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2010年03月05日

事務次官の廃止により霞ヶ関を専門家集団に 10.03.05

 今、公務員制度改革関係の法律が国会に提出され、審議されようとしている。私は提案されているいろいろな改革案の中で、非常に大切なのは事務次官の廃止だと思っている。いろいろな理由はあるが、何より霞ヶ関の中央官庁の官僚がつつがなく役人生活を送り、力を発揮するためにはいろいろな条件整備が必要であり、その一つが思い切りプロフェッショナルとして仕事をして一生を終える環境を整えてやることである。優秀な官僚のいるフランスには次官制度はなく、アメリカ・中国には複数の次官がおり、日本のような変なシステムは存在しない。

<専門性か応答性か>
 公務員改革は先進諸国では常に議論され進化を遂げてきている。幹部官僚制度についていつも議論されるのは大体2点、一つは政治家主導、日本的に言うと政と官の関係。二つ目は、局長なり長官が専門性を重視して仕事をするスペシャリストか、それとも応答性と言っているが、調整力、マネージメント力のある幹部かということである。私はこの点については、確実に専門性を重視し大事にしていくべきであると思っている。なぜかというと霞ヶ関には意外と真の専門家がいないということを実感してきたからである。

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2009年12月07日

行政刷新会議のその後 ― 日本の国家戦略を示す 09.12.07

<福嶋元我孫子市長→加藤構想日本代表>
 国民の圧倒的支持を頂いた行政刷新会議の作業は一応ひと段落した。鳩山個人献金問題で内閣支持率が下がるところを行政刷新会議が救ったというのが新聞のもっぱらの論調である。この行政刷新会議がやっていた事業仕分け、これは元はと言えば福嶋浩彦我孫子市長が市の補助金に市民審査を導入していたのに目をつけてた加藤秀樹構想日本代表が、都道府県や国レベルにも当てはめ体系化したものだ。

<河野太郎の政治勘>
 そしてそれを真っ先に政治の舞台に取り上げたのは河野太郎さんで08年8月、自民党の中で「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」が文部科学省の事業についてやり始めた。彼が行政刷新会議の会場を訪れ、「我々は反乱軍としてやっていたが、民主党は羨ましい、正規軍としてやっている」と嘆いていたが、事実その通りである。廊下で河野太郎さんに会ったときに「元祖なのにどう?」と言葉をかけたところ、「羨ましい限りだ」と悔しがっていた。
 河野太郎さんは外務委員長としても最も厳しく外務省のなまくら答弁を糾弾するなど、野党的な振る舞いの多い惚れ惚れする政治家である。大衆の気持ちを汲み取る政治勘は河野一郎以来の河野家のDNAかもしれない。

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2009年06月21日

舵を変な方向に切った農地法改正 -09.06.21-

 今国会で、農政の根幹をなす農地法の改正が行われた。改正とは言うが実態はまるで新法のようであった。民主党もいろいろ意見を申し述べ、他の省庁の法律が民主党からの修正案を取り入れているのと同様、野党民主党の要求を取り入れ大幅に修正されて衆議院を通過し、参議院でも賛成多数で可決された。

<自作農主義から耕作者主義へ>
農地法は長らく自作農主義というのを標榜してきた。しかし、途中からその考え方が変わってきた。詳しいことは避けるが、今回の改正は耕作する人を擁護するということを前面に出した法律改正である。何も目新しいことはなく、今実態がそうなっているのを追認した法律にすぎない。しかし、問題もいっぱい孕んでいる。

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2009年01月08日

林業関連育成による100万人雇用創出-究極の雇用創出は農山漁村で(その2)-09.01.08

<東国原知事のひやかし>
 2007年5月、私は菅直人代表代行と、山田正彦さんと三人でドイツのシュワルツバルトに行った。当時、検討を重ねてきた林業再生プランの追い込み時期に来ており、林業先進国のドイツの現状を見て歩くためであった。その成果が「森と里の再生プラン」であり、そこに100万人雇用創出という項目が書かれている。ちらっと見たテレビ番組で、東国原知事が民主党の参議院選挙のマニフェストの中で一番気がひけるのは林業による100万人の雇用創出だと言っていたことを覚えている。宮崎県は紛れも無い林業県だからである。東国原知事のいい振りはとてもできないけど、それが本当に実現出来るならといった、やや冷やかし半分の発言であったと記憶している。

<山村に戻ろう>
 しかし、そのプランを創りあげた私はそんな軽い気持ちで100万人雇用を打ち上げたのではない。数字を考えればすぐ分かることであるが、日本には30年前40年前に1500万人ぐらいが農林漁業に従事していた。各地の過疎山村にも今の二倍~三倍の人達が住んでいたのである。かつて住めて今は住めないということはない。前回のメルマガでも書いたが、見ず知らずなところに出ていったり、戦地に出ていくより、生まれ故郷に戻るのはずっと簡単なことなのだ。

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2009年01月07日

日本の再生は向都離村から向村離都で-究極の雇用創出は農山漁村で(その1)-09.01.07

<異様な都市への人口集中>
 明治以降日本は向都離村(都に向かって、村を離れる)状況がずっと続いた。江戸時代の静止人口3000万人のうち、当時でも世界一の大都市江戸には100万人が八百八町に住んでいた。それでも全人口のわずか30分の1である。それに対し、今、日本の総人口1億2千600万人のうち、1300万人、10分の1が東京都に住み、千葉、埼玉、神奈川の周辺の衛星都市を含めると、約3千800万人、4分の1以上が東京の近くに住んでいる。異様な都市への集中である。先進国でこれだけ異様な都市集中をしている国はない。

<人口調整してきた農山漁村>
 これは明治以降、特に戦後の日本の産業構造の転換の賜物である。特に高度経済成長期は外需依存が高まり、輸出型産業が幅を効かす太平洋ベルト地帯へ人口が大移動し、日本海側、あるいは農山漁村はいずれも急激に過疎が進行した。それより前に日本の田舎は兵隊の供給源になり、戦後は金の卵とやらで工場労働者の供給源となった。ただ、戦争中、あるいは戦争後に二度農村が都市部の人を受け入れたことがある。一つは学童疎開であり、もう一つは戦後の引揚者700万人の大半が田舎に住み着いた。
まさに人口調整弁として機能したのである。

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