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2006年11月07日

三重・熊野の森林を視察しました

11月4日、民主党農林漁業再生本部・森林林業再生小委員会として、三重県尾鷲市・熊野市を視察しました。
視察には、最近農林漁業政策に執心している菅直人代表代行はじめ、地元三重県の岡田克也元代表も参加しました。
世界遺産になった熊野古道を2時間近くかけて踏破し、海山町で1,070haの森林を所有する速水林業を視察しました。

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熊野古道・馬越峠でくつろぐ(左から)岡田元代表、高橋参議院議員、菅代表代行、森本衆議院議員、篠原

2006年09月20日

【メルマガ】滞在者が大半の国の悲劇(サハリン報告その4)

<元流刑地は係争の地>
 間宮林蔵が島であることを発見し、最上徳内も探検した樺太は、やはり、北海道がアイヌの地だったのと同じく、ウィルタ、ニブヒ、アイヌ等の住む別天地でした。
 日本では八丈島が島流しの地でしたが、1800年代、サハリンは流刑地でした。1890年、日本でも人気のチェーホフは、病を押してサハリンにやってきて大著『サハリン島』を残しています。チェーホフは今風に言えば、行動する作家だったようで、美術館の前に銅像が建てられています。
 1855年の日露通好条約で「雑居の地」とされた樺太は、榎本武揚の活躍により、1875年の樺太・千島交換条約でロシア領となりました。1905年の日露戦争を処理するポーツマス条約で南樺太は日本に割譲されましたが、第二次世界大戦でソ連が侵攻したまま、1951年のサンフランシスコ条約により日本は南樺太を放棄しました。つまり、ユジノサハリンスク(豊原)は、雑居の地→ロシア→日本→ソ連という変遷を辿った歴史的にも憐れな地なのです。

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美術館前のチェーホフの銅像 妻:嘉美と  

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【メルマガ】鉱物資源より生物資源を(サハリン報告その3)

<楽観的な担当者と懐疑的なロシア通>
 帰国早々、ロシア天然資源監督局が、「サハリン2」について、環境規制を順守していないとして、事業停止を求め、裁判所に提訴したとのニュースが目に入りました。私は、つい数日前、パイプライン南端のプリゴロドノエのLNGプラントを見学し、サハリン・エナジー社に出向している商社の担当者と話してきたばかりであり、案の定という気持ちでした。
 外資事業のサハリン2には、ロシア政府が圧力をかけていることが報じられていました。この点について、担当者は楽観的で、ロシア単独での開発や資源の販路開拓は無理であり、ロシアの経済当局と環境当局との権限争いとの見方さえしていましたが、ロシア通の学者や通訳の方々は、ロシアにはなんでもありと非常に懐疑的だったのが印象的でした。

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プリゴロドノエの巨大プラントの建設現場

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【メルマガ】日本人観光客増は先のまた先(サハリン報告その2)

<日本語案内のないサハリン航空>
函館空港・新千歳空港とサハリンの州都ユジノサハリンスクとの間はサハリン航空の定期便が運航しています。乗客が少ないので、函館とはプロペラ機、新千歳とは小型ジェット機です。内装が粗末なのや、機内をハエが飛び回っている(検疫上問題?)のは仕方がないにしても、日本発着の便で乗客の多くが日本人であるにもかかわらず、機内の案内はロシア語と英語のみです。
私は、フォーラムの交流の議論の中で、機内アナウンスに日本語がないという信じがたい対応を厳しく指摘しました。

博物館(日本統治時代からの建物).jpg
日本統治時代の堅固な建物の前で写真を撮るカップル

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2006年09月02日

【メルマガ】「ダーチャ」― サハリンの食料自給(サハリン報告その1)

<菜園付き別荘「ダーチャ」>
サハリン・フォーラムの翌日は、マイクロバスで郊外に足を延ばしました。市街を離れると、柵に囲まれた菜園と小屋が目につきます。これは、ダーチャといって、町の住民が農作業をしながら、週末や夏の休暇を過ごす別荘です。別荘といっても、ユジノサハリンスクの近郊には、あばらやといっていいほどの壊れかかった小屋も多くあり、日本人の考える避暑地の「別荘」とは全く異なります。

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きれいに耕されたダーチャの畑

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