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2011年04月17日

被災地石巻の視察 -11.04.17-

<急な総理随行>
菅総理が10日(日)に石巻に視察に行くというので、鹿野大臣から水産業の復興プランについて説明しておくように命じられ、8日(金)に説明に行った。TPPや食と農林漁業再生本部会合関係では頻繁に官邸に行っていたが、震災後は少々遠慮していた。
 中堅の事務方を連れて行ったが、彼等を帰した後、最近の諸々の情勢について40分余意見交換をした。その帰り、石巻での話は漁業関係者が中心になるだろうし、私が付いて行った方がいいのではないかと思い、総理に随行を申し出て、急遽同行することになった。

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2011年02月21日

市民権に次いで「村民権」も得た金子さんの有機農業 -2011.02.21.-

今、政局で揺れている。この件についても私のこうしたらいい、あるいは、こうすべきというのは山ほどあるが、内閣の片隅にいるので直接触れるのはやめておく。
 その代わり、心が晴れ晴れすることを報告したい。本当は2011年の年始のメルマガ、ブログにする予定だったが、例によって時間がなく今になってしまった。

(有機農業による村づくりで天皇杯)
昨年末、12月26日(土)、私は久しぶりに埼玉県比企郡小川町にいた。私の30年来の友人、金子美登・友子ご夫妻の霜里農場のあるところであり、平成22年度農林水産祭むらづくり部門天皇杯受賞のお祝いに駆けつけたのだ。金子さんは、私と同世代の農業者大学校の第1回卒業生で、1971年以来ずっと有機農業をやってこられたが、それが集落全体に広がり、関東農政局管内では久方ぶりの村づくり部門天皇杯に繋がったのだ。

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2011年02月04日

一泊三日のダボスのWTO非公式閣僚会議出張 -2011.2.4.-

(格調高いダボス会議)
スイスの保養地・ダボスには、毎年1月、世界中から2,000人を超える政治・経済界のリーダー達が集結する。通称「ダボス会議」に出席するためだが、正式には「世界経済フォーラム(WEF)年次総会」という。1971年にスイスの経済学者クラウス・シュワブ氏が、欧州の経営者を集め議論の場を作ったのが始まりとされ、今年は、メドヴェージェフ露大統領、サルコジ仏大統領などの各国首脳、潘国連事務総長、ラミーWTO事務局長など国際機関の長、著名投資家のジョージ・ソロス氏などが出席した。

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2010年10月29日

近くて遠い国、韓国 ―韓EU FTAの波紋と日本の突然のTPP参加検討 -10.10.29-

<突然の慌しい韓国出張>
韓国がEUとのFTAの正式署名をし、来年の7月から米の16品目(関税分類)を除いて10年以内に関税ゼロにして自由化されることになった。韓国は膨大な農業予算を使って、農業政策を講じながらチリ、米国、EU等と次々にFTAを締結してきた。この関係で、鹿野大臣から私は、突然9・10・11の三連休の間の韓国出張を命じられた。
韓国も9・10の土日は休みなので、日本の連休の11と12の2日間で行ってきたが、12日の夜大事な会合があるため、実質的には1日半という本当に忙しい出張であった。

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2010年10月05日

日本型根回し・調整の達人岩倉具三氏の死を悼む –一生かけて日本の農政を下支えた-10.10.05

 私がブログで、友人・知人の追悼を寄せるのは、尊敬する後輩 永岡洋治、自民党の若き宰相候補であった中川昭一(元財務大臣・元農林水産大臣)、青木一 前中野市長についで4人目だと思う。
 自民党の農林水産分野の裏方をずっと務め、政務調査会事務部長などを歴任してきた岩倉具三さんが73歳の若さで亡くなった。明治の元勲 岩倉具視さんの玄孫だという。同じような名前なので、多分その血筋かなぁと思ったが、鼻が大きく、ちょっと日本人離れした風貌であった。ドイツ人の血も混じっているという。

<農政の陰に岩倉あり>
 農林水産省で仕事をしていて、岩倉さんの世話にならないものはいない。何故かというと、農林部会・水産部会の取りまとめを岩倉さんが仕切ってきたからである。自民党の最も自民党たるゆえんは農林族である。米価闘争の頃などは1週間、いわゆるベトコン議員たち(米価値上げを要求する農村地帯を地盤とする議員:「米価問題懇談会」をもじって呼ばれるようになった)が騒ぎまくった。自民党農林族は、古くは中川一郎、渡辺美智雄が農政をリードし、その後は羽田孜、加藤紘一、 保利耕輔に引継がれ、中川昭一、松岡利勝と続いた。

 米価審議会の会場である三番町分庁舎、あるいは自民党本部や議員会館の中でそれは熾烈な議論が行われた。
 政治を巻き込んだ米価闘争ははるかかなたの昔の話になってしまったが、政策決定の見本が農政であることに変わりはない。うるさ型の農林族議員の間を走り回り、それを取りまとめてきたのは、他ならぬ岩倉さんであり、まとめられたのは類い稀なる能力とお人柄の故である。

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