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2022年11月25日

<防衛問題シリーズ②>緊急事態条項(国会議員の任期延長)するなら、もっと国会の審議を尽くすのが先-緊急事態の憲法改正に乗じてあらぬ方向に向かってはならず― 22.11.25

 私は2013年以来9年ぶりに憲法審査会に所属することになった。
<突出する緊急事態(国会議員の任期延長)の議論>
 意外なことに、緊急事態を理由とした国会議員の任期延長についてかなり具体的な議論が進んでいた。立憲民主党は憲法改正、特に9条の改正に結びつくような憲法審査会には参加したくないと言うことで頑なに拒否していたが、一応憲法改正の議論に加わることにした。
 自民党は元からあの手この手で憲法改正論議をしようと、古くは国会議員の3分の2の決議を2分の1にすべきだとか、いろいろ搦め手の提案をしてきたが、最近は緊急事態を突破口にしようとしている。ウクライナの戦争があり、新型コロナ感染症の蔓延ありで緊急性を全面に出した方が、国民にも理解されやすいと踏んだのだろう。魂胆が見え透いており、おいそれと乗っかるわけにはいかない。

<新藤委員(自)の用意された国会議員の任期延長の具体的提案>
 先週(11月10日)の議論において新藤義孝自民党の筆頭幹事が、かなり具体的に発言した。もう一人斉藤健前委員(現法相)が「昨年の秋はコロナ感染症による緊急事態で、国会議員の任期を延長し総選挙を延期しなければならなかったかもしない」と発言した。私はそれをリレーする形で意見を述べた。

<自主的に選挙を先送りした21年秋の総選挙>
 実は私こそコロナ感染防止のため外出制限をしたりしている中、総選挙は先送りすべきだと考え、自主的に実行した。
 今は選挙などやっている時期ではない。なぜならば羽田雄一郎参議院議員が53歳の若さで、PCR検査も受けられずに亡くなっていた。私は、いつも告示後は70カ所位でミニ集会をしていたが、それを一切せず街宣車も1台だけしか使わず、ウグイスを1人しか乗せず、私が乗って運転手を含め3人。たまに街頭でマイクを握ってもなるべく人混みから離れ短くし、一応篠原が街宣車に乗っていることを示すだけにとどめた。それでは有権者に政策等が伝わらないので、代替するものとしてもっぱら電話で有権者と接触すると言う変則的なものにした。
支持者からは真面目に選挙活動していない、選挙はムードを盛り上げなければと、厳しいお叱りを受けた。そのためか小選挙区当選を逃してしまった。しかし、ごく一部の方々からはほめられた。あとから気がついたが、見舞い等を厳しく制限して感染防止措置をしていた病院関係者だった。

<コロナ感染症で事例を検討すべし>
 新藤提案にある緊急事態の4つの要件(自然災害、内乱、感染症、安保事態)の一つであるコロナ感染症がこの問題の複雑さをよく示してくれる。
 そこでコロナの感染者・死亡者数の推移に、総選挙(21年10月19日)と参議院選挙の告示日(22年6月22日)を加えた表を作成して問題提起した。
 実は、21年秋は幸運にも感染状況の底の状況だったが、その後急増している。1年ぐらいの国会議員の任期延長をしたところで、解決はつきそうもないことがわかる。解決方法の一つとしては、手間のかかる郵便投票と電子投票があるが、混乱に拍車をかけるので提案は思いとどまった。

<内閣に任せず国会が決め、司法関与は不要>
 内閣が国会議員の任期の延長を決め、国会が承認するのが一般的な流れだったが、内閣にそれを任せると後で述べる臨時国会解散要求ではないが、ほったらかしにしたり恣意的になりがちなので、私は国会は自らのことを自ら決めるべく、むしろ国会が発議すべきではないかと反論した。
もう一つ、司法を絡めるまで慎重にする必要はないのではないかとの意見も述べた。

<今の憲法下で国会審議を活性化し始めるのが先>
 しかし、私が最も言いたかったのは、それだけ緊急事態に備えて国会議員の任期を延長し、国会の機能(立法・行政監視等)を維持すると言うのならば、今から自ら襟を正して国会の審議を活発にしていくべきではないかということである。それをしていないで、何を綺麗事を言っているかと、私のいつもの嫌味の反撃である。
 ① 衆参ダブル選は回避: 政府・与党は平気で政局がらみでわざと参院選に衆議院選挙をぶつけて2回とも大勝利を収めようとしてきた歴史がある。新藤議員は憲法は二院制を前提にしていると発言。それならば、衆議院全員と参議院の半数が欠ける衆参ダブル選挙は絶対避けなければ辻褄が合わない、とクレームをつけた。
 ② 臨時国会は要求があれば即開会: 憲法53条の臨時国会の4分の1の議員の要求に対して、開かない事はないが、しらばっくれて数ヶ月置いてけぼりにされることが大半である。そこで我が党は維新と共同し20日以内に臨時国会の決定をすべきという法案をわざわざ提出している。そんな法案をわざわざ出さなくても今の憲法に従いさっさと臨時国会を開催すべきである。
 ③ 常任幹事会の毎週1回開会: 憲法審査会は今毎週木曜日に定例的に開かれている。常任委員会は定例日が決まっているが、いつも法案審議を優先し法案が全部通ると、後は野党がいくら開会を提案しても与党はなかなか開かないというのが一般的である。また、やっと開いたところで、午前3時間とかたった半日だけで過ごしている。都道府県議会や市町村議会は決められた定例日に粛々と審議をしている。一番遅れているのが国会だが、国会の機能をないがしろにせずに、憲法審査会のように週一回は必ず7時間決められたテーマで審議すべきではないか。(このあと、皆がクスと笑う発言をしたが、活字にはしないでおく)

<恐怖感便乗型憲法改正はまかりならぬ>
 与党提案は国会議員の任期延長という人参をぶら下げながら、どうも衣の下に鎧があるようである。新藤委員は日本がウクライナのような戦争状態になった時に何も決まってないのは心配だと素直に本音を述べている。それに加えて、19日には緊急政令、緊急財産処分の権利も政府に認めるべきだと言い出した。
 このことはもともと日本政府が提案した憲法草案にあったが、GHQが反対して入ることがなかった。その代わりに国会機能の維持の観点から入ったのが、参議院の緊急集会である。GHQは行政の権限が強まり過ぎて再び日本が暴走して戦争国家になることを恐れていたのだ。それを今防衛費を10年以内に倍増しGDPの2%にするといった議論がまかり通っており、それに加えて緊急事態にかこつけ政府になんでも委ねるというようななことを言い出し始めている。危険な道である。

<緊急政令・緊急財産処分を疑問視した公明党の良心>
 それに対して北側一雄委員(公)が「それは財政民主主義に反するし、国会を軽視することになるので賛成できない」と釘を刺した。平和と福祉の党・公明党の面目躍如である。
 北側委員は、また国会議員の任期延長について司法を絡めることも、情報を集められないので、そこまでする必要はないのではないかと発言した。私とほぼ同じ意見であった。維・国の太刀持ち・露払いを従えて暴走する自を止めるには、立・公のスクラムが必要かもしれない。

2022年11月 9日

【神宮外苑シリーズ①】神宮外苑の樹木伐採は先進国では考えられず-歴史的景観や慣れ親しんだ景観を残すのは国家の責任-22.11.09

<パリの様式美が世界を魅了>
 世界中で1番多くの観光客(2018年 8,940万人)が訪れる都市はパリである。自由な雰囲気が世界を魅了する。実はパリの街並みの美しさは厳重な規制で保たれている。
 日本のように看板があふれかえってなどいない。街路樹は同じ木が植えられている。19世紀のパリの大改造時に建物の階数は、美観・日照・防災等の観点から道路の広さに応じて、圧迫感がないように広い所は8階建て、狭い所は3階建てとか決められている。

<昔の景色がそのまま残る>
 エッフェル塔に行き、シャイヨー宮からパリを一望すると、アンヴァリッド(ナポレオンのお墓がある)以外大体同じ高さであり、右側のほうに旧JALホテルがチラっと見えているだけである。古い石の建物は、昔のままに変わることなく利用されているのだ。
 つまり景観は、100年前や200年前と同じに保たれている。これは郊外に行っても同じで、例えば多くの画家が住んでいたバルビゾン村に行っても、何百年前に描かれた景色がそのまま残り、ご丁寧にも有名画家の風景画レプリカが置いてある。その画家がその場所でスケッチして描いたことがわかり、一時画家になった気分になれる。畑の作物も、木も建物もそのままだからだ。フランスでは都市部と農地とは厳格に線引きされており、日本のようなスプロール現象による乱開発はない。

<通りに面した側はいじらせず、内装を変えることしか許されず>
 今から約四半世紀前私はOECD代表部に勤務していた。凱旋門から出ている12本の1つオッシュ通り(Avenue Hoche)に面した、我が日本大使館の建物(駐仏大使館とOECD代表部が半々に分け合っていた)の改築工事が行われていたが、表通りに面した部分は変えてはならないという規制があり、古い建物を壊すことなく内部だけいじって、天井を高くしエレベーターを新設し・・と何倍も時間と金をかけざるを得ないのだ。それだけ古いものを大切にし、昔のままに保つことに細心の注意を払っている。古い建物は跡形もなくぶち壊し、近隣との調和を何も考えずに新しく建てる東京と違うのだ。

<樹木も植物もほうっておいても育つ恵まれた日本>
 日本は、ほうっておいたら至る所で草がぼうぼうになる恵まれた温帯の国である。街路樹ですら大した手を加えなくともスクスク育っている。年間降雨量が1800mmの北緯30~40度のなせる業である。それに対し、降雨量600mm北緯50度近いパリでは植物も木々もそうはいかない。街路樹の根元には筒が立てられた穴があり、給水車が次々に水を流し込むのが夏の光景である。そうしたところで愛されて育ってきた木が1000本も一気に伐採されることなどありえない。住民が許すはずもないが、その前にパリ市当局がそんな無粋な計画は立てない。
 それを東京の神宮外苑では平然と743本の木を切り倒そうとしているのだ。(11月8日三井不動産はホームページで多少の改善した案を示した)

<マルローが残した世界的景観を守るという遺産>
 ヨーロッパ大陸は岩大陸である。パリは17世紀ぐらいまでは木の家ばかりだったが、ロンドンにも大火事があり、それ以降木造建築は禁止された。それを機会に石の家に徐々に変わっていった。何のことはない、近くの石を切り出せば石材が調達できたのだ。つまり、家も地産地消なのだ。その後1960年代マルロー法で歴史的環境を保全することになった。更に眺望をさえぎらないというフュゾー規制が導入され、高層ビルなど見当たらなくなった。
 世界中の大都市に摩天楼ができる中、パリにも1972年 高さ210m 59階建てのモンパルナス・タワーが建てられたが、パリ市民の不評をかい、また規制が強化された。規制改革推進会議、国家戦略特区諮問会議でひたすら経済成長のみを重視する日本とは大違いで、今も日本と真反対の厳しい規制がなされているからだ。

<緑のジャンヌダルク、イダルゴ・パリ市長の緑化計画>
 ところが、パリは残念ながら緑が著しく欠ける都市である。西側のブローニュの森、東側はヴァンセンヌの森があり、パリの左右の肺と称されるが、ペリフェリック(環状自動車専用道)内には一戸建ての家など存在しない。従って日本のような小さな中庭もない。そこで緑は郊外に求めるしかない。そのせいばかりではないが、仕事はパリのオフィス、週末は田舎の緑溢れる家ですごし一生を終えるという二地域居住が進んでいる。ところが、最近石の街パリも緑の街へと変身しようとしている。
 イダルゴ・パリ市長は、2030年までに街の半分を緑地にする計画を打ち立てた。リヨン駅等4つの主要なランドマークのそばには「都市の森」を造り、シャンゼリゼ通りを①4車線から2車線にし②歩行者と緑のエリアを作る③空気の質を向上させる「木のトンネル」を整備する、そしてパリ全体で17万本の木を植え2030年までに市の50%を植樹地で覆うというのだ。

<いずこの都市も樹木を保護・保全している>
 世界の大きな課題が地球温暖化対策、22世紀に気温が2度Cも上がっては大変と世界が共通の目標に向けて動き出しており、世を挙げてSDGsを叫んでいる。東京でも緑の保全に取り組み、私の住む杉並区でも「みどりの条例」もあり、保護樹木林だけでなく民間所有地にも保護樹木が指定され、土地所有者に1本3,000円~8,000円の保全・保護のための補助金が毎年出ている。
 小池都知事は環境重視の姿勢をアピールしてなのか、よく緑色の服を着ている。そして今回もエジプトのCOP27に太陽光パネルの義務化等を紹介するために出席するというが、自分の服だけでなく東京を緑の木々で覆うことも考えてほしいものだ。イダルゴ市長同様にやろうと思えば何でもできるのに、神宮の緑がなくなることには何も手を打とうとしない。
 パリと東京、彼我の正反対の姿勢に嘆息がでるばかりである。片や緑のある美しい大通り、片や1000本の樹木を切り倒し、無粋な高層ビルを建てるというのだ。「神宮の杜」を「高層ビルの森」にでもしようというのか。名物のイチョウ並木も国民の献木でできた神宮外苑も危機に瀕している。高橋治之他の電通関係者が暗躍した東京オリンピック疑惑が、統一教会の陰で報道されている。もしも、国立競技場の建て替え等に始まり、神宮外苑の再開発を巡り政・官と建築業界のいかがわしいトライアングルがあるとしたら、それこそ許しがたい。

<オランダ(ハーグ)では大使館や大使公邸の木も切らせない>
 1990年、コメの輸入という難問を突き付けられたウルグアイラウンドのさ中、私はハーグのオランダ大使公邸にいた。大使が交渉で疲れ切った審議官をねぎらうべく夕食に招待してくれた。2人は若かりし頃同じ大使館に勤務した仲で話がはずむ。隣の私は夕食後電報を書かなければならず、気が気でない中、大使夫人とばかり話すことになった。
 その中で、大使夫人がオランダ(ないしハーグ)の不満をぶちまけた。古い大使館を建て替えようとしたら、公邸内にある大きな樹木を切ってはならないと注文をつけてきたというのだ。大使夫人は外交官は治外法権なのにと怒ったが、それは逮捕されたりしないというだけで、環境や交通のルールは守るのが当然だと、わざと突っかかったのを覚えている。私は、そこまでして樹木を守ろうとするオランダの姿勢に感心した。
 石炭火力にしがみつく日本はCOPではいつも嘲笑の的だが、緑の保全こそ一周遅れどころか数周遅れである。東京都がやらないなら、国が介入して規制して神宮外苑の樹木を守らなければならない。

2022年11月 6日

【旧統一教会シリーズ5】統一教会問題に口を噤(つぐ)む保守論壇の不思議  -歪んだ教義の統一教会に媚び続けた自民党の大ミス-

<統一教会問題で国葬反対の声が拡大>
 国論を二分して開かれた安倍元首相の国葬も、誰がするか気をもませた追悼演説も終了した。
この国葬問題は、当初は国民はそんなに反発していなかった。7月16~19日に行われたNHK世論調査では、政府が今年秋に、「国葬」として行う方針に「評価する」が49%、「評価しない」が38%だった。しかし安倍元首相と旧統一教会の濃密な関係が明らかになるにつれ、日を追うごとに国葬反対の声が大きくなっていった。先の調査結果も同内容の8月調査で、「評価する」が36%、「評価しない」が50%と逆転し、9月にはそれぞれ32%、57%と反対が増えていった。
 山上徹也容疑者の元首相銃撃は犯罪であり許されることではないが、母親が統一教会に一億円も献金し、それがために家庭崩壊しその恨みで安倍元首相は標的になったことから、山上容疑者への同情が集まりだした。

<日本が韓国に謝り続けなければならない、というトンデモナイ教義>
 ここでおかしな事は、日本の伝統文化を重んじ、日本の誇りを大事にする保守の代表的な存在である安倍元首相が、信じがたい教義を持つ統一教会に肩入れしていたことである。「日本は韓国を植民地支配したことからその反省をしなければいけないエバ国家にすぎない。韓国は本然の夫であるアダム国家である。エバ国家日本はその反省の証として、アダム国家韓国に罪滅ぼしに貢ぎ続けなければいけない」というのだ。この教義の下、霊感商法も正当化され、万物復帰とやらで日本の真面目な信者の稼いだ金が神に戻され韓国に流れていた。日本以外でこんなに金集めは行われていない。

<今でもノルマの献金が韓国に吸い取られる>
 1990年代から2000年ぐらいまでは毎年1000億円、今でも、推計年間数百億円ほどの日本の真面目な信者の献金が韓国の本部に送り続けられているという。強制はしていないと言いつつ信者の家庭に183万円の献金ノルマが課されている。教祖文鮮明が生きていたら103才、跡を継いだ夫人韓鶴子総裁が80才で足して183万円、という人を馬鹿にした金額で、聖地清平の本部(天苑宮)の建築費(総工費約500億円)に充てるというのだ。
 いろいろ新興宗教団体が多い韓国では、旧統一教会はそれほど広まっておらず、むしろビジネスをしている宗教団体として認識されているという。

<後世代に謝罪を続けさせないという安倍元首相の立派な考え>
 1993年河野談話により慰安婦動員の過程の強制性を認め、1995年村山談話により日本は過去に犯した侵略を植民地支配と謝罪し反省している。そして安倍元首相はことある度に、歴代の内閣の考えを引き継いでいるとしてきた。
 ところが、2013年の終戦の日の全国戦没者追悼式において、歴代総理が言及してきたアジア諸国に対する加害者責任には触れず、「深い反省」「遺憾の意」等を消している。更に2015年12月28日、朴槿恵大統領との電話会談の後の記者会見で「・・私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」と述べている。安倍元首相は第二次世界大戦後70年の節目に当たり、贖罪は自分たちの世代に限ると言い切っている。保守政治家として自負の表れであり、誰もが納得する見識である。

<1991年末文鮮明は勝共連合を脱して金日成と握手>
 ところが、その安倍元首相が、日本が韓国に跪き続けなければならないという、日本人にとって屈辱的な教義を持つ統一教会になぜ肩入れしなければならないのかが全く理解できない。大きな矛盾以外何物でもない。
 百歩譲るとして、自民党と統一教会は少なくとも冷戦時代は国際勝共連合で結びつく共通の目標があった。しかし、1989年ベルリンの壁がなくなり、1991年にソ連が崩壊した時点で、共産主義をサタンとして攻撃する共通目標がなくなっている。時代の変化をかぎ取った文鮮明は、1991年12月北朝鮮を電撃的に訪問し、金日成と義兄弟の契りを交わして抱擁し合い、35万ドル(約5000億円)の資金援助をやってのけている。文鮮明は共産党には勝ったし、残るは南北統一だと割り切ったのだろう。見事な変身である。この時点で統一教会は勝共連合から「勝日連合(?)」(日本を韓国にかしずかせる国とする)に衣替えをしてしまったといってよい。それでも自民党は腐れ縁を断ち切ることができなかった。

<惰性で統一教会を切れなかった自民党の重大ミス>
 安倍元首相が、本当に贖罪し続ける必要がないと言うなら、統一教会と縁を切るか、日本が韓国に貢ぎ続けなければならない教義に疑問を呈し、純粋な統一教会信者にその旨を告げてしかるべきだった。しかし、自民党も清和会も安倍元首相も惰性で関係を続けてしまった。
 表向きは贖罪を断ち切ると格好いいことを言いつつ、その裏でまじめな日本人の信者の血と汗の結晶が、同じように格好いいことを言い続ける文鮮明の韓国にむしりとられていたのである。そして、山上家のように多くの不幸な家庭が生まれてしまったのだ。

<無責任極まりないニセ保守>
 もしもこうした矛盾をわかっていながら、選挙の手伝いに目がくらみ、一票でも多く得るために近づき、おべっかを使い会合に出席し、ビデオメッセージを送りといったようなことをしてきたとしたら、あまりにも無責任である。それこそ日本の後世代に対しても失礼にあたる。片方でもう謝罪は必要ないと大見得を切りながら、選挙の勝利という現世利益のためにペコペコするというのは辻褄が合わず、見苦しい限りである。統一協会に対してのみならず、韓国に対してもこれだけ従属的な態度を平然と取り続けるのは、ニセ保守といっても過言ではない。

<保守論壇はなぜ国辱的教義を問題にしないのか>
 私は、このことについて疑問を持ち、『Hanada』、『Will』、『正論』の3つの保守系雑誌の9月~11月をめくってみた。どこも安倍元首相礼賛の追悼ばかりが満載で、この矛盾について保守論壇がほとんど触れていない。島田洋一(Will 11月号)と徳永信一(正論11月号)がちょっと触れているだけである。しかし、安倍元首相の功績の方が大きいとか、「自虐史観」「贖罪史観」と対決したとかで礼賛の理由に摩りかえられてしまっている。
 もしも、戦後リベラルの自虐史観を捨てきれない左派政党が同じく、贖罪意識一色の国辱的ともいえる統一教会と結託していたならば、保守論壇は一斉に叩き、口汚く批判を繰り広げただろう。それを見て見ぬふりをしているのか、口を噤んだままである。

<真の保守の矜持を示すべき>
 日本の国土を守り、伝統文化を引き継ぎ、後世代のことに思いを馳せて活動し・主張しているのが保守である。それならば、保守こそこれだけ社会的モラルに反し献金を強要し、まじめな信者やその「宗教二世」をどん底に落とし入れている統一教会と関係を断ち切れない自民党議員に渇を入れ、統一教会に即刻解散要求すべきではないか。それがいつもリベラルを攻撃するのに高飛車で居丈高な、名だたる(?)保守論壇からもそうした声はさっぱり聞こえてこないのはなぜなのだろうか。
 統一教会は、宗教という衣をまとい、安倍元首相という国葬までしてもらえる大政治家までだましてきたのである。こんな宗教団体の根絶こそ、真の保守が真っ先に取り組まなければならないことではないか。