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【衆院選総括シリーズ②】 野党共闘の明(都市部)暗(地方) - 穏健保守の支持者の多い地方には不利に働く - 21.11.24

<2016年参院選から本格化した長野県の野党共闘>
 まだ長野県が2人区時代、北沢俊美、羽田雄一郎は共産党候補が出ていても大体自民党を上回る得票があった。ところが1人区となって初の2016年参院選では、民進党の杉尾秀哉当選のため、長野県は多分全国で初めて正式に共産党、社民党と政策協定を結び、仰々しくホテルでの調印式までして野党共闘を演出した。2019年の羽田は野党共闘までの必要がなかったかもしれないが、そのまま続けた。国民民主党の低支持率にも拘わらずNHKの当確が真っ先に出るほどの圧勝だった。(別表1:参議院長野地方区 与野党対決 得票の推移.pdf
 しかし、国民民主党の1人区当選は羽田のみ、立憲民主党でも宮城県の石垣のり子だけであり、あとの8人は全員野党共闘で無所属だった。このことから参議院の1人区で自公を破るには野党共闘しかないことがわかる。

<野党共闘について集中的批判を浴びた4月の長野の補欠選挙>
 2021年春、広島の参院選と北海道2区の衆院選そして我が長野県では羽田議員の逝去に伴う参院選という3つの選挙が行われた。当然ここでも野党共闘を続けた。赤旗で大々的に取り上げられ、また補欠選挙ということで目立ったせいか、全国的に注目を浴び、連合の一部からも立憲民主党執行部からも批判された (「次期総選挙の3つの前哨戦は完勝で政権交代に結びつける」2021年4月11日しのはらブログ参照)。市民連合、共産党、社民党との合意文書の見直しや破棄の声が上がる中、私は梃でも動かず押し通した。その結果羽田次郎候補が勝利を収めている。

<長野県連内の熾烈な議論>
 そして2021年の衆院選である。参院選と違って衆院選では野党共闘は、全国レベル・県連レベルでは一切せず、その代わり各小選挙区の事情により各候補の判断により対応したらよい、というのが私の考えだった。
 後述するが、1区では野党共闘によるメリットもあるがデメリットも大きいことがわかっていた。しかし、他の選挙区では野党共闘した方がずっと当選の可能性が高くなることが予想された。また、小選挙区ごとに合意文書を作っていては各候補者が時間をとられて大変になるという意見もあり、市民連合と合意文書を取り交わすこととした。県連代表として他の選挙区の皆さんが選挙をやり易いようにすることを優先した。この時に私の苦戦を予想していた。
 後で調べてみてわかったことだが、長野県と同じように県連レベルで合意文書を取り交わしたのは数県に過ぎなかった。

<3区、5区は野党共闘がまさに活きる選挙区>
 衆院選は政権選択の選挙である。すべて1人区なのだから参院選の1人区同様、野党共闘した方が良い点もあるが、事情は各選挙区よって相当異なる。例えば、長野県でも3区の神津健や5区の曽我逸郎は野党共闘がなければ戦えなかった。3区には羽田の支持母体・千曲会があり、これこそ穏健保守だが、野党で当選した井出庸生が自民党に寝返ってしまっており、野党共闘で自民党に徹底して立ち向かうしかなかった。また5区は宮下創平・一郎と続く保守の牙城であり、野党一丸とならなければとても太刀打ちできない。

<17年総選挙で既に穏健保守が篠原を避け始めていた>
 しかし、私の場合は得票のことだけを考えたらプラス面だけではなく、マイナス面も目立っていた。2017年に私が無所属で立候補し、13万票をいただき、小松裕に4万6千票の大差をつけたが、近畿から遠く離れているのに無名の維新の候補者が2万3千票余も得票した(比例票は1万5千票)。これは直前に共産党が初めて候補者を降ろしたことだけでも、私の穏健保守の支持者が反発、さりとてダメな自民党に投票する気がなく、仕方なく第3極の維新に流れたのも多かったと思われる。今回全国的に支持が急拡大した維新であるが、1区の比例票では2万票弱と5千票しか増えていないが、小選挙区では大半が自民党候補に流れたと思われる。(表2:21年総選挙 比例区との得票数比較.pdf

<4月に批判された長野モデルがいつの間にか全国に>
 それに対して今回は4月に枝野代表が神津連合会長に「軽率な長野県連がご迷惑をかけてすいませんでした」と謝りに行くなど、長野県連が野党共闘の象徴となっていた。更にそれを引っ張っているのが、県連代表の私だという固定観念が広まっていた。そこに4月には野党共闘に否定的だった枝野代表が、9月8日に共産・社民・れいわを加えた4党と市民連合で政策協定を結び一緒の写真におさまり署名した。福山幹事長は、政策協定は長野県連がやっていることで立憲民主党が引っ張られることはないと切って捨てていたが、同じことをしたのだ。長野県連は野党共闘を進めており、これを受けて9月17日に市民連合と選挙協力の合意文書を取り交わした。かくして私はまさに「立憲共産党」の象徴的候補になってしまった。

<前述のとおり篠原の小選挙区敗北は野党共闘の失敗の象徴にあらず>
 全国各地で同僚議員が苦戦し、直前の世論調査をも裏切って110議席から14議席も減らしたのは、野合「立憲共産党」批判であった。
 結果が全ての政治の世界では、12、14、17年と野党が苦しい選挙の中で小選挙区を3連勝し、09年を含めると4連勝していた私が敗れたことで、野党共闘が間違っていた一つの証拠とみられる向きもある。確かに私の場合はそう言えないこともない。ただ、上述のとおり全体が失敗だったと決めつけてはならない。

<都市部は衆院選でも野党共闘が功を奏す>
 例えば、私のような穏健保守の支持者がもとから少ない都市部の同僚議員のことを考えればすぐわかる。もともとリベラル色の強い人たちが支持者の大半を占める神奈川、東京等では野党共闘がうまくいき、共産党が降りたことにより票数を伸ばしている。全289小選挙区の75%にあたる217選挙区で候補者を一本化でき、野党等無所属で62人が当選し、立憲民主党でも小選挙区当選を48から57に増やしたのは成功と言えよう。
 小選挙区当選者を数で見ると、東京5→8、神奈川5→7、千葉1→4、埼玉2→3と9人増やしている。もっと象徴的なことで言えば、甘利明の小選挙区敗北、石原伸晃の落選は、野党共闘の成果以外の何物でもない。ただ、比例区を含めた当選者数はそれほど変わっていない。立憲民主党の支持率が上がらないことの当然の結果である。

<32の接戦区は、地方では逆に追い詰められたほうが多い>
 野党共闘の成功の証の一つに、32選挙区で1万票以内の接戦を演じたことが挙げられるが、前回は小選挙区で当選していながら、今回は接戦に追い込まれてしまったという逆のケースも数多くあり、一概には言えない。逆の傾向は地方の選挙区で見られ、ここに小沢一郎や、中村喜四郎、私も入っている。従来の支持者である穏健保守が離れた影響は少なくない。小沢も中村も元自民党、私は羽田民主党なのだ。
 70歳を超える高齢のせいとも論じられているが、それだけを原因とするにはスッキリしない。なぜなら同じく高齢の菅直人や阿部知子は、選挙に強いとは言えないにもかかわらず、小選挙区で当選している。都市部の選挙区で元々穏健保守層などに支えられておらず、野党共闘がそのまま有利に働いたからだ。

<野党共闘が穏健保守支持者(中間層)を失うデメリット>
 他に同じように差を縮められている者を挙げると、中川正春、渡部周、青柳陽一郎、白石洋一、中島克仁、海江田万里と9人になる。また、入手した某党による直前の支持率調査結果(10月7~10日)との比較で見ると、鈴木庸介、吉田統彦、牧義夫、桜井周(以上都市部)、山田勝彦の5人以外はリードしていたものを逆転され、比例復活当選に回っている。つまり、少なくとも終盤には自民党が意図的に「立憲共産党」と喚き続けたため逆に作用してしまったようだ。詳細は避けるが上記の某党調査との比較で見ると、野党共闘が都市部では有効に働き、最終盤でもリードを広げたが、地方では軒並みリードを縮められ、大逆転させられている。
 変わったところでは、立憲民主党ながら右寄りの松原仁(東京3区)は、共産党が候補者を立てて約3万票(11.3%)も取っているが、09年以来の4回振りに小選挙区で当選している。笠浩史(神奈川9区)は維新に2万5千票、共産に2万票も取られながら小選挙区で勝利している。更に国民民主党の浅野哲(茨城5区)、西岡秀子(長崎1区)は、共産党候補が出馬したにも拘わらず小選挙区で当選している。この結果が何を物語っているか考える必要がある。(別表2)

 冒頭に述べたとおり、小選挙区の状況により野党共闘がうまく働くところ(都市部)とデメリットがずっと大きいところ(地方)があるのだ。