悪事が行われているのだ。


<いずれ傾斜地の太陽光パネルによる土石流が発生する>
 これも変な人たちが農地を借り、変な人たちが山林を買って勝手に利用することから生ずる事例である。「自分の土地をどう使おうが文句あるか」というのが理屈である。そして熱海の谷もそのように使われたのである。所有者が転々とし、誰が責任を持ってその土地を管理しているのかもわからない。土石流の発生した谷の隣に帯のように太陽光パネルが置かれているのが目に映った。これもいずれ役に立たなくなったときに放置され、そこから廃液が流れていってまた山々もその下流の住宅地や田畑も汚すことになるだろう。太陽光パネルの下には草木は生えず、何年も経つと地盤が緩んでいく。そしていつしか、古ぼけた太陽光パネルとともに土石流が発生する恐れがある。再生エネルギーの美名の下、美しい日本の国土が汚され、後世代にツケを回しているのである。


<土地利用規制はどこでも必要>
 自衛隊の施設や原発施設の周りの土地利用規制に血眼な政府が、日本の山林等の土地利用については疎く、今回のように日本人の命を危険にさらしているというのは矛盾以外の何ものでもない。規制が必要であり、これこそ絶対的な規制、つまり盛土や産廃の廃棄は禁止すべきなのだ。日本は何かにつけ金を優先し、便利さを追求し、安全をないがしろにし、規制を怠ってきたのである。それどころか、規制緩和の大合唱できており、いまだその姿勢を改めようとしない。安全も環境も規制する道以外では守れないのだ。いま猛威をふるっているコロナも飲食店や商店の営業規制、そして外出規制をしなければ感染防止はできないのだ。根は一緒なのである。マスコミ論調も評論家もこうした理論的な矛盾に全く気がついていない。


<農地をよそ者に所有させるべきではない>
 農地の株式会社による所有問題もその延長線上である。日本の経済界が農地の土地所有を農民だけに限っている農地法の改正をしつこく迫っている。国家戦略特区で農地の株式会社による所有を許し、その結果うまくいったらそれを全国に広めるというのだ。愚かとしか言いようがない。農地を使うといって買われた土地が、いつのまにか産廃や残土を埋める土地に変わるのは目に見えている。農業をやると言っているが、まずは転売利益であり、農地以外への自由転用なのである。そしてその行き着く先に産廃の埋め立てである。これは最初から規制しておかないと防ぎようがない。
 土地利用について、これらの一連の悪巧みを阻止するには、そこに住んでいる人、責任の伴う人以外に土地所有を許すべきではないということなのだ。自衛隊基地周辺も熱海の山林も農地も皆扱いを同じにするべきなのだ。それをつぶさに教えているのが、熱海の土石流の発生である。でたらめな人に山林の所有を許した成れの果ての姿である。
 漁業法シリーズで強調してきたが、日本の漁業も漁民以外にでたらめに使わせてならない。理屈は全く同じことなのだ。

2021年8月 2日

コロナ禍で起きたウッドショック- 日本の地方の再生は木材が売れるようにすることから始まる- 21.08.02

 20年の中頃ぐらいから木材の価格が上がり始めている。そして最近は木材の不足や価格の高騰から住宅建築がストップしたりすることもあるという。私のところにも、何とかしてくれという陳情書が送られてきている。関係者の間では第三次ウッドショックと呼ばれている。

<オイルショック、大豆ショック、ウッドショック>
 1973年オイルショックによりスーパーの棚からトイレットペーパーが消える騒ぎになったが、一方でアメリカが大豆の輸出禁止を行い、日本の豆腐の価格が一丁300円に高騰し、大豆ショックと呼ばれた。必需品だろうと何だろうと、安ければいいと何でも野放図に外国からの輸入に依存する日本は、ちょっとした輸出国の動きでモノ不足になる。〇〇ショックに陥りやすい脆弱な国である。

<アメリカの住宅需要の急拡大>
 この時期に木材の不足が生じたのは、アメリカの住宅需要が急拡大し、アメリカから木材の輸入が急減したことである。かつてニクソン大統領はアメリカの物価の上昇を気にして、友好国日本への大豆の輸出を禁止したが、今、アメリカ国内で前年比4倍(21年5月、木材の先物価格は一時的に前年を最大4倍)もの高値で売れている。それなら、あえて遠い日本に輸出することはないということになっただけのことである。
 日本の木材の自給率は食料自給率と大体同じで37.8%(2019年)である。約70%の住宅建築用の針葉樹は外国に頼っている。コンテナ不足等世界的な流通網の混乱によりサプライチェーンが分断されたのも輸入減の要因の一つである。コロナが世界を席巻し始めた20年9月には、日本の木材の輸入量は従来の7割程度まで落ち込み、以後そのまま推移している。

<金融緩和、財政出動、テレワークが住宅着工を促す>
 アメリカの住宅需要が急に増した背景としてはコロナ禍で金融緩和が極限に達し、お金が余っており、それが住宅市場に流れ込んだこともある。そこに財政出動も後押しした。金利が安いだけでなく補助事業もある。ただ金融緩和は日本も含む世界中でも起きていることだが、アメリカの場合、コロナによるテレワーク、リモートワークが急激に進んだのが大きな要因である。日本でも、東京の感染者数が4000人(7月30日)を超え、東京と首都圏3件と大阪に緊急事態宣言が発せられている。アメリカは大都市で猛威を振るうコロナ感染症を恐れ、ニューヨーク等の大都会の密を避けようという価値観が生まれ、その結果地方や郊外に住み、そこで仕事をしようとする人が増えたのである。

<アメリカのテレワークが日本の木材価格高騰につながる>
 アメリカは元々流動性の高い国であり、仕事も住居もさっさと変えて平気な国であり、コロナ後への対応が早いということだ。最も感染者の多いニューヨークがしょっちゅうテレビで映し出されていたが、それに素早く反応した人たちが都会から脱出し、住宅を造り始めたのだ。そして、そのトバッチリで日本の木材不足が生じたのだ。

<一般的にはすぐには国産材に回帰できない>
 こうなると、日本では国産材を使用すればいいということがすぐ頭に浮かんでくる。ところがこれはそう簡単ではない。もしこの状態が長く続くとしたら日本の国産材の供給体制がまた復活していくだろうが、木材不足、木材価格の高騰は一時の現象であり、長くは続かないとみられている。ゼロ金利といった金融緩和は続かないとしても、さらに円高になったり、アメリカの住宅需要が冷え込んだりすると、再び大量の木材が入ってくることになり、国産材はたちまち太刀打ちできなくなる。

<国も企業も一丸となってマスクの自国生産に取り組む>
 日本はいつの間にか短期的な投資しかやらない国になっている。コロナ禍で世界中がマスク不足になったが、他の国では中国への過度な依存体制を改め、国内生産体制が相当戻っている。しかし、日本では一旦事が収まったら再び安い中国製に取って変わられるのが目に見えているので、マスクの生産工場に投資する者はいない。大半の欧米先進国はマスクの中国一国依存体制の危うさを身に染みて体験したのに懲りて、国策として一丸となって必需品の生産の復活に方向転換しだしている。あの自由競争を国是とするアメリカにも、いざ国難という時に政府が介入できる「国防生産法」があり、トランプ大統領は20年3月15日に自動車会社がフェイス・シールドの生産を強いられている。フランスやイタリアでは、高級アパレルメーカーが自主的にマスクや医療用ガウンの生産を開始している。

<日本は長期投資を怠る国に成り下がる>
 ところが日本は弱い産業は日本になくてよいということで、国は日本で成り立ちにくい産業など一切バックアップしない体制になってしまっている。つまり、かつての政府と産業界との信頼関係が薄れ、日本の産業界全体が「今だけ、金だけ、自社だけ」という体制になってしまっているのである。
 こうしたことを考えた場合、やはり政府が乗り出さなければならない。長期的な投資が難しい分野、特に必需品と思われる分野については日本の国内生産体制を整えなければならない。コロナ絡みで言えば、ワクチン開発も民間に任せ、政府は研究開発投資に力点を置いてこなかった。

<日本の悪い見本は丸太・製材の関税ゼロ>
 日本のこうしたいい加減な海外依存体制が真っ先に確立したのは実は木材である。第二次世界大戦後に焼け野原となった日本の再建は住宅の建設から始まったが、戦争中にそこら中の木を切ってしまったがためすぐに木材不足になった。1951年丸太がまず完全自由化された。その後も凄まじい勢いで復興が進み、いわゆる高度経済成長が始まった。そして、オリンピックの年(1964年)に製材も完全自由化された。日本の中で完全に自由化された最初の大きな品目が木材なのである。

<中山間地域の崩壊は木材を捨てたことに始まる>
 その結果が中山間地域の疲弊、過疎化である。小さな畑や田んぼではもともと規模拡大できないし、効率化ができず、農業生産力を上げることなどはとても無理である。そうしたところでもなぜ生きてこられたかというと木材がきちんと売れたからである。1964年頃は、今の価格でいうと4倍の高さだった。だから中山間地域では林業で暮らしていけたのである。それがだめになって70~ 80年経ち、中山間地域の集落が消え、テレビでは「ポツンと一軒家」なる番組が高視聴率をあげている。
 私が、反TPPネクタイを嫌でも付け続けて。TPPに反対した理由はまさにこれにある。コメや農家を守らなかったら、木材で生活していた中山間地と同様、日本の地方はズタズタにされる。

<SDGsに合った建築材料は木材>
 こうしたことを考えると、日本の地方の活性化の1番の近道は林業にテコ入れし、木材工場を復活し山で生きていける人を増やすことに他ならない。幸いにも時代はまさにSDGs一色である。いたるところでSDGsバッジを見かける。それだけ地球環境問題が意識されているということである。
 人間の造ったコンクリートの家や道路等の建造物が地球の全生物の重量を凌ぐ世の中になりつつあり、これが問題化している。もっとわかりやすい例でいえば、マイクロプラスチックが2050年には海の魚の量を超えるというのだ。コンクリートの瓦礫(がれき)を造り続けることは明らかにSDGsに反するのだ。リサイクル、再利用が「国是」ならぬ「世界是」であり、住にしても、情も自然に優しく地球環境を傷めつけない住宅を作らなければならない。

<政府のテコ入れが不可欠なウッドショック対応>
 だから地球環境時代にピッタリの家の原材料は木材なのである。日本の面積の3分2は森林であり多雨の日本では1年間の木材の消費量を凌ぐ木の成長があり、100%自給も可能なのだ。それを国内の森林はほったらかしておいて外国から木材を買って平気な顔をしているというのは、愚の骨頂である。
 上述の通りSDGsへの対応から環境に優しい木材の需要は高水準で推移するとみられており、海外からの輸入は今まで通りにはいかないだろう。14億人の人口を抱える中国は一足先にコロナ禍から脱し、住宅需要の回復は著しく、世界の木材需給の混乱原因にもなりうる。
 ポストコロナの変革は、外国産材の輸入に高関税をかけ、それを原資として国産材の復活を果たすことから始めていかなければならない。各地の製材工場が潰れ、民有林は放置され放題、中山間地域に人が住まなくなった日本では相当テコ入れしないと林業は復活できず、地方は活性化しない。思い切った政策の転換が必要である。