日本の再生は向都離村から向村離都で-究極の雇用創出は農山漁村で(その1)-09.01.07
<異様な都市への人口集中>
明治以降日本は向都離村(都に向かって、村を離れる)状況がずっと続いた。江戸時代の静止人口3000万人のうち、当時でも世界一の大都市江戸には100万人が八百八町に住んでいた。それでも全人口のわずか30分の1である。それに対し、今、日本の総人口1億2千600万人のうち、1300万人、10分の1が東京都に住み、千葉、埼玉、神奈川の周辺の衛星都市を含めると、約3千800万人、4分の1以上が東京の近くに住んでいる。異様な都市への集中である。先進国でこれだけ異様な都市集中をしている国はない。
<人口調整してきた農山漁村>
これは明治以降、特に戦後の日本の産業構造の転換の賜物である。特に高度経済成長期は外需依存が高まり、輸出型産業が幅を効かす太平洋ベルト地帯へ人口が大移動し、日本海側、あるいは農山漁村はいずれも急激に過疎が進行した。それより前に日本の田舎は兵隊の供給源になり、戦後は金の卵とやらで工場労働者の供給源となった。ただ、戦争中、あるいは戦争後に二度農村が都市部の人を受け入れたことがある。一つは学童疎開であり、もう一つは戦後の引揚者700万人の大半が田舎に住み着いた。
まさに人口調整弁として機能したのである。