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2020年9月10日

篠原の過去5年間(2015~20年)の野党統合への軌跡-終始一貫して羽田孜イズム(幅広い野党勢力の終結)に汗をかき続けた-20.09.10

 私は他の大半の国会議員と異なり、羽田孜元首相や北沢俊美元防衛相の強い勧めにより2003年11月の衆院選に出馬し、当選させていただき政界入りした。
 1996年の水産庁企画課長の時以来足掛け8年間お誘いいただいたが断り続け、言い訳をしていたところ、その前提が崩れ、急遽出馬となった。行政官として初の農林水産政策研究所長を最後に55才で退官した。

<政権奪取後の第1回選挙に備えて協力してほしい>
 羽田さんの「政権与党になっても政権奪取後民主党への期待感が失望感に変わって浮動票頼みの都市部の議員は軒並み落選してしまう。政権奪取後の第1回目の選挙を勝ち抜き、自民党を10年は野党にしておかないと日本の政治は変わらない。都市政党、一区現象と言われているが、これでは浮動票頼りで政権維持ができない。律儀な有権者、農民に支持される政党にならないといけない。それには農政が必要で、君の力が必要だ」と口説かれ続けた。
 羽田さんは何もわからない私に8年間同じ言葉を吐き続けた。何度も同じことを聞いていたので、耳にタコができるほどになり、今でもずっと耳の奥に残っている。

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2020年8月13日

玉木代表の言い分は筋が通らない -お盆前の合流決着以外に野党の生き残る途はなし- 20.08.13

 8月11日(火)午後、国民民主党の執行役員会は水入り(?)を含め数時間に及んだ。
 私は、合流推進のための頭の体操(brain storming)用に下記の文章を作成し、ごく限られた関係者と意思疎通を図っていた。
 一方、私は玉木代表は始めから立憲民主党と合流する気がなくて、あれこれ言っており、飛び出す口実を作っているのではないかと心配していた。そこに上記会合後、記者会見し、分党し、自分は合流しないと言い出した。また私の心配した通りになってしまった。自分のことより党のこと国民のことを考えなければならないのに、予想していたとはいえ、あまりの無責任さに仰天した。それにもかかわらず、コロナ対策が大事だ、政策の一致が必要だとまだ格好をつけている。
 最初から最後まで合流を長引かすための言説を弄していたのだ。このため国民民主党や野党をどれだけ混乱させ、評価を落としめたかしれない。しかし、きちんと反論しておかなければならないと思い報告することにした。

以上8月13日

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2020年6月15日

【野党統合シリーズ】1%政党では比例復活は4~5人のみ- 立憲と国民民主の野党統合(41人以上)をして政権交代へ - 20.06.15

<文中の別表1~4はこちらから>

 12日には第2次補正予算が成立し、19日にはコロナ自粛もほぼ解除される見通しである。持続化給付金を巡る経産省・官邸のインチキの追及等残っているが、17日の国会閉会を機に政局が一気に動き出す。ところが、国民民主党(以下「国民民主」)は、1月以来野党統合に向けてほとんど進んでいない。
 そうした動きをしっかりと国民に見られているのだろう、どの世論調査でも支持率は1%前後と惨憺たるものである(別表1)。これが国会議員が4人しかいない社民党(支持率0.7%)ならいざ知らず、61人(衆39、参22)も擁する我が党の場合は異様である。国民からはもう国政政党としては完全に見離されているのかもしれない。

<19年参院選比例票から次期衆院選の比例区議席を予測:国民民主は10から12人>
 このような情況の中、次期衆院選が21年10月までには必ずやって来るし、早ければこの秋の臨時国会冒頭の解散がありうるとも言われている。以下に22人の比例復活当選組の見通しを分析した。

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2018年8月27日

津村候補の最後の一人の推薦人となる -支持率1%の政党を今後どう立て直すか- 18.08.27

<15年の政治生活前半半分は代表選にノータッチ>
  私はほかの普通の政治家とは違い、仲間で争う代表選挙は基本的に嫌いである。2010年の鹿野道彦候補の擁立以前は、どこの陣営にも顔を出さず、推薦人にもなることがなかった。しかし、このままでは民主党がつぶされてしまうという危機感から、中心になって鹿野擁立を図り、その後「素交会」というグループができ、その事務局長、幹事長として裏方で汗をかいてきた。その結果ずっと代表選に絡む羽目になり、どうも代表選好きと勘違いされている筋も見られる。
 昨年秋の総選挙とその後の党の迷走の途中体調を崩して以降、一切党内政局にはかかわらずにきた。今回は推薦人になどなるつもりは毛頭なかった。しかし津村陣営から強い要請があり、タイトルような結果となった。このことは信濃毎日新聞が簡にして要にまとめ報じてくれている。
  しかし、私を通じた党員・サポーターの皆様には事情をきちんとお伝えする必要があり、このブログ・メルマガを書くことにした。

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2018年5月 8日

国民民主党の結成は野党総結集の第一歩 -民進党と希望の党の合流にあらず- 18.05.08

1月から4か月間、ブログ・メルマガを更新せず失礼しました。

<10月下旬民進党の新党への衣替えを主張>
 元々前総選挙の後、民進党はなくなることになっていた。だから民進党の候補者は誰一人として立候補していない。前原代表は個人への踏み絵など絶対しないと約束をしていたのにその約束をやぶった。私はそれには応じられないと、最後の最後に希望の党への公認申請をしなかった。その後、希望の党は大敗北し、参議院の皆さんが怒り、希望の党になど行くものかといい、民進党が残ってしまった。
 それでも私は、民進党が残ってもいいが、国民は無くなったものだと思っているから、新党にすべきだと強硬に主張した。しかし、私の主張はすぐにはとりいれられなかった。そこで12月から1月にかけて、取りあえず統一会派をという提案をしたが案の定ダメだった。

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