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2023年2月22日

【神宮外苑シリーズ②】21世紀の日本人の世代責任は美しい環境を残すこと -歴史的神宮外苑のイチョウ並木は自然遺産に値する- 23.02.22

 2022年11月、船田元衆議院議員を発起人代表とする「神宮外苑の自然と歴史・文化を守る議員連盟」(27名)が発足した。
 既に2020年の東京オリンピックに向けた国立競技場の建設の時からみられたが、皇居と並ぶ東京の聖地ともいうべき神宮外苑が、日本がずっと進めてきた経済優先・効率優先の延長線上で、ズタズタにされんとしているのである。それを東京都が認め、国が唯々諾々として何も言わずにいる。100年以上生き永らえてきているイチョウの木が伐採される危機に瀕しており、これを何としても喰い止めないとならない。国際的にみてもとても考えられないことだからである。

明治神宮外苑再開発関係年表

<国民の奉仕でできた神宮外苑>
 1912年明治天皇が崩御された後、その遺徳を偲ぶ施設として陸軍青山練兵所に国内の拠出金、拠出木(10万本)、労働奉仕(のべ11万人)で造られたのが外苑である。青年たちの労働奉仕に敬意を表して日本青年館も建てられている。1926年の完成後は、宗教法人明治神宮(国が建立)に払い下げられた。「神宮外苑志」によると、今後外苑には明治神宮に関係ない建物を造らず、清浄と美観を保つとされていた。

<偉大な先達は先手を打って緑を守ってくれた>
 先人は偉大である。乱開発を抑えるため、大正期末に神宮外苑ができると、表参道、裏参道などが日本初の風致地区に指定された。そればかりではない。戦後1945年米軍に接収されたが、返還前の1951年神宮外苑一帯が風致地区に指定された。接収解除後に復興にことかけて自然破壊が進むことを懸念して先手を打ったのである。
 それが、いつの間にか三井不動産、伊藤忠商事、スポーツ振興センター(JSC)そして明治神宮(内苑)の四事業者によって再開発されることになってしまった。100年の時空を超えて創建の志が反故にされんとしているのだ。

<2013年、2020年東京オリンピック開催決定後、再開発が本格化>
 神宮外苑が再開発に晒されるようになるのは2000年に入ってからである。東京オリンピック関連の高橋治之絡みで名前が頻繁に登場する電通が、2004年「外苑プロジェクト『21世紀の杜』」を持って各社に参加を呼びかけた。2005年森喜朗・石原慎太郎東京都知事が会談。石原知事が2回目の東京オリンピックをぶち上げ、2009年には2016年大会に正式に立候補するも落選。しかし、ラグビーW杯の日本開催が決定。2013年に東京五輪の誘致が決定して再開発の動きが本格化し、高さ制限が15mから80mに緩和された。
 それを受けて、イラン人の建築家ザハ氏の国立競技場計画が一旦採用されたが、巨大すぎて費用もかかりすぎたため、隈研吾教授の案に替わり高さ47m(従来の4倍の広さ)の新国立競技場が建設された。その時に1545本の樹木が伐採され、霞ヶ丘都営住宅が公園に組み入れられ、デモの聖地明治公園が廃止され、旧日本青年館の建て替えが行われた。 

<東京オリンピックと併行する神宮の再開発>
 2019年に東京都が「2020東京オリンピック後の神宮外苑の街づくり検討」を作成した。これを上位計画として四事業者の前述の時代錯誤な再開発計画が発表された。
 ところが2020年は新型コロナウイルス感染症の蔓延により開催が延期され、2021年に強行された時は無観客となり、せっかくの観客席は使われなかった。何の因果か、2020年東京オリンピックは最初からケチのつきどおしだった。SDGsの時代に世界中がこぞって緑を保全し地球環境を守ろうとしている中で、全く逆のことをしようとしていることに天が怒ったからかもしれない。2022年8月には高橋治之元東京オリンピック組織委理事が逮捕され、その後も森泰夫組織委大会運営局元次長にも拡大し続けている。そして、いずれも電通が絡んでいる。

<東京オリンピック後に明らかにされる「神宮のビルの杜」(?)構想>
 2020年2月東京都は秩父宮ラグビー場周辺の約3.4haの公園の指定を解除した。これにより、オフィスや商業施設の入る高さ80mと185mの2棟のオフィス・商業施設、高さ190mの宿泊・スポーツ施設と計3つの超高層ビルが建ち、広々とした空間景観が破壊される。神宮球場とラグビー場が移設されることにより、由緒ある樹木の大半が伐採されてしまう。イチョウは大昔から生き抜いてきた頑強な木であり、600~700年の寿命があり、今の木は大体100年を超えてそびえ立っている。新球場がイチョウ並木に近接するため、枯死の危機に直面する。

<新建築家技術者集団東京支部(新建東京)の緑を保全する代替案>
 新建東京は、スポーツ施設整備に名を借りて緑と青空の景観を壊す商業施設の大規模開発に代わり、神宮外苑の歴史と文化を継承し、緑を守り都民が憩い利用できる代替案を提示している。
① 神宮球場、秩父宮ラグビー場:現在地で必要な修理を行い継続活用
② 神宮第2球場:廃止し、跡地は利用しやすい施設の整備を協議
③ イチョウ並木等の樹木:保全し、東京を代表する景観を守り引き継ぐ
④ 絵画館前広場:創建当時の共生広場に再生し、都民が自由に憩える場として活用

 石川幹子東大名誉教授は、球場とラグビー場を入れ替えなければ、2本しか伐らないですむとしている。また、日本イコモスとともに22年10月3日に、神宮外苑を国の名勝に指定すべきと提言している。

<再開発計画への疑問>
 東京新聞の調査(22年6月末)によると、再開発には69.5%が反対しており、賛成は5.7%にとどまっている。また、「わからない・回答なし」が24.9%に上り、周知不足も明らかになった。他に10月以降10万人強の反対署名も集まっている。中心となったアメリカ人コンサルタント、ロッシェルカップさんによると、そこに寄せられた反対の理由は以下のとおり根源的でありかつ単純明快である。
・ 野球場とラグビー場をなぜ交換するのか(野球場へのアクセスをよくして集客を多く
    すると反論)
・ なぜ改修で済ませられないのか(樹木は2本の伐採で済む)→大規模工事なく企業に
    旨みなし
・ 入会金88万円の高級会員制テニスクラブがなぜ優先されるのか
・ リモートワークが増えているのになぜ超高層オフィスが必要なのか
・ 日本スポーツ振興センターは国の機関なのになぜ事業側になっているのか

<500年後にイチョウの大木の並木を残す>
 事業者の環境影響評価案によると、伐採樹木は971本、シンボルの4列のイチョウ並木は保存するものの、建て替える神宮球場が並木に8mと接近するために根が枯れたり生育環境が悪化したりするおそれがある。また、植え替えが検討されているが、国立競技場の建設時に植え替えられた木は枯れているものも多い。
 文化財保存の専門家でつくる日本イコモス国内委員会や研究者は、文化的、歴史的価値の観点から、新たに植え替えても外苑の創建時に植えられた樹木の代替にはならないと反対し、2023年1月25日、4事業者の提出したアセスメント評価は不適当だとして再評価を求める意見(80頁)を公表している。
 オフィスビルなど銀座、新宿、渋谷、池袋、品川とどこでも建てられる。それをわざわざ100年のイチョウ並木を伐採して建てる愚行は許されない。500年後の東京都民にそして日本国民に、樹齢600年のイチョウの大木の並木を残してくれたと感謝されるほうが心は豊かになるのではないか。

2023年2月 2日

【新型コロナウイルス感染症シリーズ17】同級生の顔も覚えずに卒業する高校3年生を今すぐマスクから解放すべき - 法律もなくマスクを強要する非民主主義国・日本-2023.2.2

 20年初、中国でのコロナ発生に対して台湾は矢継ぎ早に対応策を打ち出していた。1月15日感染者が1人も出ていないのに法定感染症に指定し、2月6日中国への渡航を禁止した。2月2日高校以下の教育機関で始業を2週間延期し、一連の対応は後に「神対応」と絶賛された。

<安倍政権の格好付けの犠牲にされた教育>
 それに対して日本は、何もコロナ対策をしてないという批判に対し、安倍政権が20年2月27日突然学校を標的にして休校を決めた。遠いアメリカすら中国との往来を禁止したのに、安倍政権は習近平の来日、東京オリンピック、中国からの部品輸入等の懸念から何も手を付けておらず、対応が後手後手に回っていた。そのため、何かやっているということが必要だった。そして犠牲にされたのが子供である。驚いたことに感染者が一人も出ていなかった岩手県庁も素直に従っている。諸外国ではとても考えられない強権発動である。
 学校に行きたくても行けない。卒業式も中止された。授業も相当遅れてしまった。もちろん6万8000人近くに到達した死亡者が一番の犠牲者であり、この中に羽田雄一郎参議院議員も含まれる。 しかし、大きなかたまりの犠牲者でいえば、コロナのために学校を休まされ、友達とも遊べず家の中に閉じこもり状態にされ、授業が再開されてもマスクをずっと着けさせられるなどの規制だらけで3年が過ぎてしまった子供たちである。

<マスクを強要する非民主主義国日本>
 安倍首相は、足りなくなったマスクを供給せんとしてあまり使われなかった「アベノマスク」を全国民に配布するというドタバタ対応もし出した。フランスは法律で、密になる公共交通機関と店内はマスク着用を義務付ける一方、その他は自由にした。極めて科学的・合理的である。それを日本は、明確なルールもなく、国民全員にマスクを推奨という曖昧な形で強要してきている。これでは、ゼロコロナを強いた中国と変わりなく、民主主義国とは言えまい。
 安倍政権は、経済を重視して緊急事態宣言の発出を躊躇しながら、教育すなわち子供にツケを回し、大人と同様にマスクを付けさせてしまったのだ。
<参考【新型コロナウイルス感染症シリーズ10】地方は工夫しながら一刻も早く授業を再開すべき(休校・9月入学 1) - 学習の遅れは夏休み返上と学習指導要領・標準授業時数の修正で対応 - 20.05.05>

<マスクの子供の中でも最大の被害者は高校3年生かもしれず>
 子供たちはコロナにはかかりにくい。かかっても亡くなることはまずない。コロナのウィルスの性質の悪さがここに出てしまっているが、若者や子供たちにうつっても無症状のことが多く重症化しない。しかしそのウィルスを高齢者に伝播させると大変なことになる。だから全員がマスクを着用することになった。楽しい給食も黙食とやらで、お喋りが禁止され前を向いて食べなければならなくなった。運動会や修学旅行といった行事もことごとく変更されたり、中止されたりした。落胆することも多い3年間ではなかっただろうか。
 それでも公立の小・中学校の場合は、ずっと小さな頃から幼稚園や保育園などが一緒で近所で遊んできたので顔も名前も分かるのではないかと思う。ところが高校はあちこちの中学から皆集まってきて初めて会う人たちが大半である。それにもかかわらず、マスク着用を強いられたため、最初からまともに顔も見ることもなく、あれよあれよという間に3年間が過ぎ、そのまま卒業を迎えんとしている。

<2022年を象徴する仙台育英・須江監督の名言>
 これでは10年後同級会で集まっても誰が誰だか分からない。このような哀れな高校生を作ってしまったのである。短大生は2年で卒業してしまっているが、大人でありそれなりに対応できただろうが、真面目な高校生は厳格なルールをひたすら守って3年間を過ごしたに違いない。
夏の甲子園で初めて白河の関を越え真紅の大優勝旗を持ち帰った仙台育英の須江航監督はインタビューで「青春って、すごく密なので」と言い全国民の胸を打った。なぜなら、コロナ禍で人間関係が「薄く」ならざるを得ない3年間だったからである。
 誰もがそうだがいつもの退屈な(?)授業よりも、修学旅行や文化祭といった非日常の行事こそ一生の思い出となる。ところがその大事な機会がほとんど失われてしまったのだ。私の身近な話では、小学6年生が大挙して押し寄せる修学旅行の国会見学がパタッと止まってしまっている。

<日常化したマスク生活>
 過剰で有効性に疑問のある規制が多々あったが、その代表例の一つがマスクである。自分の感染予防にも他人への飛沫拡散防止にも有効なことはわかるとしても、あまりに日常化してしまっている。そして学校も教育もいっしょくたにしてしまっており、マスクのルールに全く工夫がみられなかった。
 今は、マスクを外すのが怖いという人たちもいるようだ。化粧もしなくてよくずっとマスクをつけていたいという女性もいるという。私などもマスクで隠れるからと髭剃りもよく忘れるようになった。この手の話をすると止まる所がない。

<「口を塞いで」「青春に穴を開けた」マスク>
 同級生の顔が覚えられないのだから、異性に興味を持つ年頃の高校生が、マスクのために異性の顔をまともに見られなかったのだ。これは悲劇であり喜劇である。思春期にまともに異性の顔を見たこともなくては、今の晩婚化に拍車をかけてしまうかもしれない。少なくとも高校の同級生同士の結婚が少なくなるのは必定である。そうなると岸田政権が最重視するという少子化対策にもマイナスである。

<待ち受ける大学入試のためマスクして防戦する高校3年生>
 コロナ感染症を2類から5類への変更が5月8日と決められた。その際マスクの着用も原則不要にすることが専門家の間で議論されているという。得意の他人の判断、すなわち政府の責任逃れである。サミットはマスクなしにしたいから急いでいるとも言われている。しかし5月では遅すぎる。同級生の顔を知らずにそのまま高校卒業するというような酷いことは一刻も早く解消してやらなければならない。報道によると小中学校の卒業に間に合うように3月に子供のマスク着用緩和案が浮上しているが、急ぐのは高校生でも同じである。入試が終わったらもうマスクを放り投げてもよいようにしてやるべきである。
 この提案を関係者にしたところ、気持ちはわかるが現実は全く逆で、今(1月下旬)は最もマスクをきちんとしてコロナに感染しないように気遣いをしているのは、他ならぬ高校3年生だというのだ。私立大学の入学試験はもう始まっている。コロナに感染して入試が受けられなくなったら大変である。そうした者には別途受験の機会を与えるというが、明らかに不利であり、自主防衛するしかない。最後までコロナに翻弄されているのだ。

<マスク規制を外す世界>
 隣国韓国では、1月30日、2020年10月から実施してきた屋内での着用義務を解除した。ただ病院や公共交通機関では当面継続される。アメリカでは、全州で着用義務が撤廃されている。欧米で一番厳しいドイツでも2月から撤廃すると決めている。
 日本では経済活動の再開は熱心だが、教育や子供の活動については無頓着であり無理強いを続けている。岸田首相の「聞く力」とやらの対象は経済界の声が中心で、子どもの声は入らないようである。

<子供たちは一斉にマスクから解放すべし>
 岸田首相は国会の議論も経ずしてさっさと安保関連3文章を決めたが、それと同じ手際の良さで、卒業式を控えた子供たちにはせめて学校の中ではマスクをしなくてもよいと学校に促すべきである。その代わり祖父母(高齢者)にコロナをうつしてはならないので、逆に高齢者には今まで以上にマスクの徹底を呼びかけたりすればよい。他に感染防止の方法はいくらでもある。
 同級生の顔も記憶に残らず、胸をときめかせた初恋の人の顔も定かではなく(いやその機会がなかったのかもしれない?)マスク越しの目から上だけしか記憶に残らないというのはあまりに哀れである。せめて最後の1ヶ月か2ヶ月、同級生の顔をずっと見て、大声で話すという普通の高校生活を送らせてやるのが大人の義務である。