« 2022年12月 | メイン | 2023年2月 »

2023年1月27日

<防衛問題シリーズ③>危機便乗型軍国主義が罷り通る日本 -北朝鮮のミサイル、ウクライナ戦争、台湾有事が日本を狂わす-23.1.17

 2023年度の予算では、新聞紙上で防衛費の増額の記事が満載である。また、安保関連3文書の作成絡みでも、敵基地反撃能力なる新語があちこちに登場する。
 かつては、日本は専守防衛に徹し、その証として防衛費はGDPの1%内に抑えるのが常識だったが一昔前と様相が一変した。ワールドカップ用語を借りれば、全く「新しい景色」であり、とてもブラボーなどといっていられない。日本が由々しき方向に向かいつつあるからだ。

<ショック・ドクトリンの再来か>
 ナオミ・クラインが大災害等の危機的状況につけ込んで改革を行うことを批判した(『ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義』2011年)。「災害資本主義」「火事場泥棒資本主義」とも呼ばれる。政変・戦争等に乗じて、あっという間に都合のいい仕組みに変えられてしまうというのだ。改革は危機的状況で行うのがベストというミルトン・フリードマンの徹底した市場原理主義・新自由主義の考え方である。
そして今、北朝鮮のミサイルが次々に発射され、たまに我が国のEEZ内にも落下し、日本列島を飛び越えて太平洋にも行き着いている。ただ、幸いに日本の国土には着弾していない。いかに北朝鮮でもそこまで無謀なことはしないのだ。
 一方ロシアがウクライナを攻撃して併合しようとしているのと同じく、中国も台湾に食指を動かし出すかもしれないと盛んに宣伝される。いわゆる台湾有事である。
 私には、政府とマスコミがこぞってオオカミ少年よろしく危機を盛んに煽り立てて、日本も防衛力を増強しなくてはならないと誘導しているように思えてならない。言ってみれば危機便乗型軍事大国化である。まだ現実のものになっていないにもかかわらず、世論操作・誘導をしているのだ。そう言えば、22年12月に、防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成したり、国民の反戦・厭戦の機運を払拭する事を目標として、防衛省が世論操作・工作の研究に着手したことが報じられた。

<怒りを忘れた日本の若者>
 世論誘導が功を奏してか、最近の世論調査では、半分以上、時には6割を超える国民が防衛力を強化すべしと答えている。今後5年間で43兆円を注ぎ込むことを是認している。戦争と言えば昭和世代は日中戦争から始まる第2次世界大戦になるが、Z世代とやらは全くピンとこず、ウクライナ戦争でしかなくなりつつあるのだろう。
 子供への支援等や他にももっと力をいれなくてはならない分野があるはずである。それをすっかり忘れている。これに気付いた岸田政権は、2023年の年明けとともに[異次元]の少子化対策などと慌てて言い出している。日本の防衛力増強の先で戦争に行かされるのは若者であり、その子供たちであることにまだ気付いていない。
 我々は気付いていないが、外国からは「3.11でも暴動に至らず、小学生でも起立・礼をする日本人は、いつ何時軍国日本になり命令一下国のために命を捧げる兵士になるかわからない」と恐れられている。日本に侵略された経験のある近隣諸国は、特に警戒を強めている。それなのにアメリカが歓迎していると報じられるばかりで、逆の反応は日本ではほとんど知らされていない。ここでも知らない所で世論操作が行われているのだ。

<真珠湾攻撃で救われたチャーチル>
 今、世界の首脳は、兵士といえども国民に血を流させることはできない。息子や夫を奪われることをおめおめと認める母や妻はいない。戦争遂行には大義名分が必要であり、国民が納得しないとできない。
このことは第二次世界大戦も同じだった。アメリカはかつてモンロー主義があり、他国のことには干渉しないという考え方が主だった。つまり一国主義、me-firstであり、トランプのアメリカ第一主義は何も目新しいことではなく、昔からのアメリカの本流であり伝統なのだ。
第二次世界大戦の初期、ヨーロッパはドイツに席巻されていた。しかし、アメリカは見て見ぬふりをして英・仏を助けようとしなかった。国民がヨーロッパ戦線への参戦を忌避していたからである。
 ところが、様相は1941年12月8日に一変する。日本の真珠湾攻撃である。いつも奇襲の代表とされ、2001年9月11日の時も、ブッシュ大統領は貿易センタービルへのテロリストの攻撃を21世紀の真珠湾攻撃と発言している。そして、これがアメリカ国民の愛国心を揺さぶり、アメリカは対日参戦することになった。チャーチルは、これで勝てると確信したと回顧録に素直に書いている。
 そして今、諸々の公文書の公開により、アメリカは、日本の動きを察知していたにもかかわらず、国民が愛国心を鼓舞されて参戦してもいいという状況を作るために、放置していたことが明らかになりつつある。
こうした謀略は、外交・軍事にはつきものなのだ。9.11の時でさえ、CIAは再三にわたり、ビンラディン一派のテロの動きを大統領に上げていたにもかかわらず、反応しなかったともいわれている。ただ、こちらはあまりにも生々しく、また、公文書等が公開されておらず推測の域を出ていない。しかし、アメリカはイラクに大量破壊兵器などないのに、それを口実にして平気でイラクを攻撃した国である。

<常に敵対国がいないと成り立たぬ軍事大国アメリカ>
 アメリカは、世界一の軍事大国を支える国内防衛産業を保持するためにも、常に敵対国が必要な国であり、もっと露骨に言えば10年に1回ぐらいはどこかで戦争がないと持たない国である。
 1991年ソ連の崩壊によりライバル国が消滅。アメリカの世論は、1980年代後半には膨大な貿易黒字を貯め込む日本を敵対国の候補に挙げたこともあったが、一時的経済大国に過ぎず、すぐしぼんでいる。だから、アメリカには新たな敵が必要だった。ブッシュは一時、北朝鮮・イラン・イラクを悪の枢軸と呼んだが、それに代わる強力な敵がイスラム過激派だった。

<マインドコントロールされる日本国民>
 そして今、戦争に突き進むとまでは言っていないが、防衛費増・敵基地反撃能力の正当化に全く同じ手段が使われている。台湾有事である。そして、1年間続くウクライナ戦争であり、もう慣れっこになりつつある北朝鮮のミサイル発射である。
 2023年1月5日、旧統一教会の信者を救ういわゆる救済新法は施行された。ここでのキーワードは、マインドコントロールである。我を忘れて信じ込み、自ら生活苦に陥っても献金を続けたり、家屋敷・田畑を売り払ったりして1億円を超える献金をする人がいる。

<頭を冷やして考えるべき>
 北朝鮮のミサイルは日本を狙うのか、いや違う。長距離のミサイル開発に余念がないのは、憎きアメリカの本土を攻撃するためである。日本が過度に日米同盟に拘わらなければ、敵対視する在日米軍基地を狙っても、東京や大阪を標的にはしまい。
 中国が台湾に侵攻することがあるのか。それはあるかもしれない。ただ、だからといって、その時日本の自衛隊が台湾に加勢するのか、いやできるのか。日本は「一つの中国原則」を認めており、そんなことをしたら内政干渉になる。見てみるがいい。ウクライナに武器・弾薬は送り込めても、参戦して助けている国はどこにもいない。台湾進攻のついでに日本に攻め寄せるのか。ロシアはウクライナ一国でさえ国際的批判を受けている。バルト三国やフィンランドにまで侵攻できるはずがない。
 日本の防衛を考えるにあたり、頭を冷やして冷静に根本から考えないとならない。

2023年1月18日

まだ水俣病の救済は終わっていない -地域と年代で救済に漏れた人を救わなければならない―23.01.18

<暫定的代表>
 私は、旧統一教会の被害者救済制度の実現に取り組んできた。それと同時に数か月前まで野党の「水俣病被害者とともに歩む国会議員連絡会」の代表を務めていた。水俣を抱える熊本県の野党議員がいないため、環境委が長い私が引き受けていたが、阿賀野川水銀の問題に取り組む西村智奈美前幹事長に代表を引き継いだ。

<1976年語学スクールのトンデモジョーク:日本の川にカメラを落としたら現像されていた>
 水俣病は、公害病の象徴として世界に知られている。
 私は1976年政府の長期在外研究員制度の下、アメリカに2年間留学させてもらうことになった。9月の新学期の前に少なくとも1か月は現地の語学スクールに通うことが義務付けられており、私は友人の助教授がいるワシントン大学のあるシアトルの語学スクールに通っていた。終了間際の授業で、ジョークを言えと命ぜられ、その前に先生が例を示してくれた。
「日本に旅行に行き、近くの川にカメラを落としてしまった。カメラを引き上げたが、せっかく撮影したフィルムが台無しとガックリしたが、取り出してみると現像が終わっていて節約になった」という際どいブラックジョークだった。工業生産でそれ程まで化学物質が垂れ流されていることを笑いにしていたのだ。
そして続いて出たのがミナマタだった。

<世界も知っている公害の象徴 水俣>
 原爆の投下地として広島・長崎は知られているが、環境問題に関心を抱く人たちには、ミナマタは意外とよく知られている。だから、2020年に水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスをパイレーツ・オブ・カリビアン等で世界に名を馳せたジョニー・デップが演じた『MINAMATA』が製作された。気候変動問題で揺れ、SDGsが提唱される今も水俣は知られている。
 ところが、日本ではまだ多くの水俣病の人達が、手足がしびれたりする障害に悩まされながらも、何の補償もされず捨て置かれている。そのことはあまり知られていないが、恥ずかしい限りである。

<水銀は体内に残る>
 こんな比較は失礼かもしれないが、旧統一教会の高額寄付はなかなか戻りにくいかもしれないが、今後の成り行きでは子供が返せと裁判を起こし、勝訴する可能性も見えてきている。また、今後は苦しめられている宗教2世にも救いの手が差し伸べられるようになっていくだろう。
 ところが体に水銀が残っている水俣患者とは異なる。今行われているノーモア・ミナマタ第2次訴訟で勝利し、今生き残っている1700人に補償が行われたとしても、水銀で蝕まれた体は元には戻らない。このことを考えると暗澹たる気持ちになると同時に、高齢になった水俣病患者を一刻も早く救ってやらなければならないと思う。

<水俣病患者の補償との闘いの歴史>
1950年頃水俣では魚が大量に浮上し、カラスが空から落ち、漁村の猫が100匹ほど狂い死んだ。
1956年4月、5歳と2歳の姉妹が原因不明の神経障害でチッソ附属病院に入院、同病院の細川一院長が同5月に水俣保健所に「原因不明の中枢神経病患者が多発」と報告し、水俣病の公式発見となる。当時、原因が分からず奇病や伝染病がうつると恐れられ、水俣の人たちは差別を受けた。
1958年9月、アセトアルデヒドを生産していたチッソは、工場排水の排水口を被害が発生していた水俣湾から水俣川にこっそり変更した。この結果汚染は八代海全体に広がった。
また、この奇病の原因解明に、行政もチッソも協力的ではない中、熊本大学の研究班が、1959年に原因を有機水銀と結論づけ厚生省に報告、厚生省が更なる調査の必要性を認めつつも、その後の必要な調査はなされず放置された。その間、チッソは猫実験で水俣病は現れなかったと発表、工場廃液の調査も拒否していた。
1962年 熊本大学教授の入鹿山且朗が「アセトアルデヒド工程の反応管から採取した水銀スラッジから、塩化メチル水銀を抽出した」と論文で発表。
1968年チッソ水俣工場はアセトアルデヒドの製造を停止、その後、厚生省が水俣病は「チッソ水俣工場の公害であり、生成過程のメチル水銀化合物が原因である」と認定した。
(第一次訴訟)
1969年、熊本地裁で第一次訴訟が始まり、1973年勝訴
(公健法)
1974年 公健法「公害健康被害の補償等に関する法律」で水俣病を対象とするも、認定に四肢末梢優位の感覚障害だけでなく複数の症状の組み合わせが必要とあり、認定患者は激減。救済制度として機能しなくなる。
(第二次訴訟)
・このため1979年第二次訴訟では、多くの未認定患者を水俣病と認め、更に1985年汚染魚を多食しているなど疫学条件があれば、水俣病に認定し国の認定基準は破綻していると批判。
・ところが、環境庁は認定基準を見直さなかったことから、1400人の原告が、新潟、東京、京都、福岡等全国展開で、チッソに加え、国、熊本県の責任を求める第三次訴訟を起こす。
・1987年熊本地裁は国と熊本県の責任を認め全面勝利し、各地で和解勧告されるも、国は和解拒否。しかし、国の責任を認める判決が相次いだため、国は医療費・療養手当のほかに患者一人あたり260万円の一時金を支払う政治的解決がなされた。
・2001年大阪高裁が、国と熊本県の責任を認め、感覚障害だけで水俣病認定、2004年最高裁も支持した。
(ノーモア・ミナマタ第1次訴訟)
・しかし、国は最高裁判決は1977年判断基準を直接否定していないと、判断見直しを拒む。
・そこで、水俣病不知火患者会は2005年、国と熊本県とチッソを被告として熊本地裁に損害賠償請求訴訟(第一次ノーモアミナマタ訴訟)その後、大阪・東京でも起こされ、原告数3000人に達する。
・2011年 医療費・療養手当のほかに原告一人あたり210万円の一時金支払いで和解。
(水俣病特措法)
・これを受けて2009年水俣病特措法「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」が成立し、約35000人が医療費・療養手当のほかに一時金の支給を受ける。
・その一方で、①根拠もなく行政の方針により対象地域が線引きされ②1969年以降生まれた人は救済対象にならず③県外居住者は情報不足で申請できないにもかかわらず2012年に締め切られた。
(ノーモア・ミナマタ第2次訴訟)
・そこで2013年、最後解決を目指して、熊本地裁に提訴、東京、新潟にも広がる。原告1700余名、そのうち200人が既に亡くなっている。
・大阪を加え、4地域の結審、判決が2022年から2024年初めにかけて行われる予定。

<延ばされっぱなしの健康調査>
 誰が水俣病患者かと見極めるには、学術的な根拠が必要であり、同じような症状を訴える者の診断、すなわち調査をしなければ判断できない。ところが、政府は特措法で健康調査を免じているにもかかわらず13年間、調査方法の研究開発段階と称して、1年に1回その経過を説明するだけで先延ばしにしている。福島第一原発事故後の子供の甲状腺癌の調査も一向にしようとしないのと同じである。
 完璧な治療基準なり、健康調査などありえない。不十分でもいいから関係者の健康調査を行い、刑法の「疑わしきは罰せず」ではないが「疑わしきは水俣病患者」と決め救済していくしかない。前述のとおり、裁判で処理して補償が行われたとしても、体が元に戻るわけだはない。せめて安心して医療を受けられるよう医療費・療養手当・一時金でお詫びするのが筋である。

<司法で救済しつつ、最後は政治決着>
 水俣病患者の救済の歴史を見ると、司法が力を発揮してきたことがわかる。しかし、最後はやはり政治が手を貸さないと本当の決着は図れない。過去の不始末は素直に詫びて速やかに救うべきである。
 特に地域限定などもってのほかである。我々団塊の世代などは地方では食べていけないことから大都会に出ていくのが常だった。育った所が水俣や阿賀野なら汚染魚をたくさん食べているのだ。汚染された場合はずっとそこに住んでいる者となんら変わることはない。
 また1968年以降の生まれは影響ないなどとなぜ言えるのか私には理解できない。
原発に胎児被曝というのがあるが、水俣病の場合は、子孫への影響はわからないのではなかろうか。頼むから子孫にまで悪影響を及ぼさないようにと願わずにはいられないが、体に大量に水銀が溜まってしまっている者には子供に悪影響があるほうが素直な見方ではなかろうか。
 国は幅広く救済することしかない。

2023年1月 5日

2023年・令和5年 地元各紙新年号への寄稿文 -23.01.05

地元の各紙新年号への寄稿文
『 北朝鮮・台湾がきなくさいからといって平和国家を捨ててはならない(北信ローカル様)』、
『 マスクを外せる日が待ち遠しい(長野経済新聞様)』、
『 長野市を「信都(しんと)」の上に「森都(しんと)」にしよう(長野建設新聞様)』 を以下に掲載いたします。

『北朝鮮・台湾がきなくさいからといって平和国家を捨ててはならない』
 世に紛争の種は尽きない。しかし、現代において、よもや先進国が直接関わる戦争が1年近く続くとは誰が予想しただろうか。少なくとも昨年の元旦は、コロナは大問題だったが、その他は平穏無事だった。
 それが今、プーチンはウクライナとの戦いで核をちらつかせ、核戦争の危機さえも現実のものとなりつつある。また、同じことが中国と台湾の間でも起こるかもしれないというのだ。更に北朝鮮が何回もミサイル発射実験を繰り返し、日本の領海に落下しJアラートが発動されることが度々あった。日本も身近に危機が押し迫っているかもしれず、初詣では願い事の一つに戦争が早く終わることを加えないとなるまい。
 日本は、第二次世界大戦後、戦火に見舞われることはなく75年間を平和に過ごしてきた。我々はそれを当然のこととして考えていたが、例外だったのかもしれない。
 だからといって防衛費を今後5年で2倍に増やせば安全というわけではない。ところが、一部の人たちが、これを奇貨として敵基地攻撃能力(反撃能力と改めている)を持つべきだといった、10年前では考えられなかったことを主張し出している。そして、更に驚くべきことに、世論調査も防衛費の増額も敵基地反撃能力も支持が不支持を上回っている。しかし、恐怖にかられて道を誤ってはならない。
 2023年は、慌てることなく、専守防衛という日本の立ち位置をしかと考える年にしないとならない。


『マスクを外せる日が待ち遠しい』
 臨時国会の所信表明で岸田首相は外ではマスクをはずそうと呼びかけた。ところがそれから数か月経っても東京では電車の中でも、ハロウィンで賑わった渋谷でもマスクをしたままである。もちろん私の一番長くいる国会でも同じであり、本会議の壇上でもマスクをしたままの発言が続いている。
 世界はとみると、ほとんどどこもマスクをしていない。辛うじてゼロコロナの中国で時たまマスクを見かけるが、日本のようにこぞってという形ではない。
 ただ、コロナ感染症が世界中で猛威を振るっていた頃は、ほとんどマスクの習慣のない欧米先進国でもマスクを着用した。空気感染が危険だとわかり、それを防ぐにはマスクが有効と科学的にわかったからだ。早速、欧米諸国は法律等で規制し違反者には罰金も課した。外出禁止も銃を持って取り締まった。
 ところが、日本はマスク着用も外出自粛もすべてお願いベースであり、法律は何一つも作られていない。不思議な法治国家である。かつてのベストセラー評論家山本七平がいう「空気」が決めているのである。今風に言うと同調圧力である。
 どこでもマスクをしている国は今や日本一国になってしまった。そこに第八波が来て(11月23日現在)長野県は最大の感染者(4328人)を記録し、人口比でいうと北海道についで2番目に多い。死亡者数は感染者数に比べてそれほど増えておらず、国民(県民)の拒否反応も当初と比べてそれほど高くないが、ますますマスクが必要となりつつある。
 マスクの他の効用は、私のようなズボラな者には髭剃りを忘れてもよくなることと、知人に気付かず顔も忘れたりしているのに、マスクでわからなかったと言い訳できることぐらいで、あとはろくなことはない。
 マスクを外す日が感染症が終焉した時である。
今年の元日は、国民がこぞって1日も早くマスクを外せるようにとお詣りするしかないのかもしれない。


『長野市を「信都(しんと)」の上に「森都(しんと)」にしよう』
 これを言うと怒る人がいるかもしれないが、長野市の中心部には緑が少ない。ただこれは全国の地方都市に共通かもしれない。
 中心街をざっと見渡してみると大きな木があるのは、ひまわり公園ぐらいで、近くにはほとんど見当たらない。
 これはすぐ東側(朝日山)にも北側(地附山、三登山)にも緑の山々がよく見えており、河川敷にも緑が多く、身近に緑の木もほしいという渇望感がもともとないからかもしれない。それにしても木が少なく緑も少ない。特に最近は、市役所の周りなどを中心に、一般住宅がほとんどなくなり、ビルと駐車場ばかりが目立つ。
 長野駅から善光寺に至る中央通りは、トイーゴのある昭和通りから北(上)側は歩道がきれいに整備され一息つける腰掛も設置されている。ところが、日差しを遮るものがなく、ゆっくりと足を延ばしておれず、どこかチグハグである。本物の街路樹が少ないのに、今(12月)はLEDのイルミネーションによる街路柱(?)で飾られている。通常は、葉の代わりに枝の先までぎっしりと付けられるが、中央通りの木は枝が切られ電柱のような木に巻き付けられているだけのものが多い。
 パリでは、女性市長イダルゴが「都市の森」を造ると張り切っているのに、東京では神宮外苑の木を1000本も切り倒すという。世界は挙げて気候変動問題に取り組み、SDGsを目指している。それをもともと緑に恵まれている日本や長野がその有難さを忘れて緑をないがしろにしていては罰があたる。「信都」長野市も、この際ダブル「シント」、すなわち「森都」も目指してもいいのではなかろうか。