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2022年3月25日

経済安全保障より原発安全保障が先‐原発攻撃は想定外は許されず、敵は一番痛い所を狙う-22.03.25 (4/1大幅修正)

<戦争では原発が標的になる>
 私はずっと原発の危険性を訴え、原発廃止を是として政治活動をしてきている。そして、今ロシアのウクライナ侵攻で廃炉中のチェルノブイリ原発や欧州最大の稼働中のザポロジエ原発への攻撃が懸念されている。プーチン大統領の核兵器の使用も辞さないといった脅しも感じられるが、原発の格納器が破壊されたらそこから膨大な量の放射能が放出され、近隣諸国にも大影響を与える。
 そもそも戦争はあってはならないし、戦争であっても戦時国際法では一般市民の巻き添えは禁止されている。原発への攻撃もジュネーブ条約第一追加議定書56条で禁止されている。しかし、ルールが守られないのは今のウクライナ情勢が説明している。いざ戦争になれば、なんでものありなのだ。となると、敵国の一番弱い所をついてくるのは常套手段であり、原発施設への攻撃が脅して利用され、実行される恐れもある。今まで原発稼働中の国が戦火に巻き込まれた例はなかったが、今回、原発が標的にされることが明らかになった。

<原発への攻撃は「想定外」にあらず>
 ロシアはそのことを十分承知しているのだろう。侵攻直後の2/24、すぐチェルノブイリ原発を制圧した。戦火に巻き込まれて電源喪失し、冷却が止まったりしたら大惨事になりかねず、自ら管理下に置いた。だから、今は原発周辺での戦争活動は絶対にしてはならないというルールも必要である。
 今週、経済安全保障法が重要広範議案として衆議院本会議で岸田首相出席の下質疑が行われ、内閣委員会での審議が始まっている。内容は日本の先端技術が外国に流出させるのを防ぐという陳腐なものであり、何の緊急性も見当たらない。現下のウクライナの情勢をみるにつけ、今頃何をしているのかという感が拭えない。「あさっての」ことをしているのである。

<論外な「適基地攻撃」「核共有」>
 最近の世界の戦乱は、発展途上国の揉め事が大半だったが、先進国ヨーロッパの地における侵略は予想を超えるものである。これを奇貨として、いわゆるタカ派の面々は急に色めき立ち、日本防衛のために「敵基地攻撃能力」や「核共有」といった暴走気味の議論が沸騰している。
 敵基地攻撃は、専守防衛の大原則を逸脱する。核共有は、非核3原則(持たず、作らず、持ち込まず)に抵触する。いずれも論外である。

<原発は核を持っていると同じであり、敵の攻撃の標的になる>
 日本の有事を憂慮する「憂国の士」(タカ派)の考えにも共鳴する所がないわけではない。それならば、最も心配してくれなくては困るのが、日本の54基の原発自体が最も危険な凶器に転じることである。ところが、こうした人たちはこぞって原発の再稼働を声高に叫ぶ、という自己矛盾に陥っている。敵基地を攻撃する前に、核を共有する前に、格納器を攻撃されてしまうのであり、この危険の除去こそ国が取組むべきことなのだ。

<原発の被害から国民を守るのが国の責務>
 「国民の生命と暮らしを守る」は、政治の世界の常套句である。そして今、ロシア軍のウクライナ侵攻で俄にクローズアップされてきたのが、原発に対する攻撃である。原発の発電施設が崩壊するとチェルノブイリの例に見られとおり、危険なデブリ(溶解核燃料)は何十年も手が付けられず放射能を出し続ける。いくら石棺で覆っても危険極まりないものとなる。放射性物質は常時監視体制をしいておかなければならず、戦争中といえども手を抜くことは出来ない。

<空爆に陸上警備の不思議>
 今必要なのは、経済安全保障よりも「原発安全保障」である。この点を質問された岸田首相は、福井県警(24時間体制で配備している「原子力施設警備隊」)にノウハウをお願いして、警察の警備を強化させるといったのんびりした答弁をしていた。原発攻撃は、空からやってくるのであり、陸上の警備で防げないのは、小学生でもわかることである。
ただ、テロ対策すら満足にとられていないのが現状であり、首相としても答弁しようがないのは同情に値する。つまり、3/11参院災害特委で更田豊志原子力規制委員会委員長が答弁したとおり、高性能ミサイルで攻撃されたら防ぎようがなく、「すぐとれる対策は事実上ない」のだ。

<地下式原発も一時凌ぎ>
 原発を空爆から守るには、地下深くに設置するしかない。一部の原発推進論者は、かねてから地下式原発を主張している。重大事故が生じた場合には、地下に埋めて放射能の放出を封じることもでき一理ある考えでもある。しかし、いくら地下といっても、北欧の岩大陸で揺るぎない岩盤の地下500mと地震だらけの日本の地下は事情が異なる。地下式原発は一時は安全でも、半減期が数万年に達する一部の核物質には危険がつきまとう。

<鉄棺でも防御しきれず>
 チェルノブイリのコンクリート石棺は、2016年G7が巨費を投じて鉄棺にしたが、それで守り切れるわけではない。爆撃の破壊力のほうが上回るからである。格納器内がいくら冷却が進んで以前より危険度が下がっているとはいえ、デブリが放射能を出し続けていることに変わりはない。
 原発に拘る者は、近年日米欧で開発中の「小型モジュール炉」をリスクに強い原発として推している。確かに、100万kwの大原発と比べるとリスクは低いが、攻撃され破壊されたら、少ないとはいえ同じように放射性物質が溢れ出すことに変わりはない。究極の安全保障は、原発の存在をなくすこと以外にない。

<原発再稼働は火事場泥棒的主張>
 更に、ロシアへの経済制裁によるエネルギー価格の高騰、それに伴う電力不足の懸念から原発の再稼働を促す、火事場泥棒的な声も聞こえてくる。そこに3月22日の初の電力需給逼迫警報が拍車をかけた。現在廃炉を除くと国内に33基の原発あるが、稼働中は9基のみである。自民党内には根強い再稼働容認論が一挙に噴出し、近頃与党にすり寄る国民民主党もそして維新も同調している。一時凌ぎの大衆迎合主義の典型であり、危険な図式である。
 50%以上を原発に頼るウクライナも本当はすぐ停止したいところだが、そうなると停電となり国民生活に多大な悪影響を及ぼすことになるので、やむをえず危険を承知で稼働し続けている。EUも2月2日に原発と天然ガス発電を一定条件の下に許す、タクソノミー法を提案している。いずこも電力安定供給には苦慮しているのだ。ところが、ロシアはそれを逆手にとって、原発を制圧したら、攻撃するぞという脅しに使っている。つまり、近代戦において原発は厄介者であり、最も安上がりの破壊兵器になることが明らかになった。

<原発の存在を消す以外原発安全保障はない>
 日本には3月16日の夜のM7.3の地震にみられるとおり、戦乱の前に地震という脅威がある。アメリカには、原発が100基前後あるが、ロッキー山脈の西側、つまり地震帯には2基しかない。地震はそれだけ恐れられているのだ。
 ウクライナの原発問題は、日本が今後原発とどう向き合っていくかについてのヒントをいくつも提供している。せいぜい安全基準をクリアした既存の原発の再稼働を短期的に認めることが限界であり、フランスのように原発を新設するなどもってのほかである。有事の際には、原発の存在自体がリスクになることを、ロシアのウクライナ侵略で教えてくれたのである。長期的には原発の存在を消す以外に日本の安全を守る途は残されていないのだ。

2022年3月 1日

冬のウクライナを凍てつかせるロシアの侵攻は許されない- いつも紛争に巻き込まれる東欧の中継地の不運- 22.03.01

<第二次東西冷戦の予感>
 プーチン大統領の危険な賭け、私には殊のほか胸が痛む。2014年のクリミア侵攻の際「頑張れウクライナ -紛争の種は早く摘むべし-」(しのはら孝ブログ2014.3.28)で、ロシアのウクライナに対する領土的野心を懸念してブログをまとめている。その結論のサブタイトルが「第二次東西冷戦か?」である。どうして私の懸念したことがそのままになってしまうのか。悲しい限りである

<キエフはロシアの京都・奈良>
 ウクライナはキルギス等中央アジアの旧ソ連邦国とは異なり、ベラルーシとともにスラブ東方系3国は別格の同志だという。ロシアの元は中世に存在したキエフ大公国であり、キエフはロシア人にとって、日本人の奈良・京都(姉妹都市)のようなもので、それがNATO(北大西洋条約機構)に加盟するなど考えられない、という気持ちがあるという。きれい事を並べているが、日本の7倍の面積の黒土を手にし、世界有数の小麦輸出国たらんとする領土的野心もあるのかもしれない。

<同じスラブ系でも明るく感じられたウクライナ>
 私は1985年末、大地が真っ白な雪で覆われたキエフを訪れた。まだ鉄のカーテン時代のことである。16日間の土壌学者としてのソ連出張で5日間ぐらい滞在したと記憶している。1978年に2年間のアメリカ留学から戻って初の海外出張で、モスクワとサンクトペテルブルグと三都市を周ったが、キエフが最も印象に残った。その理由は、厳しい寒さのモスクワと違い、気候が暖かいばかりか街の雰囲気もずっと開放的であり、接する人たちも明るかったからだ。更に店が何を売っているのかわからないほど品不足のモスクワと異なり、店頭にちゃんと物が並び豊かだった。出された料理も格段に美味しかった。皆がロシア料理の典型と勘違いしているボルシチは、外ならぬウクライナ料理である。

<ソ連は一国ではなく、まぎれもない連邦だった>
 私は「合州国」と「連邦」は大した違いがなく、てっきりアメリカ同様に「ソ連」という一つの国だと思っていたが、「ウクライナ共和国」として国連に加盟する別の国だったのだ。経済事情も異なりウクライナの豊富な農産物がロシアのモスクワには届いていなかった。つまり、両国間では貿易(と言うより流通)もスムーズに行われていなかった。
 今回の爆撃対象になったであろうキエフ空港の壁にも、名称が2つの似たような文字で大きく書いてあった。キエフ大学のきれいな紹介本も、同じキリル文字だが必ずロシア語とウクライナ語で書かれていた。私は「土壌関係以外の会話をしてはならない」と通訳からきつく止められていたが、こっそりとどっちの言葉がいいのか聞いたところ、ウインクしつつすぐさま「ウクライナ語」と返ってきた。私はこの時、ウクライナはいずれ独立した国になると確信した。
 科学者の一行だというのに、キエフ大学の科学者は我々をナチスが侵略した時にいかに勇敢に戦ったかを示す大きなジオラマに案内してくれた。今、その時以来の侵略に苦しんでいると思うと暗い気持ちになる。しかし、勇猛果敢なコサックの子孫たちは、おいそれとロシア軍に白旗は上げないであろう。

<クリミア半島編入後、着々と進めたウクライナ侵攻>
 1986年のチェルノブイリ原発事故で国力が削がれたのか、1991年ソ連は突然崩壊し、ウクライナは他のソビエト連邦の国々とともに独立した。ところが、ロシアは2014年軍事的な要塞でもあるクリミア半島を併合(強制編入)した。15%ほどいたタタール人を強制移住させ、ロシア人を住まわせ、着々と駒を進めていることが窺えた。プーチンの野望は旧ソ連の復興と言うが、その第一歩がウクライナなのだ。
 つまり、ウクライナはアメリカにとってのキューバどころの話ではない。キューバは地理的にはアメリカの目と鼻の先で同じだとはいえ、言葉も人種も違ううえに歴史的なつながりも少ない。ロシア側から見れば、ウクライナがロシアにとって別格なことぐらいわかってくれというのだろう。

<戦争を始める口実は捏造が常>
 しかし、ロシア系住民のジェノサイト(集団虐殺)が起きている、といった難癖をつけての軍事的侵略は受け入れられない。多分アメリカのイラク侵攻の大量破壊兵器と同等の、今風に言えばフェイクの可能性が大だからだ。米露とも戦争を始める大義名分をでっち上げていることに違いはない。戦争とはいつもそういうものである。
 1997年ロシアは、NATOの東方拡大を止めてくれと西側諸国に注文を付けた。そして2014年クーデターで親露政権が西側寄りの政権に代わり、ウクライナがNATOに加盟をと言い出した時から、今回の侵略の計画を練っていたのだろう。この無謀な企みに対して当然西側諸国はいまだかつてない経済制裁で応じようとしているが、核戦争も辞さないとするロシアのプーチンに対して、アメリカは軍隊を派遣することはできまい。こうしたことを見越した計算づくのウクライナ侵攻である。

<原発事故と戦乱で2度避難を強いられる悲運>
 私は、偶然だが国会議員になってからも2回、合計3回キエフに行っている。2005年に2期生議員の時の外務委員会視察と2011年福島第一原発事故後のチェルノブイリ原発視察である。考えてみたら、留学の地(ワシントン州シアトル、カンザス州マンハッタン)と勤務地パリを除けば、外国の地で滞在日数が1番多いのはキエフかもしれない。その愛おしいキエフがロシア軍の攻撃の的になっている。
 11年に通訳としてお世話になった日本留学帰りのオリガは、小学生の時にチェルノブイリ原発事故でキエフからクリミア半島の保養地に学童疎開させられている。言ってみれば「原発避難」だった(この件は拙著『原発廃止で世代責任を果たす』に詳述している)。その時は一番気に入っていた服をみな脱がされ捨てられたと嘆いていたが、今度はロシアの侵攻から逃れる「空爆避難」である。家も何もかも滅茶苦茶にされてしまう可能性がある。短い人生で2度も遠くに追いやられる悲劇に遭っている。胸が痛むばかりである。
 東西の要路にあり、いつも戦乱に巻き込まれてきたウクライナの哀れな境遇と比べて、島国日本がいかに恵まれているか感謝せずにはいられない。

<台湾海峡への飛び火もあるかもしれず>
 日本も安閑としてはいられない。中露外相会談も行われており、冬季北京オリンピックの時も、ロシアは中国の人権問題などどこ吹く風で、蜜月関係を保っていた。ウクライナと似たような位置づけにあるのが台湾である。そして、香港返還がクリミア編入に例えられる。前述のキューバやウクライナと同様になんと恐ろしいアナロジー(類似性)なのだろうか。
 それでも香港は1984年の英中共同声明により、1997年合法的に平和裡のうちに中国に返還された。ただ、昨今の弾圧にみられるように一国二制度の約束は完全に反故にされている。一方台湾は、中国の心の故郷でも何でもない。事情は大きく異なり、同じこじつけは通用しない。
 中国がウクライナ情勢に乗じて台湾にちょっかいを出し、台湾海峡が突然有事になるかもしれないのだ。恐ろしいことは、ロシアが許されるなら中国も許されて当然という開き直りである。香港への手荒な仕業もウイグル弾圧も国際的非難の的だが、北京冬季オリンピックでは国威発揚に成功し、軍事的脅威はますます高まるばかりである。

<まさかに備えると同時に地道な外交努力が不可欠>
 さて、我が日本はどう対応するのか。敵基地攻撃能力といった憲法違反の抽象的議論や憲法改正といった迂遠な議論をしている場合ではない。ロシアに対して真剣な経済制裁をすることはもちろんだが、明日は我が身と中国に無謀なことをさせないように外交努力を重ねていかなければならない。
 プーチンの歪んだ世界観や強引なこじつけに対して、世界が一丸となって向き合っていかなければならない。今、世界は見えない敵・新型コロナウイルスと全面戦争中だが、そこに在来型の戦争が勃発した。両方の戦争を一刻も早く鎮静化しないとならない。