故岡野俊一郎氏の嬉しい誤算 -日本人に本当にサッカーは根付くのか- 17.02.19
<誰とも話せる私の特殊な役割>
今から約30年前、私は岡野さんと徹夜で話し込んだことがある。いや、一緒に徹夜で話をさせられた。臨教審(1985~87年 中曽根内閣)の合宿の時である。埼玉県の嵐山町の国立女性教育会館で真剣に議論が行われた。私は農水省から派遣された、いわば助っ人の事務局員、岡野さんはスポーツ界を代表する有識者として、スポーツと教育の関係を中心に見識を期待された委員だった。合宿は事務方も大変で、1日の審議のまとめ、中間報告を急がねばならなかった。もちろん中心はプロの文部省(当時)の出向者であり、助っ人の私の役割は意外なところにあった。夜一杯飲みながらの懇親会にお喋りで誰とも話せる(?)私の特技を使って、談論風発の岡野さんのお相手を務める羽目になった。そして、他の人たちがどんどん消えていく中、私と岡野さんだけが残り本当に徹夜のサッカー論議となった。