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2008年10月27日

盟友 故青木一市長を偲ぶ-2008.10.26-

-去る10月26日 故青木一市長の市葬がとりおこなわれました。代表の一人として奉読した弔辞をご紹介します。-

本日、ここに、故青木一市長の市民葬が執り行われるに当たり、中野市民としてまた友人として、謹んで哀悼の意を表し、御霊に申し上げます。
 青木市長、君は本当に市長にぴったりの性格、そして体格でした。巨体をゆすりながら積極的に市政に邁進する姿は、中野市のシンボルとなりつつありました。今、こうして君を失ってみると、君の存在感の大きさがまざまざと感じられます。
 顧みれば、君と私は、高校の時から四十五年の長い付き合いでした。君は、あのころから恰幅が良く、やせこけた私から見ると羨ましい限りでした。長野電鉄に乗って、長野と中野を往復する間のお喋りは楽しいものでした。君の回りにはいつも明るいほのぼのとした雰囲気が漂っていました。君の天性の明るい性格の故です。
 君は吹奏楽班に入り、大きな体で、一番前でクラリネットを吹いていました。作曲家・中山晋平と作詞家・高野辰之の故郷で、音楽に理解のある市長が誕生し、中野市の音楽活動が更に盛んになりました。吹奏楽班が野球の応援で球場に必ず行っていたことから君は野球通にもなり、四十年後、市長としてグランセローズの誘致を実現したのだと思います。そして、グランセローズの応援のため、多忙な公務の中、足繁く中野市営球場に通う君の姿と、母校の応援のため必死にクラネットを吹いていた君の姿とが二重写しになりました。
 

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2008年09月02日

残飯でニワトリを飼おう!-中野JCのほほえましい活動によせて- 08.09.02.

 中野JCの総会の第2部に出席しました。礼儀正しく、北信のJCでもスタイルがちょっとずつ違います。中野JCは律儀に来賓、新役員、新メンバーを一人ずつ紹介するという丁寧さで、我々の挨拶も入り、1時間20分ほどかかりました。

<親から子への引継ぎに一安心>
 その間ずっと同席していましたが、微笑ましいものも感じました。お父さんの名前と顔が彷彿するメンバーをゆっくり見られたからです。土建会社、ガソリンスタンド、歯医者、中小企業町工場、薬局の店主など、職業も様々です。地道に仕事が父から子へ継承されていることがよくわかります。もうひとつ微笑ましいのがありました。中野JCが食と命の大切さを教えるために子供達を養鶏場に連れて行き解体の現場まで見せる活動をしているということです。
 私は地域間格差についての挨拶を考えていましたが、この2つのことがありましたので急遽話を変えました。何故かというと、この2つのことに隔世の感を感じたからです。
一つは後継者が皆揃っているのに対し、農業は後継者がほとんどいないという惨憺たる状態です。後継者がいない業界がまともな業界と言えるでしょうか。JCのメンバーとあまりにも違うことを考えて欲しいと訴えました。

<身近な鶏>
 次は鶏です。こんなこと言っても年寄りの繰り事と言われるかもしれませんが私の小さい頃は鶏はそこらじゅうにいました。朝コケコッコーの声で起きてしまうこともありました。残飯が主な餌で、今高騰している輸入飼料穀物などありませんでした。
 家で作ったとうもろこしを乾燥させ、冬仕事に、機械に上から突っ込みグルグル回すと粒が取れていく。自給飼料造りでした。そして、農家の横には鶏小屋があり、鶏が農家の庭先を所狭しと走り回っていました。そして、鶏糞を畑に返していました。夕方になると鶏小屋に追い込むのが子供の仕事の一つでした。いつも小屋に入らない悪い癖のある鶏もいました。卵を小屋の中の指定した場所に産まず、自分の好みの場所にしか産まない鶏もいました。祖母や母が「卵貯金」をしていて、それで小遣いを稼いでいました。農家にとっては大事な現金収入源だったのです。そして栄養源でもありました。

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2008年07月11日

3人の研修生を長野で受け入れ 08.07.11

<6月のドタバタ>
 国会が6月中旬に閉幕して以来、私は雑務が東京にあってあちこちに行ったりしましたが、7月に入り、ずっと長野にとどまっています。6月はサマータイム法案の関係で全議員の9割がたの事務所を訪問し、クタクタに疲れました。その後、突然降って湧いた前原さんの民主党農政批判に対する反論・対応、それから小沢代表の長野入りと色々ドタバタすることが続き例によって疲れました。

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2008年02月29日

画家 三沢忠 文部科学大臣賞受賞祝賀会における挨拶。08.02.29

( 私の地元中野市の生まれ育ちで日展の評議委員の画家三沢忠さんが、
この度日本の絵画での最高の栄誉である文部科学大臣賞を頂きました。
私もその受賞祝賀会に招かれて挨拶をいたしました。その挨拶をご紹介
いたします。)

 三沢忠画伯、栄誉ある文部科学大臣賞受賞おめでとうございます。
私は三沢さんの絵は、三沢さんの才能が根底にあるとは思いますけれども、
我が故郷中野市の風土が生み出したものではないかと思います。中野には
すでに全国的に著名な芸術家がいます。作曲家の中山晋平です。それから、
合併いたしました豊田村の作詞家の高野辰之です。長野県中野市といって
も、なかなか皆さんにおわかり頂けませんが、中山晋平、高野辰之二人の
名前をあげ、日本の心の『ふるさと』はメロディー・歌詞も我が郷土の作詞家
・音楽家が関わっているといって自慢しております。日本のふるさとの歌はま
さにこの北信濃の風土の賜物です。そこに今回三沢忠画伯が加わりました。

 芸術家には、私は感性が必要だと思います。かつて私の講演を、知らなか
ったですが山本コウタローというシンガーソングライターが聞いておりました。
そこで私は、今と似た様な話をいたしました。そうすると山本コウタローさんが
私に言ったことは、「自分は東京生まれの東京育ち。だから、『走れコウタロー』
のあと『岬めぐり』と、この2つで歌手生活は終わった。自分には感性がなか
った」と嘆きました。それに対し松山千春さんは、北海道に根を張ったシンガー
ソングライターで、長続きしています。

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2007年11月14日

自転車で地域を訪問07.11.14


<10月19日付プレス民主173号に掲載>
私を知ってもらうにはミニ集会などがベストだが、秘書体制の脆弱さからなかなか開催できない。そこで、地道な支持者訪問を暇さえあれば行なっており、この夏から、自転車の荷台に配布資料を載せ、1人で訪問するという、効率的な新スタイルに行き着いた。

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