篠原の過去5年間(2015~20年)の野党統合への軌跡-終始一貫して羽田孜イズム(幅広い野党勢力の終結)に汗をかき続けた-20.09.10
私は他の大半の国会議員と異なり、羽田孜元首相や北沢俊美元防衛相の強い勧めにより2003年11月の衆院選に出馬し、当選させていただき政界入りした。
1996年の水産庁企画課長の時以来足掛け8年間お誘いいただいたが断り続け、言い訳をしていたところ、その前提が崩れ、急遽出馬となった。行政官として初の農林水産政策研究所長を最後に55才で退官した。
<政権奪取後の第1回選挙に備えて協力してほしい>
羽田さんの「政権与党になっても政権奪取後民主党への期待感が失望感に変わって浮動票頼みの都市部の議員は軒並み落選してしまう。政権奪取後の第1回目の選挙を勝ち抜き、自民党を10年は野党にしておかないと日本の政治は変わらない。都市政党、一区現象と言われているが、これでは浮動票頼りで政権維持ができない。律儀な有権者、農民に支持される政党にならないといけない。それには農政が必要で、君の力が必要だ」と口説かれ続けた。
羽田さんは何もわからない私に8年間同じ言葉を吐き続けた。何度も同じことを聞いていたので、耳にタコができるほどになり、今でもずっと耳の奥に残っている。
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