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    <title>しのはら孝blog</title>
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    <updated>2010-03-12T02:51:57Z</updated>
    <subtitle>衆議院議員 しのはら孝のブログです。</subtitle>
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    <title>３月１２日日本テレビ「太田総理・・秘書田中」に出演します－10.3.12－</title>
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    <published>2010-03-12T02:30:11Z</published>
    <updated>2010-03-12T02:51:57Z</updated>
    
    <summary>本日　日本テレビ夜8:00～「太田総理・・秘書田中」に出演します 　今回のマニフ...</summary>
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        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="A　お知らせ" />
    
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        本日　日本テレビ夜8:00～「太田総理・・秘書田中」に出演します

　今回のマニフェストの提案者は、くいしんぼう万歳などで活躍された辰巳琢郎さんです。
　私がOECD代表部に勤務中に、パリにお見えになられ、お食事を一緒にしたことがありました。日本の食や農業に対して本当に真剣に考えておられ、収録終了後の廊下でもずっと日本の食に対してお話をされていました。

　今回のテーマは「徴農制を実施します」　徴兵制をもじったもので言葉はこそあまり感心できませんが、国民に1年間農業に携わる期間を義務付けることにより、農産物や食の大切さを肌で感じてもらうというものです。流石に食いしん坊ならではの提案です。
　私も賛成の立場から議論をしましたが、例により2時間話して放送されるのは5秒という番組です。どのぐらい出してもらえるかは分かりませんが、ご興味がありましたらご覧下さい。
        
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    <title>事務次官の廃止により霞ヶ関を専門家集団に　10.03.05</title>
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    <published>2010-03-05T09:11:42Z</published>
    <updated>2010-03-05T09:14:16Z</updated>
    
    <summary>　今、公務員制度改革関係の法律が国会に提出され、審議されようとしている。私は提案...</summary>
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        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="C　政策" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        <![CDATA[　今、公務員制度改革関係の法律が国会に提出され、審議されようとしている。私は提案されているいろいろな改革案の中で、非常に大切なのは事務次官の廃止だと思っている。いろいろな理由はあるが、何より霞ヶ関の中央官庁の官僚がつつがなく役人生活を送り、力を発揮するためにはいろいろな条件整備が必要であり、その一つが思い切りプロフェッショナルとして仕事をして一生を終える環境を整えてやることである。優秀な官僚のいるフランスには次官制度はなく、アメリカ・中国には複数の次官がおり、日本のような変なシステムは存在しない。

<専門性か応答性か>
　公務員改革は先進諸国では常に議論され進化を遂げてきている。幹部官僚制度についていつも議論されるのは大体2点、一つは政治家主導、日本的に言うと政と官の関係。二つ目は、局長なり長官が専門性を重視して仕事をするスペシャリストか、それとも応答性と言っているが、調整力、マネージメント力のある幹部かということである。私はこの点については、確実に専門性を重視し大事にしていくべきであると思っている。なぜかというと霞ヶ関には意外と真の専門家がいないということを実感してきたからである。]]>
        <![CDATA[<事務次官の不祥事とその原因>
　事務官も不祥事を起こす。最近では事務次官在任4年以上にわたった守屋武昌元防衛事務次官が収賄容疑で逮捕された。役所で「大物」といわれた事務次官経験者ほどこの種の事件を起こしがちである。リクルート事件の高石邦男元文部事務次官、厚生省汚職事件の岡光序治元事務次官などで、どちらかというと人材が少ない官庁である。守屋元事務次官の場合は防衛産業界、政治家からみて「使い勝手」がよいことで、重宝がられてたのである。多くの組織は仕事二の次で、「調子」のいいのが出世する傾向が強い。
　中央官庁でも、中堅までは企画立案能力の優れた人材が大事なポストにつくが、局長、長官クラスになると、業界、政治家やマスコミにも「いい顔」をする「調整型」が残りやすくなる。その一方で異能のプロは弾き飛ばされていき、役所の活力が失せ、企画立案能力もなくなっていく。

<事務次官の強大な権限>
　こうしたことが生ずる一因として、中央官庁では、早期勧奨退職制度、つまり50歳くらいをすぎたら、キャリア官僚はいつでもやめさせられる人事制度により、事務次官が強大な人事権をもっていることがあげられる。知事も人事権をフルに使えるが、気に入らない者を閑職に追いやることはできてもやめさせることはできない。
　事務次官は側近で周辺を固めることも、ライバルを蹴落とすことも自由自在にできる。いつでもクビにする権限を持つ事務次官に部下が抵抗できるわけがない。まして守屋元事務次官の場合は、官房長もやり十年以上も組織のトップとして人事権を握ってきており、部下やまわりは週末の接待ゴルフを知っていても誰も注意すらできなかったのだろう。
　「次官の暴走」を抑え、適正な幹部人事を行なわなければならない。この観点から、各省庁に１９７０年以降の次官の平均在職年数を調べたところ、財務一年三ヶ月、旧自治一年四ヶ月と短い省庁と、旧郵政一年九ヵ月、防衛・旧文部・旧運輸が一年十ヶ月と長く、二年以上在任するケースが目立った。
　戦後、事務次官経験者は不祥事で八名逮捕されているが、そのいずれもが後者のグループに属する役所であり、在任期間とも相関関係があると思われる。つまり権力は腐敗するのである。

<全員が事務次官を目指す悪弊を排す>
　そうしたいかがわしい官僚ばかりがはびこるのを阻止し、国のために役立つ専門家の官僚を育成する突破口が事務次官の廃止である。何故かというと、事務次官を廃止すれば、皆一つの分野、例えば農林水産省でいうなら、３０年間のうち、水産庁に15年勤務し、最後に水産庁長官になれればいいと、自分の得意分野を一つ、二つの局・庁に定めて仕事をするようになるからである。人事もそういう流れに沿って行なわないとならない。アッチチョコ、コッチチョコと全局・庁に行き、ジェネラリストだといっている人たちが事務次官になり、皆がそれを目指して仕事をするという無駄はなくさないとならない。人材の無駄遣いであり、有能な人たちには専門家として存分に働いてもらうべきなのだ。
　残念ながら、霞ヶ関の行政官には世界に通用し、国際機関にすんなりと受け入れられるプロは少ない。なぜならば、日本の中央官庁の人事システムが専門家を育成し、登用するシステムになってないからである。専門性に優れるフランスの官僚が幾多の国際機関の長（好例はラミーWTO事務局長）の供給源であるのと好対照である。

<最近の次官廃止論>
　既に事務次官会議は廃止され、また事務次官の大事な仕事の一つである記者会見は廃止されている。もう一つの大きな仕事である人事を、大臣・副大臣・政務官がやることになれば、事務次官のいる必然性は全くない。こうしたことを私はすでに決算行政監視委員会（09年4月22日）で渡辺喜美行政改革担当大臣に質問の折にし、提言をしている。
また去年の秋頃から片山 善博　元鳥取県知事が新聞紙上で同じような主張をし始めた。そして、仙谷由人国家戦略担当相が同じような考え方を示し始め、法案の附則に書かれていたりしている。
最近知ったことだが、異能の元通産官僚・八幡和郎氏（フランスのENA（国家行政院）に留学）が1997年2月25日号のエコノミスト誌に事務次官廃止を強く主張し、著書にも書いていた。最もまとまった事務次官廃止論である。

<事務次官の役割は政治決定・人事は大臣、調整は官房長が代替>
　事務方としての調整は、他の局長横並びの官房長がやれば十分である。そして人事は、大臣等（政務三役）がやればよいのだ。ただ政治主導とするためには大臣の在任期間は一年では足らず、もう少し長期にしないとならない。

<民間は専門家>
　民間企業の人事は、人事、労務、経理、営業　等に分けられ、その範囲内で人材が育成されていく。そして、商社でいくなら、水産、鉄鋼、繊維･･と物別に分かれ一生その「物」の専門家として仕事をし続けるのではないか。そのため、自分の得意分野を極めようとするし、また、自分の専門分野がなければ、生き残れないことになろう。そのうちの何年かの入社組の1人が社長となるのが普通である。
それをなぜ役所はひとりあちこち回り、何でもそつなくこなす能吏（私に言わせるとインチキ・ジェネラリスト）ばかりが残され、事務次官になる仕組みになっている。もちろん、調整能力も必要であるが、そんなことは政治家がやればいいことであり、官僚はあくまでその道のプロこそ必要なのだ。

<政治改革とセットですすめる公務員制度改革>
　公務員制度改革は政治制度改革とセットで考えなければならない。次官を必要とし、局長、長官をジェネラリストにせんとする動きは、政治家と行政官の役割を混同し、官僚に調整やマネージメントを委ねる政治力のなさの表れである。政治家はリーダーシップを発揮して、国家百年の大計を考えて理念を持って国家戦略を決めなければならず。重要な政策決定をしないとならず、官僚は専門性を高め、政策の立案・実施能力を発揮しなければならない。]]>
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    <title>中山間地域活性化の夢２つ（飯山市新年会あいさつを加筆修正）10.01.26</title>
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    <published>2010-01-26T07:03:32Z</published>
    <updated>2010-01-26T07:06:28Z</updated>
    
    <summary> 　与党になった民主党の衆議院議員　篠原孝です。 　与党になったからへらず口を叩...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="長野での活動" />
    
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        <![CDATA[<与党議員はへらずぐちを叩かず>
　与党になった民主党の衆議院議員　篠原孝です。
　与党になったからへらず口を叩いてはいけないと注意を受けたので自戒の意味で申上げることにしています。（笑）
　おかげさまで、昨年は始めて小選挙区当選させていただき、政権交代も実現することが出来ました。ただ、予想されたことですが、なれないせいでフラフラの政権運営です。私は傍らでハラハラしております。（笑）

【農業者戸別所得補償報告】
<唯一の前倒し、農業者戸別所得補償>
　農業者戸別所得補償についてご報告します。
　直接給付が財政的にも効果があり、効率がよいということで、欧米ではかなり前から行なわれていますが、日本国政府は国民を信用せず、共同でないと補助金は出しませんでした。しかし、自公政権で定額給付金が最初の直接給付となりました。子ども手当も、高速道路の無料化も同じです。ただ、地方負担とか自主的寄付、あるいは6000億の予算を1000億に削られるなど先送りされ、暫定税率の廃止は実質的には完全に先送りとなりました。
　そうした中で、農業者戸別所得補償だけが2011年度実施が1年前倒して一兆円の半分の5618億円の予算として実施されることになりました。本当は、2010年は制度設計に全力をあげるべき年なのに、そっちは先送りという本末転倒した話です。]]>
        <![CDATA[<歪められた政策>
　この政策、2004年にでき、恥ずかしながら5代目の代表ですが、一貫して民主党農政の柱となってきました。2006年代表になった小沢さんに、悪女の深情けとでも言うのでしょうか、すっかり気に入られ、名前を直接支払いから、農業者戸別所得補償と変えられました。そして今回は、幹事長として満額確保要求した結果です。わが子が可愛いい典型ですね（笑）
　党内議論は全くの無視し、米だけ先行とかとんでもないことを言い出し、理由も無く作物の単価をバラつかせて農家を混乱させ、制度設計もろくにせずに、私が大事に育ててきたものとはかなり違って、、、、あっと、野党的な発言となってしまい慎まないとなりません（笑）

<富倉スノウヒルズ>
　次に新年ですので、2つの夢をお話したいと思います。
　一つは、飯山に新幹線が通る頃は、この手つかずの農村風景は資源となり超高級住宅地、保養地になるということです。既に冬景色がいいということで移り住んでいる方がおられます。今日も楽しそうに雪かきされている世田谷からの移住者に会いました。
　パソコンをおもちの方は、最近の私のブログ「-芋井ヒルズ、七二会ヒルズ、小田切ヒルズが脚光を浴びる日- 09.12.31」をお読みいただきたいと思います。デュアルライフ（仕事は大都会でし、週末は田舎でのんびり過ごす）にピッタリなのが新幹線駅が出来た後の飯山です。
　こういうことを言うと悪いのですが、秋山郷と違い、長野市の中心から15分のところで、自然環境に恵まれている長野市の西山地区は、欧米先進国なら高級住宅地で、六本木ヒルズどころではないということです。
　その中間の飯山は自然も人情味も残る日本のふるさと、10年後は冬景色を好む人たちにの人気の的となり、富倉スノウヒルズとして超高級リゾート地になっているかもしれません。第２の軽井沢です。皆さんもその準備をしていただいてもよいと思います。

<Ｕターンを側面援助>
　二つ目は、観光なりよそのヒトの前にここで生まれて育った人達に戻っていただくことです。我々は「コンクリートから人へ」のスローガンの下、政策を大胆に実行し始めました。子ども手当が典型です。
そろそろ親父もガタがきはじめた、自分の会社もどうなるかわからない、そこで中山間地域なり地方に戻って農業をしたいがどうやって食っていけるかわからない、という人たちが多いはずです。この人たちに援助の手を差し延べ、キッカケを与えたらいいのです。　
　高度経済成長時代、ほっておいても田舎のまじめな若者が、東京に吸い込まれていきました。最初は次男なり三男、女性だったのに、長男・長女まで出ていかれてしましました。そして、限界集落ばかりが増えてしまいました。まさに、向都離村（都に向かって村を離れる）ことがずっと続いたのです。そしてこの人達が日本の発展を下支えしてきたのです。

<Ｕターンに５年間１００万支給>
　このあたりで逆、つまり向村離都にしないとなりませんが、残念ながら、村にはそんなにお金の吸引力がありません。しかし、人手は不足しています。田畑が放置され、山と森が荒れています。意を決してふるさとに戻らんとする人に、年間100万円、生計を立てていく目処がつくまで5年間継続して支援する方策が考えられます。Ｕターン限界集落活性化手当とでもいえるでしょう。1万人でいくらかかるかというと100万円×1万人=100億円、5年間で500億円です。日本経済を活性化したかどうか不明の定額給付金が2兆円です。定年前なら３０代でも５０代前半でもよいと思います。これで過疎地に若者なりがふるさとに戻れ、子どもも戻れるなら、こんな安上がりの中山間地域活性化はないと思います。

<飯山でモデル事業を>
　３０代前半で子どもが３人いたら、子ども手当の１００万円もあります。それなりにやっていける低成長時代の中山間地域の活性化にはこれぐらいのテコ入れ必要です。
農業者戸別所得補償は、野党時代の２００４年に主張し始め、実現に５年かかりましたが、今回は与党ですし３年以内に実現したいと思います。
　今回はせっかくの機会ですので夢を２つ語らせていただきました。出身者と濃密なコンタクトをとる飯山の皆さんに、このモデル地区となっていただきたいと思います。]]>
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    <title>保護主義がなぜ悪いか　-10.1.4-  長野経済新聞2010年1月5日寄稿</title>
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    <published>2010-01-04T05:14:56Z</published>
    <updated>2010-01-26T00:04:05Z</updated>
    
    <summary> 日本の地方が疲弊し切っている。これは誰の目から見ても明らかである。地方へのバッ...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        <![CDATA[<地方疲弊の3大原因>
日本の地方が疲弊し切っている。これは誰の目から見ても明らかである。地方へのバックアップにはいろいろな手法があると思うが、鳴り物入りでスタートした「ふるさと納税」も善意に頼る仕組みであり、ほとんど効果を挙げていない。それでは一体どのような政策手法があるのだろうか。

私は、日本の地方の疲弊の原因として、

①自明のことであるけれども第一次産業の疲弊

②やたら頼った落下傘工場が外国に出て行ってしまったこと

③大型郊外スーパー、レストランが出来てしまったこと

があげられると思っている。つまり、自由化、規制緩和の行き過ぎが日本の地方を疲弊させたということだ。]]>
        <![CDATA[<自由貿易は絶対的善にあらず>
　これについて、前から注目していたが、フランス人の人類学者エマニュエル・トッドという人が本を書いている。人口統計に表れた乳児死亡率の高さから1976年の昔にソ連の崩壊を予言し、最近では金融崩壊にも警鐘を発していた。世の中には先の見える人がいるのである。
　結論は、自由貿易は必ずしも善ではなく、むしろ保護主義のほうが貿易であっても拡大させ、経済の活性化に繋がっている。規制緩和なり自由貿易がすべて善だというのは間違いだということだ。私は実感としてこのことを常々考えており、20数年前の産経新聞の「正論」という雑誌に「自由貿易は絶対的善にあらず」という小論を寄せたことがある。私の主張は農産物の自由化を阻止せんがための遠吠えのように聞こえて、あまり皆さんには聞き入れてもらえなかった。

<過度の自由化がリーマンショックの原因>
　しかし、金融の過度の自由化、規制緩和がリーマンブラザーズの破綻を招き、金融システムの崩壊が世界経済を直撃した。そして貿易にも打撃を与え、世界を不景気に落とし入れてしまった。今や政府が介入したり、バックアップしなければ持たない企業や産業界が増えているのだ。典型的な例が自動車会社である。
　ビッグ3がよもや政府の援助なしでは潰れてしまう事態がくるとは予想できなかったのではなかろうか。

<日本の農村風景を変えた農産物自由化>　
　日本の今の現状を見るにつけても、日本の農村を疲弊させたのは、1にも2にも外国からの農産物の輸入だったと思う。現にかつて作っていた菜種は消え、田んぼの畔に作っていた大豆も消え、小麦も作らなくなっている。長野は降雨量は700ミリと少なく、水はけもいいので小麦に向いており、お焼きやうどんやそばといった麺類の消費が今でも日本一であり、その原因は小麦が良く取れたからだった。
　詳述はしないが、EUはかつて捨てたひまわり・菜種・大豆を保護して見事に復活させている。民主党は、私が中心となりこれを見習って日本でも戸別所得補償により、これらのいわゆる土地利用型作物を復活させようとしている。

<保護主義による貿易拡大>
　自由化や規制緩和は経済を活性化させるための手段であったが、いつの間にか目的化してしまって、何でも自由化し規制緩和しなければいけないという風になってしまったのではないかと思う。
　トッド曰く（私の解説も入るが）、農業を保護し、日本でそれなりのものを作れるようにしておき、農家がちゃんとやっていけるようになっていれば、農家もいろいろなものを買う購買力がある。したがってその買うものの中に外国からの輸入品も含まれるのでかえって貿易は拡大するというものである。これが本当であるかどうかは実証してみる必要があるが、これだけ地方が疲弊してしまっては、トッドの考え方に惹かれるのは無理はないのではないか。

<大店法改正がシャッター通りの原因>
　大型店舗とシャッター通りとの関係も図星である。
私が1990年頃、日米構造協議というものを農水省の対外調整室長としてどっぷりと担当した。その時に日本人が妻だという、リン・ウイリアム通商代表が盛んに、大規模店舗法によるスーパー進出の規制を緩和するように主張した。それを受け入れて、日本中の郊外に田畑をつぶしてスーパー・コンビ二がはびこり出した。これによりまたたくまに地方の商店街が疲弊していった。
　これに対しフランスは頑として地域の商店を守る政策を堅持し、小さな店がパリでもどこでも残っている。フランスの規制があまりにも厳しいので、フランスのスーパー、カールフールは自由な日本にも進出したが、あまり芳しい成績は残していない。

<農産物自由化をやめ、大規模店舗を規制すべし>
　過度の自由化過度の規制緩和をして、社会全体がガタガタになってしまっては元も子もない。私は日本の地方を活性化するには、思い切って過度な農産物を自由化をやめ、国内で作れるものはなるべく国内でつくるようなシステムに変え、かつ、かつてのように商店街が生き残れるように、郊外の大規模店舗を規制するのが一番近道ではないかと思う。しかし、残念ながら、あいかわらず工場誘致とか、大規
模店舗の進出等に血眼になっている地方自治体が多いのにはがっくりさせられる。
　大胆な政策転換が必要なのは、国だけではなく地方も同じなのだ。]]>
    </content>
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    <title>フランスの少子化対策の解決の手法　-深刻な日本の少子化問題-　09.12.31</title>
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    <published>2009-12-31T01:14:02Z</published>
    <updated>2009-12-31T01:19:47Z</updated>
    
    <summary> 　2007年の参議院選挙の折、突然、子供手当てというアイデアが出され、選挙戦を...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        <![CDATA[<フランスの真似した子供手当て>
　2007年の参議院選挙の折、突然、子供手当てというアイデアが出され、選挙戦をそれで戦った。2009年の衆議院選挙も、子供手当てが前面にクローズアップされてきた。これは私がずっと携わってきた、農業者戸別所得補償と同根の直接給付という手法である。
　フランスで大成功したということで、金額の中途半端な額2万6千円もフランスと日本の比較をしながら定めた額だという。15歳まで義務教育の間、月2万6千円、一年間で31万２千円、生涯で約500万円というのはかなり巨額の手当てである。私は、てっきり子供手当てでフランスがヨーロッパ先進国の中では珍しく、合計特殊出生率を2に回復したと聞いていた。

<仏の社会人類学者エマニュエル・トッドの指摘>
ところが、最近読んだ人口人類学者のエマニュエル・トッドの本を見て、違うのではないかということをはじめて知らされた。
エマニュエル・トッドは1976年、ソ連の乳児死亡率の異様な高さから、はじめてソ連崩壊のにおいを感じ取り、それを本にしたためている。ソ連崩壊を15年ほど前に予告した人である。今回は、金融界の過度の自由化、規制緩和に問題を投げかけ、金融危機の発生を見事に警告していた。アメリカの暴走や資本主義の行き過ぎを一貫して批判してきた碩学である。
そして今は、保護主義の復活を唱えており、1年ほど前にNHKの番組で紹介された後、時々、日本の新聞・雑誌に紹介されるようになっている。
今、読んでいる本は、『デモクラシー以後』という最新の本である。そこに意外な事実が隠されていた。明確に子供手当ての功績ではないと書いてはいないけれども、どうも違うようなのだ、そういえばトッドはプロの人口学・社会人類学者である。
]]>
        <![CDATA[<出産率は晩婚化で10年下がっただけ>
　トッドの『デモクラシー以後』から引用すると、フランスの出生率の変遷は以下のとおりとなっている。
1964年　合計特殊出生率は2.92。避妊を認めるヌーベルト法が1967年12月に採択され、「非嫡出」子が増加した。合計特殊出生率は1993年に1.66と最低になり、胎外出生児は半数近くの47%を占めていた。西欧先進諸国の中で唯一今、合計特殊出生率が2を上回ることになった。
　ただトッドは、人口統計学的に分析すると、潜在的生殖期間の終わり（45歳ぐらい）までに生む子供の数は、一貫して２前後で、以下になったことはなく、晩婚により、子供を作るのが遅くなっただけで、２に再び上昇したのではないというのだ。ここでは詳述しないが、権威主義的相続（長子相続）か平等相続か否かで出生率を論じていて興味深い。

<フランスの見事な女性政策・子育て支援システム>
それからもう一つ、フランスが2に回復した理由は、何よりも保育園、幼稚園の充実によるところが大きいというのだ。フランスは、いわばアメリカの対極にある国である。社会福祉が充実し、労働組合が強く日本と違った意味で社会主義的といわれる、私の3年間のパリ暮らしの経験でいえば、20年近く前なのに幼稚園、保育園の充実振りには驚かされた。3人の子供のうち2人は学齢に達していなかったが2人とも夕方5時まで面倒を見てもらっていた。お陰で妻はフランスやパリを堪能する時間を多く持てている。日本は専業主婦が大半で、子供に社会性をもたせるべく午前中だけにおけばよいといった中途半端な幼・保育だが、フランスは女性の就業と子育ての両立が出来るシステムを作り上げていたのである。日本のように保育所の待機児童が何万人といった悲惨な状況はみられない。そうだとすると、子ども手当をいきなりやるよりも、フランス同様、保育園の拡充、夜6時　7時までの保育といったことを拡充させたほうがいいということになる。
子ども手当は鳴り物入りで出発しているが、その効果が現れるのは何年後かということだ。折角巨額をつぎ込むので、きちんと実を結んでほしいと思うが、どうなることか先行心配である。

<所得制限なしがベスト>
12月17日今日現在で言うと、小沢幹事長が国民の声だとして、子供手当てに所得制限を設けるべきだという要望を伝え、そのことが大きく新聞に取り上げられているが、そんなことはむしろ些細なことのような気がする。私は、この点については所得税を累進課税でもってお金持ちからいっぱいとることで解決し、所得制限をこんなところに導入したら、納税者番号制も導入されていない日本では市町村の事務担当者が困るので、これは導入すべきではないと考える。

<フランスの過剰福祉の因果？>
　フランスは子供に手厚い延長線上で、婚外子にも温かい手を差し伸べている。結婚しないでもカップルで結婚と同じ社会保障や税制の権利が与えられており、2008年には婚外子が52%と半数を上回ってしまった。トッドのいうフランスの平等主義（ドイツ、日本は長男なり直系重視で正反対という）が行き過ぎて、家族が潰れつつある。母子加算をやめたりする日本と大違いなのだ。

<結婚をした人は子供を生んでいる事実>
　団塊の世代は年間270万人の出生数だったが、2008年は109万人、2050年には49万人に落ち込むという。合計特殊出生率は1971年の2.16から低下をはじめ、2008年には1.37である。
　ただ、日本もよくみるとフランスと同じで結婚した女性は子供を生んでいる。つまり有配偶者出生率は高いままなのだ。それに対し、結婚が減少していること（有配偶者率の低下）が合計特殊出生率の低下の大きな要因となっている。50歳まで未婚者である生涯未婚率は、1960年ごろまで男女とも２％未満だったが、2005年には、女性7.2％、男性15.6%と上昇した。

<結婚しない若者、結婚できない若者の結婚促進>
　現在の若手層の未婚率はさらに高く、非婚化は構造的な問題である。となると、日本の少子化の根本的解決は、結婚の促進ということになり、まずは仕事を安定させ、給料を高くして経済的に自立できるようにすること、つまり景気をよくすることが必須である。次に結婚して出産してもフランスと同じく仕事を続けられる環境整備が必要となる。

<驚愕の「子ども必要ない」４２%>
　ところが、１２月６日明らかになった内閣府世論調査は、もっと深刻な事態を曝け出している。結婚しても必ずしも子どもを持つ必要が無いと考えるひとが、４２．８%を最高に達したというのだ
特に２０代、３０台は６割が子どもにこだわらない社会意識が定着しつつあることがわかってきた。男女比では女性のほうが４６．５％も子どもを持つ必要がないと答えている。また、結婚しなくてもよいという人が７０％に達している。
いずれにしても日本の少子化の根は深いということであり、子ども手当で終わるのではなく、真剣に取り組むべき課題である。
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    <title>-芋井ヒルズ、七二会ヒルズ、小田切ヒルズが脚光を浴びる日- 09.12.31</title>
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    <published>2009-12-31T01:02:20Z</published>
    <updated>2009-12-31T01:10:27Z</updated>
    
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        <![CDATA[<中山間地域の活性化問題>
　私は常々、中山間地域の問題に関心をもってきている。農林業の衰退の様相が最も如実に現われているからである。その延長線上で、国会議員になってから支持者訪問を一番北の果ての栄村から始めた。そのあと、担当の地域の違いもあって、長野市担当、長野市以外の担当と分かれたので、長野市の担当の訪問先に最初に選んだのが、芋井地区であった。04年の3月・4月芋井地区を回った。景色が良く、いいところではあったが、ご多聞にもれず廃屋が多く過疎化が進んでいることがよくわかった。この地域の活性化のために何ができるかと自問自答しながら訪問した。
　そうした中、前回市長選に出てもらい、残念ながら敗れてしまった小林計正さんが、入山地区の影山地区にずっと住み続けており、「こんないいところはない」と言っているのには、全く共感し、心強く思ったことを覚えている。]]>
        <![CDATA[
<5年振りの西山地区回り>
　2004年の6月鹿野道彦　現予算委員長からアドバイスを受けた。「どこを回っているのか？」という問いに対し、「中山間地域が大変なので、長野市の人家のあまりない中山間地域を回っています。」と答えたところお叱りを受けた。「何を馬鹿なことを言っているんだ、小泉は必ず郵政解散をする。もっと人口過密地帯を回っておかないとダメだ」と言われた。その当時、郵政解散などと言っている人はいなかった。しかし、鹿野さんに言わせると、「同じ　清和会で、当選回数では小泉さんが一期上。あまり相手にする人がいないんで、酒も一緒に飲んでやったこともあるが、ともかく変わっていて、郵政民営化さえ出来ればあとはどうでもいいと思っている。それだから、必ず郵政選挙をぶつけてくる。解散したくてしょうがないんだ。」ということであった。
私は、芋井地区、小田切地区、七二会地区を回る予定であったが、鹿野さんの指示に従って取りやめた。そして、住宅地の浅川と若槻をまわっていたところで、鹿野さんの予見どおり、8月8日急に解散し選挙となった。その鹿野さん本人は残念ながら議席を失ってしまった。

<自然の景色が溶け込む恵まれた環境>
今回3度目の選挙では小選挙区で当選したので、それではゆっくりと再び中山間地域の現状を見なければということで、七二会地区、小田切地区と回り始めた。
　あれから5年、その間にも廃屋はもっと増えてしまっているのだろう。どこに行っても、おじいちゃんとおばあちゃん、あるいは、おばあちゃんだけのところが圧倒的に多い。ただ、きちんと掃除をし、周りの畑に野菜をきちんと作っておられるのを見ると感動する。
　この景色の良さを誉めると｢景色では食っていけねさ｣という人もいるが、｢これが好きでここを離れないんさ｣という人もいる。一様に子供達が去った寂しさが漂っているが、いつか帰ってきてくれるのではないか、という期待感も感じられる。一言二言会話をすると、いろいろな思いが伝わってくる。そして、次々に去る人が多い中で、必死で生きていこうとしている人のために政治が何とかしなければ、という思いを益々強くする。

<人情味溢れる人々>
　どこの家にも大体柿が見事に実っている。しかし、収穫されずにそのまま冬を迎えようとしている。昨年、熊が柿を食べに出没している場面が全国ニュースとなったが、むべなるかなであった。私は、りんご、桃の果物を生産する農家に育ったが柿も好物の一つだ。何軒かの軒先では自らとらせてもらい賞味させていただいた。お年寄りにはとても大きく、高い柿の木では収穫できない。もったいない限りである。
　白菜、野沢菜の収穫期と重なり、あちこちで大きい白菜をいただいた。秘書も含め、水炊き用にたっぷり使わせていただいた。お茶の誘いを受けることもしばしば。ともかく皆が優しいのだ。

<将来の○○ヒルズの可能性>
久しぶりの西山地区の訪問で、私が常々疑念に思っていたことが益々募ってきた。それは、長野駅から車で来ると20分、あるいは、小林計正さんの家なども県庁まで15分、そういった便利なところが過疎になるという不思議である。私の秘書のKはアメリカの生活が長い。彼がいみじくも言った。「代議士、これアメリカだったら何とかヒルズで、高級住宅街ですよね」。その通りである。私が抱いていた気持ちと全く同じなのだ。ヒルズは六本木ヒルズやビバリーヒルズ(ロサンゼルスの高級住宅街)ばかりにあるのではない、身近にもあるのだ。遠くに北アルプス、槍ヶ岳を見渡せるところもある。長野市を一望の下に見渡せるところもある。春先は山桜も咲いてさぞかし綺麗だろうということが想像できる。春先にもまた来てみたいところだ。
ところが、なかなかそういう人は少ない。ただ訪問しているとそういう人達にも出くわす。七二会の某地区でちょっとしゃべり方が違う、地元の人ではないということが会話をしてみるとすぐにわかる人がいた。周りの人から聞いたところによると、あまりにも景色がいいので週末中心の住む家としている人だという。その隣の家も改築中で、そこにも新住民が住むことになっているという。Ｉターンで民宿をしている人もいた。退職後、週末には戻ってきている人もいた。それぞれの事情があり、態様は様々だが、何らかの形で関わりを持とうとする人たちが増えてきている。人情味が溢れる人々と自然の美しさが一体となって溶け込んでいる。まさに癒しの里なのだが、どうもよそ者の方がこの貴重な価値がわかるのかもしれない。
小さな動きであるが、これが大きな流れになっていくだろうと期待せずにはいられない。

<Uターンが先>
もう一つ、こういう人達の前に、芋井、七二会、小田切で生まれ育った人達が戻ってくるところが一番望ましい。団塊の世代の属する一年先輩のお宅がそうであった。寄っていけといわれ、お茶もいただき、Uターンの経験もいろいろ伺った。奥さんがお勝手にいっている間に、「よく奥さんが承知したですね」と小さい声で訊ねたところ、「いや違う、妻が近所の村出身で、両親の介護のために妻のほうが早く帰って来たいと言ったから帰って来たんだ」という答だった。住み着いて農業をやっていかれる決意を述べておられた。頼もしい先輩である。まだ年は62歳、80まで20年もある。この間に息子が帰って来、孫も夏休み冬休みに来ていたら、この地に愛着をもってくれる人達が増えていけば嬉しい。その中にずっとここに暮らしたいと思う若者も育っていくに違いない。

<のどかな所で教育を>
こういった傾向が益々顕著になることは間違いないと思うが、どうも聞くところによると、長野市街地に下りている人たちが多い。それは、ガソリン代はかかるが、中野から長野に通うよりずっと時間もかからない。何よりも自分の生まれ育った所である。多少不便でも両親もいて畑もある。景色もいい。それをなぜ離れていくかを探ってみると、いろいろ事情は違ったが、共通する理由は、遊び相手の子供たちが少ないということにもあるようだった。つまり、お年寄りばかりが残り、遊び友達も少なくなるので、仕方なしに市街地に下りてくるというのだ。その結果、小田切小学校・中学校が廃校になっている。
それならば、対策はある。私はスクールバスを使って長野市内の小学生・中学生を逆に連れてきて、こんな空気のいい風光明媚なところで勉強させて、夕方になったらスクールバスに乗って帰っていくということを考えてもいいのではないかと思っている。これは○○市と○○市では出来ないが、合併しては大きくなってきた大長野市ならすぐにできる話だ。こうした逆転の発想も大切である。
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    <title>行政刷新会議のその後　―　日本の国家戦略を示す 09.12.07</title>
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    <published>2009-12-07T09:25:16Z</published>
    <updated>2009-12-14T02:30:51Z</updated>
    
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        <name>しのはら孝</name>
        
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        <![CDATA[<福嶋元我孫子市長→加藤構想日本代表>
　国民の圧倒的支持を頂いた行政刷新会議の作業は一応ひと段落した。鳩山個人献金問題で内閣支持率が下がるところを行政刷新会議が救ったというのが新聞のもっぱらの論調である。この行政刷新会議がやっていた事業仕分け、これは元はと言えば福嶋浩彦我孫子市長が市の補助金に市民審査を導入していたのに目をつけてた加藤秀樹構想日本代表が、都道府県や国レベルにも当てはめ体系化したものだ。

<河野太郎の政治勘>
　そしてそれを真っ先に政治の舞台に取り上げたのは河野太郎さんで08年8月、自民党の中で「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」が文部科学省の事業についてやり始めた。彼が行政刷新会議の会場を訪れ、「我々は反乱軍としてやっていたが、民主党は羨ましい、正規軍としてやっている」と嘆いていたが、事実その通りである。廊下で河野太郎さんに会ったときに「元祖なのにどう？」と言葉をかけたところ、「羨ましい限りだ」と悔しがっていた。
　河野太郎さんは外務委員長としても最も厳しく外務省のなまくら答弁を糾弾するなど、野党的な振る舞いの多い惚れ惚れする政治家である。大衆の気持ちを汲み取る政治勘は河野一郎以来の河野家のDNAかもしれない。
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        <![CDATA[<事業のない外務省、防衛省の事業仕分け>
　あまり知られていないが、民主党の政務調査会でこの事業仕分けミニ版をやったことがある。まだ1年も経っていない。私は政調の外務防衛担当の副会長ということでやらされた。民主党の会合で加藤代表がいろいろ解説された時、私は「事業仕分けは国の場合で言うと、国がやる必要があるのか、民間あるいは地方自治体や県でもいいのではないかという問いかけであり、防衛とか外交とかそもそも国がやるべきことは何がムダかという政策論争になり、この事業の仕分というのは不適格なのではないか」と率直に質問した。加藤代表はそれにはまともに答えてくれなかった。

<関心を呼ばなかった民主党の事業仕分け>
　はてどうなるかと思いきや私の案じたとおりであった。構想日本が事業仕分け用に分けた仕分けというのは、農林水産省、国土交通省等は10センチを超える厚さの本になっていた。ところが外務省と防衛省はそれぞれ5ミリの厚さにも満たないものであった。分け方も例えば外務省でいうと、東南アジア外交、平和のための外交というわけ方で、事業仕分けができる状態でなかった。
この時の惨憺たる様子を正直に書いておかなければならないだろう。政調が取り仕切っていたので、民主党議員全員に連絡したが、特に、外務・安全保障（衆）、外務防衛・ODA特委（参）等、関係者全員に呼びかけたが、外務省事業は結局私1人だった。半日1人で外務省のお役人70名を相手に5つの事業について事業仕分けを行なった。防衛省のほうはそれよりましだったが、ずっと出てきてくれた議員はおらず、数人が1時間ほど付き合っただけである。公開等仕組みの何も同じだったが、皆さんの関心もほとんどなく国民にも知られていなかった。

<人気ショー化した蓮舫仕分け>
　そして迎えたのは、組閣の目玉の一つとして行政刷新会議というものを仰々しく設け、数ある事業のうちからどういう基準かしらないが、500余りを選び出してやった事業仕分けである。テレビでは7人の国会議員も他の仕分け人もいるのに関わらず、連日　蓮舫参議院議員ばかり映し出された。このようなマスコミの対応はあきれるばかりだが、美人で言っていることが小気味よいということで仕方がないことかもしれない。「なんで蓮舫ばかりが」という声が出てくるのも当然のことであろう。まさにTVショー化した政治の典型である。そして背後に財務省がいたのは明らかである。

<政権交代の醍醐味か>
　私は役人を30年間やっていた。その経験からすると1時間であのように罵倒され何を言っているのだという論調でやられるのは、はっきりいって頭にくる。過激な役人だった私ならその場で立って席を蹴っていたかもしれなかった。役人も我慢強いなぁとつくづく感じた次第である。
外務省への原案提出が、予算は8月31日締め切りで、12月上旬まで何度も行ったり来たりして折衝して決められていくのでまだ納得がいく。それに対し、たった1時間でこれはダメと決められていくのはあまりにも短絡的だという批判はその通りだと思う。
しかしよくよく考えてみるとこの程度の荒っぽいことをしないと世の中は変わっていかないと思えば仕方ないことかも知れない。関係者はともかく、国民の大半の70％以上の人が予算の編成過程が明らかになったと歓迎している。こういうことを3年も4年もやっているのはいかがかとは思うが、少なくとも自公政権の無駄を洗い出すという一回目の試みは大成功だということだろう。

<心配な官僚離れ>
　ただ、心配がないではない。私が憂えるのはこの姿をみて、ますます官僚になるのが嫌だという人達が増えてしまって、優秀な人材が役所に行かなくなってしまうことである。正義の味方　蓮舫と税金の無駄遣いをする官僚、というのはあまりにテレビ的であり、まじめな官僚には酷すぎるような気がした。これをするなら民主党得意の政治主導で、相手は副大臣なり政務官でなければいけなかったのではないだろうか。それを片や仕分け人（国会議員）、片や官僚というのはどうも不均衡なような気がする。官僚から国会答弁の機会を奪っておいて、糾弾される場だけは官僚にやらせるというのは勝手すぎる。

<予算の審議は国会でするのが筋>
　こうした折、ある会合で斬新なアイデアが出された。
　予算委員会をやっている最中（通常1月下旬から2月末）は、基本的に大臣と政治家の質疑応答なので、他の副大臣や政務官はめったに質問に対して答弁する機会がない。その間に副大臣・政務官の答弁で各省の委員会をやり、予算の洗い直しやってみたらどうかという提案である。知恵者がいるものであり、大賛成である。
　一つは政治家同士が文字通り予算を審議するということである。なにしろ予算委員会は国全体の政策議論であって、予算そのものの議論の場としては機能していない。もう一つは我々は与党になったけれども、特に今回の2010年度予算はほとんど関与できず、自公政権が作った予算を2～３週間で組み替えて作ったものであり、政務三役だけしか関与していない。そういった意味では自公政権の予算を削ることと新しい予算についてこれで大丈夫なのかもっと増やすべきではないかといった議論を真剣にやっていいのではないか、予算委員会で抽象的な議論をしているよりもずっとまともな議論ができるのではないか。早速次の通常国会で実現してもいい国会改革だと思っている。予算を削るもつけるも最終的には政治であり、公開の場合はどこかの体育館などではなく、国会なのだ。

<次は国家戦略室の出番>
　そもそも問題は削る作業をやった行政刷新会議の後である。
　この後は民主党が日本の国をどのような国に仕立て上げていくか、国のかたちをどのようにしていくかということで国家戦略室の出番であり菅直人国家戦略相の出番なのだ。民主党政権になり、日本がどういう方向にいくのか国民がじっと見守っていることを我々民主党の国会議員は忘れてはならない。]]>
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    <title>10月19日NHKニュースウォッチ９で放送された「政権交代1ヶ月」の記事がNHKあすの日本のHPに掲載されていました。－09.12.03－</title>
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    <published>2009-12-03T09:19:38Z</published>
    <updated>2009-12-03T09:23:27Z</updated>
    
    <summary> NHKあすの日本　「政権交代1ヶ月」のホームページはこちらから...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
    </author>
            <category term="A　お知らせ" />
    
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        <![CDATA[
NHKあすの日本　<a href="http://www.nhk.or.jp/asupro/country/country_05.html">「政権交代1ヶ月」のホームページはこちらから</a>]]>
        
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    <title>相変わらずの「日程国会」に振り回された中小企業金融円滑化法 09.11.24</title>
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    <published>2009-11-25T03:33:24Z</published>
    <updated>2009-11-25T03:35:28Z</updated>
    
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        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="D 　政局" />
    
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        <![CDATA[<波乱国会の始まり>
　19日（木）の深夜国会について好意的な論調はほとんどどこにもみあたらない。玄葉光一郎財務金融委員長の解任決議案が出され、それに続いて松本剛明議員運営委員長の解任決議案も出され、19日の本会議は久方ぶりの深夜２時までに及んだ。その引き金を引いたのは、解任決議案を出された玄葉委員長ではなく、会期内に法案を通さなければならないと日程に追い詰められた民主党国対の方針に他ならない。

<野党も賛成する亀井法案>
　亀井金融担当大臣が早くから中小企業を助けるために３年くらい借金の返済を猶予してもいいではないかということを言い出し、金融庁が法案を急いでいた。筋としては正しいので、野党でも反対できない法案であった。金融業界はやることはやってあるし、政府にそんなことまで介入されては困ると主張し、中小企業のほうは法律ができると返済猶予の大儀が立つのでやってほしいということで意見が分かれていた。その結果モラトリアムとか返済猶予とかいうどぎついものではなく、貸付条件の緩和という形で無難な法案となった。
]]>
        <![CDATA[<現場レベルは波静か>
　私は財金委員になったこともないが、役人として国会で法律を通す仕事をしてきたことをかわれ財務金融委員会の筆頭理事を拝命した。今臨時国会の目玉法案そして民主党政権初の法案をスムーズに通すための配置であり、その期待に応えるべく、10月末以来ずっと裏方を勤めてきた。
通常はこの手の重要法案は、途中で参考人の質疑を含めた３日間コースというのが相場となっている。　我々はというか私も民主党政権初の法律審議であり、うまく成立させるべく、自民党の竹本直一筆頭理事と折衝を重ねた。自民党と民主党の国対同士では、例年のことだが、野党となった自民党は、なるべく審議を遅らせようとし、民主党のほうはなるべく審議を早くしようとするせめぎ合いがあったが、現場レベルすなわち財務金融委員会の理事レベルでは、粛々と話が進んだ。竹本筆頭理事以下野党の理事も皆話のわかる人であった。

<詰まった日程から大荒れ国会へ>
　よくある審議を少しでも引き延ばそうという姿勢は全くなく、いろいろな話し合いで18日（火曜日が定例日）７時間で審議、審議日でない19日に参考人質疑、その後は、また話し合いをというところまでは決まっていた。一般の皆さんにはわかりにくいと思うけれども、参考人質疑は大臣が必要ないので、大臣が出席できない日でもできるということで、時たま定例日以外でも行なわれることがあった。
ところが、参議院との関係でどうしても19日本会議前午前中に採決し、午後の本会議に緊急上程して参議院に送らないと今国会で成立できなくなってしまった。そして、19日の本会議前の採決が国対から命じられた。間に立たされて困ったのが私と玄葉委員長である。玄葉委員長は責任感があり、議院運営委の筆頭の経験もあり、国会運営についてわかった方なので、いろいろ知恵を働かせてくれた。
そこで、日程の都合上19日の本会議にかけなければならないということを18日の夕方の理事会で初めて打ち明けた。言い出す私は胸が痛くつらいものがあった。かつての巨大与党自民党がしょっ中やっていたことをせざるえない立場となってしまったからだ。
　19日の朝の理事会でそれを正式決定し、その後の審議からボイコットが始まった。その昼に12:50まで参議院の総務委員会で答弁予定だった亀井金融担当大臣を昼12時に衆議院の財務金融委員会にきていただき、突然の採決を行ない、本会議に緊急上程することになった。自公がかんかんに怒ることはわかっていた。

<野党自民党の初のボイコット>
　予想されたとおりであるが、定時の午後１時からの本会議は開かれず、この間４回、横路衆議院議長に自民党の川崎国対委員長と議運の筆頭理事が申し入れに行った。そして本会議が開かれたのが夜の９時15分、公正な審議を踏みにじったということで玄葉委員長の解任決議案が出され、更にそれを受け入れて日程を勝手に決めて夜中に本会議を開いているということで松本剛明議院運営委員長の解任決議案が出され、この２つは記名投票となり深夜に及んだ。その後に行なわれた中小企業金融円滑化法案の採決には自民党・公明党は退席した。野党自民党にとっては初めての退席である。その席で私が簡単な賛成討論をし、共産党が嫌味たっぷりの賛成討論をし、すぐ採決をし、未明になってやっと全会一致で法案は通過することになった。後味の悪い採決であった。
私は長い賛成討論を用意していたが、午前1時を回らんかとしていたので、壇上まで走り、「ごく短い討論を致します」と始め、皆さんを笑わせ、早くやめてほしいという期待に応えることにした。

<必要な国会改革>
　これで20日（金）、全ての法案が、片肺飛行すなわち野党の自公欠席のもとで審議されると言われていたが、突如方針が転換され、採決をせず、来週になってからまた審議をすることになった。もちろん自公は審議に応じる気配はない。国対というのはこれだけ難しくめまぐるしく変わる。
つくづく感じるのは国会改革の必要性である。役人に答弁をさせないといことも大切かもしれないが、審議をどのようにするかというのが、1日前の理事会で決めてからでしか決まらないというのではなく、１ヶ月、２ヶ月の審議日程をしっかり決め、日程協議などを心配せずに審議できるようにしていかなければならない。今までどおりの「日程国会」では政治家同士の論戦に集中できないからだ。

<民主党に必要な議運・国対族>
　後１週間となった臨時国会であるが、この中小企業金融円滑化法案はたぶん参議院でもさっさと採決されるのではないかと思うけれども、他の法案についてはどうなっていくのかわからない。久しぶりに国対・議運にかかわり（役人時代以来久方ぶりに携わったということだが）、どうも民主党の人たちにはこういったことを経験し、ノウハウを熟知している人が少ない。青年の主張コンクールや弁論大会では優勝するような人達がたくさんいる一方、落とし所を心得て妥協点を探し出せる人は少ない。与党となった民主党が本格的な政権を作るためには、にはこういったことがさっさとできる人材の育成が、絶対に必要ではないかというのを痛切に感じとった一週間であった。]]>
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    <title>民主党の政策論議の場づくり-09.11.11-</title>
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    <published>2009-11-11T05:58:33Z</published>
    <updated>2009-11-11T08:33:36Z</updated>
    
    <summary>　連日、民主党が打ち出す「政治主導」の記事が新聞を賑わせ、支持者の方からも、「民...</summary>
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        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="D 　政局" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        <![CDATA[　連日、民主党が打ち出す「政治主導」の記事が新聞を賑わせ、支持者の方からも、「民主党になって、毎日の新聞を読むのが楽しみになった」などとお褒めの言葉をいただいている。我が民主党にご期待くださる事に対しこの上ない感謝の思いでいっぱいである。しかし、新聞やニュースの華々しい報道とは裏腹に、過度に政治主導を掲げ、政府の力を強調するあまり、地元からの声や党内の議論が消えかねない現状が見え隠れしている。

<ＮＨＫニュースウォッチ９の報道>
　10月19日（月）に放送された、ＮＨＫのニュースウォッチ９は、内閣入りした政務官と地元の声の反映に苦慮する議員という2つの異なる角度から放送された。政務官の部屋で仮眠をとる疲れきった姿が放映される一方、私は松代真田十万石祭りに参加している姿で、まさに小沢幹事長がいう「内閣に関わらない議員は地元で選挙活動をすべし」を地でいっており、閣外の議員の意見が政策に反映されなくなっている状況を放送していた。余談だが、実際は私も例の亀井大臣のモラトリアム法案がかかる財務金融委員会の筆頭理事で忙しなのだが、そこはテレビ編集の味付けということであろう。
]]>
        <![CDATA[<歪められた農業者戸別所得補償>
　ちょうどその密着取材を受けているとき、私が長年関わってき農業者戸別所得補償が、来年度は米を先行させるモデル事業で５６００億円を予算要求することが決まり大変な衝撃を受けた。私が手塩にかけて育んできた政策が、音を立てて崩れていく。麦・大豆・菜種・そば・飼料作物といった土地利用型作物に米並みの所得を補償することにより、米の過剰を減らし自給率も高め‥‥と狙っていたのに、米を先行させては何にもならない。「馬鹿な‥」と声をあげずにいられなかった。このいびつな形の事業（２０１１年度に１兆円で開始するのがマニフェスト）は既に政府内で　決定されており、我々は関与しようがないのだ。

<自民党の部会の暴走を反省>
　そもそも、民主党は党政務調査会（政調）という機関をもっていた。農業者戸別所得補償法などの党のマニフェストはここで多くの議員が膝を突合せ、知恵をしぼり合って作り上げたもので、民主党が目指す方向を作り上げる重要な機関であった。また、政調は各議員が地元から直接聞いてきた意見をもとに政策に盛り込んでいくという重要な役割を担っていた。ところが、政権交代後に民主党はかつての自民党の政調・部会を悪とし、民主党の政調の廃止を決定してしまった。政府と与党の政策は一つであるべきという理由からである。
確かに自民党政権下では政府と党の政策決定が食い違ったり、部会が力を持ち過ぎた嫌いがあった。更に、これが内閣の求心力を弱めることに繋がったという事実もあり、民主党でも　一定の制限を掛ける必要があることは認めるが、やり方が性急過ぎて極端なのだ。

<戸惑う新人議員>
　政治主導の名のもと、政策は各省の政務３役（大臣、副大臣、政務官）のみで十分とのことで、つけたしでできたのが各省政策会義（例：農林水産政策会義）である。これは、副大臣が主催し、政務３役で決定した政策を説明する会合でいわば説明会である。出席議員からの意見は参考までに聞き置かれるだけという受身的な会議のため、新人議員たちは、地元から聞いてきた、厳しい生活を何とかして欲しいという切実な願いを一体どこにもって行けばいいのか、いったい誰に頼めばいいのかと右往左往する羽目に陥っている。

<官僚主導が進む危険>
　ＮＨＫでも放送されていたが、政務３役の５人でその省庁の職務をすべて取り仕切ろうというのでは、官僚は何千人とおり多勢に無勢、勝負にならず、とうてい無理な話である。
　そこで何が起こるか答えは簡単である。官僚はたった５人の政務３役さえとりこんでしまえば、党への煩わしい手続きや他の与党議員への根回しもいらず、思うがまま政策を進められることになる。まさに官僚のやりたい放題ができるという危うい状況にあるのだ。

<与党民主党のルールは未確定>
　そして、最初の大事な法案が私の担当する財務金融委員会の例のモラトリアム法案である。亀井金融担当大臣が突如言い出したこの法案は、民主党のマニフェストにはなく民主党内の議論はほとんどなされていない。我々は金融　政策調整会議で大塚副大臣から説明を受け、それに対して意見を言うだけである。
　自民党が与党の時は、部会で了承されなければ法案は提出されなかった。これに異議、修正を唱える場が今の民主党にはどこにもない。与党自民党時代と異なり、議論の場は与えられていないので、野党と同じく委員会で質問をしていいのかということになるがそうもいかない。
このようにまだ我々与党民主党のルールは定まっていない。

<試行錯誤中の政策論議の場作り>
　これを司る山岡国対委員長は大変である。しかし、筒井信隆農林水産委員長等の意見も取り入れられ、○○委員会（質問）研究会で、党独自の議論が進められることになった。我が委員会が上記の重要法案をかかえていることから10月22日最初に財務金融委員会研究会を立ち上げ、民主党議員の勉強の場を作ることとした。これが多分定着していくものと思われる。これとは別に新人の勉強会も立ち上げ、国会議員の政策を　練る場には事は欠かないようにしていかなければならない。

<この問題の専門家？>
　上記のＮＨＫの放送以降、私がこうしたシステムについて考えている代表として担がれることになったようで、週刊新潮のコラム「日本ルネッサンス」を連載している桜井よしこさんの取材が回ってきた。桜井さんのインタビューは、大敗きたした長野市長選の翌日（２時間しか眠れず　朝一番の新幹線で上京、朝日のいい加減な記事の対応で追われ‥‥と大忙しの時）で、約1時間に及んだ。どのようにまとめられるか気になったが11月5日号コラム<櫻井よしこ　ブログ　2009年11月05日「力不足で可能か、民主の政治主導」><a href="http://mjk.ac/C7Pn9U">参照はこちらから</a>、私自身の主張を私が書くよりわかりやすくまとめていただいた。プロのジャーナリストである。

　民主党は政権を獲得してからまだ２ヶ月、一時的な迷走は仕方あるまい。私もその限られたルールの中で全力を尽くしていくよう努力をしているところである。本件は時間をかけながらゆっくりと、あるべき体制に落ち着いていってもらいたいと心から願っている。
　民主党は、金属疲労を起こしてパイプの詰まり始めた自民党に代わり、国民の声を直接政治に反映させることをうたって勝たせてもらった事を決して忘れるべきではない。]]>
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    <title>10月26日の朝日・信毎・読売の記事について09.10.27</title>
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    <published>2009-10-27T09:54:20Z</published>
    <updated>2009-11-11T07:28:11Z</updated>
    
    <summary>10月26日朝刊に「労基法違反の疑いの減給」について掲載された。25日の長野市長...</summary>
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        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="A　お知らせ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        <![CDATA[10月26日朝刊に「労基法違反の疑いの減給」について掲載された。25日の長野市長選開票直前に突然、翌日朝刊に載せるという通告を受け、選対本部長であった私は対応も満足にできないまま記事が掲載された（他　信濃毎日、読売夕刊）。
記事を受け、26日は他のマスコミ各社から取材があった。臨時国会初日で、早朝から会議や取材・講演等日程が詰まっており、この件での取材に直接対応する時間はとれなかったが、各社へは、事実誤認のある旨、以下の趣旨の回答をした。

１．地元事務所の「営業日」である土日に多く休む秘書がいて、さんざん注意しても改善されず、<strong>勤務状態を改めさせるため、減給措置の提示というきつい警告を発した。</strong>警告として07年9月～10月、土日休み2万減、平日出勤1万増の試算を提示したが、<strong>実際に減給はしていない。</strong>
]]>
        <![CDATA[２．ただし、年次有給休暇として年20日まで土祝日に休むことが可能で、それ以上休む場合は無給休暇１万円／日を適用。

３．年次休暇超過の秘書は、実際には当時公設秘書であり、減給は名目上のものにすぎない。<strong>その間の寄付は本人任せで、ペナルティ分の追加寄付は受けておらず、本人の手取りは全く減っていない。</strong>

４．07年賞与では、秘書の本来業務にまで報奨金をつけ、秘書全員が規定よりプラス支給となっている。そもそも罰金など取るつもりはなく、でたらめな勤務実態を正してもらうことが目的であった。

５．07年7月参院選など選挙対応期間中の休日返上については割増支給し、代休をとらせるなどの対応をした。
]]>
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    <title>我が農政の友、中川昭一元財務・金融大臣の若い死を悼む-09.10.18-</title>
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    <published>2009-10-18T08:10:24Z</published>
    <updated>2009-10-18T08:15:41Z</updated>
    
    <summary>＜超多忙の9月中旬から10月上旬＞ 9月中旬から、10月上旬にかけて私は大忙しで...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        ＜超多忙の9月中旬から10月上旬＞
9月中旬から、10月上旬にかけて私は大忙しであった。前々からの長野市長選の候補者選びが一つ、次に、読売新聞が長野２区の下条みつ衆議院議員のことをいろいろ書いて、その延長線上で私のところにも取材が来だした公設秘書給与寄付問題。私は、マスコミ10数社に膨大な時間をさいて対応した。それから、9月29日に財務金融委員会の筆頭理事を命じられ、その関係の会合が2日ほどあったほか、関係省庁からの説明等に時間をとられている。

        <![CDATA[＜はじめてのスキャンダル(？)報道＞
これら雑多な問題をブログでいろいろ報告するために書き留めたいと思っていたところ、9月30日読売新聞に私の公設秘書給与寄付問題が書かれた。同じように取材を受け対応したが、朝日新聞は、後に全く違ったトーン、つまりお金のない議員が企業献金を禁止され、個人献金は集まらず、公設秘書の寄付も民主党内で禁止されたら、いったいどうやっていったらいいのかというトーンで書いた。読売新聞とそれにつぐ信濃毎新聞の記事は、私にはとても腑に落ちなかったが、あれこれ蒸し返してもしかたないのでブログ掲載はやめることにした。

＜突然の訃報＞
　長野市長選挙には、私と長野高校で同学年の小林計正さんに急遽出ていただくことになった。県庁OBで行政経験は豊か、温厚篤実な人柄で市長候補として申し分ないが、短期決戦となったため、私も総力をあげて取り組み始めた。
そうこうするうち10月4日、私の盟友の中川昭一元財務・金融大臣の訃報が届いた。初めての落選でどうしているのか心配していたところであり、私は一瞬涙した。５日に自宅に弔問に行き、今日(10月9日)14時のお葬式にも出席して、議員会館で机に向かってこの文章をしたためている。何よりも中川昭一さんの追悼をしないとならない。

＜激励に行けなかった悔やみ＞
私は中川さんの性格をよく知る一人であり、当選のお礼の挨拶回りを終えて上京し、真っ先に中川さんを激励に行くことにしていた。しかし、前述のとおり、長野市長選のバタバタ、ふって沸いた公設秘書給与寄付問題の対応のために中川さんと顔を合わせることができなかった。それが今でも非常に悔やまれてならない。

＜懐かしい玉沢勉強会＞
1983年に、今順調に当然を重ねていたとしたら当選9回になる自民党の方々が一期生として当選してきた。当時の自民党農林部会長の玉沢徳一郎さんは「今年の一期生議員は活きのいいのがいっぱいいるから、おれが勉強会をセットして鍛えてやらなくてはならない」と言って私（大臣官房企画室企画官）に命が下り、その活きのいい一期生と毎週１回勉強会を開くこととなった。私は克明に覚えている。事務方として末席にいる私の前に、一番若輩であるがゆえにチョコンと末席に座った若き日の中川昭一議員がそこにいた。
このように、中川さんの26年の国会議員生活は、農政のかかわりから始まった。中川さんの他に大島理森幹事長、金子原二郎長崎県知事といったメンバーである。玉沢さんの目に狂いはなかった。

＜四半世紀に及ぶ官僚と政治家の付き合い＞
本当に素直な勉強家であり、我々の前で威張り散らしたことがなく、まさに農政の同士であった。これが今民主党が指摘する、自民党族議員と霞ヶ関官僚の癒着の典型例かもしれないが、政府与党一体となった政策推進のひとつの姿かもしれず、一方的に悪いとは決められない面もある。少なくとも、私と中川さんの付き合いは、ほのぼのとした暖かいものだった。
いつぞや、「有機農業とは勇気の出る農業ですか？」と聞いてきたことがあった。「選挙区でそんな無知を言いふらしてやる」と冗談を言ったら真顔で心配していた。２ヶ月後、北海道の田舎の公会堂で開かれた有機農業研究会の講演で話していたら、懇談会前に現れたのが、中川さんだった。ただ、運悪く(?)、2歳半の娘を連れての講演会であり、この後、逆に、私の子連れ講演が毎度のごとく言いふらされてしまった。
（民主党男女共同参画推進本部ホームページ<a href="http://www.dpj.or.jp/danjo/papa/diary/2005autum.html">「男性議員子育てパパ日記」2005秋</a>参照）

＜農政をともに推進＞
二人でタッグを組んで実現した政策もある。加工原材料の牛乳には補助金が出ているが、自ら加工する場合はホクレンに出荷しないため補助金がつかない。それを申告することによって補助金が出るようにしたのも、北海道の元気のいい酪農青年部幹部が私のところに押しかけ、私が中川さんに伝え知恵を出したのが始まりである。その結果、北海道の牛乳を原材料としたチーズ、バター、キャラメル作りが広まっていった。
（2006年8月27日ブログ<a href="http://www.shinohara21.com/blog/archives/2006/08/post_30.html">「大黒宏：ノースブレインファーム再訪」</a>参照）

＜待望の農林水産大臣＞
当然予想されたとおり、中川さんは父君中川一郎さんと同じく農林水産大臣として農林水産省入りし、若き自民党のホープに成長した。私はその頃から中川さんがいずれ自民党の総裁、そして総理になることを密かに熱望した。しかし、身近に接していると一つ障害になることがあった。例の酒の飲みすぎである。私はビールを２・３杯飲み、酒を一本ぐらい飲めばもう飲みたくなくなるが、中川さんは酒が好きであり強くもあった。当然私は飲みすぎを注意したがなかなか聞かなかった。

＜痛みのわかる優しい人＞
　人生には皮肉な巡り合わせがいくつもある。中川大臣の最初の幹部人事が、私の異例の人事だった。1999年８月１日、理由は定かでないが、私は農林水産技術会議事務局研究総務官から農業総合研究所に異動した。役所の人にしかよくわからないと思うが、指定職４号からヒラの研究職への降格人事であり、年収で400万円の格下げである（たぶん、大臣はこの点は知らなかったであろう）。
　中川大臣は記者会見で、私の執筆活動等をあげ、研究と行政を結ぶ目玉の人事だと一生懸命持ち上げた。そして、こうした人事には一言も触れずに私を慰める会を開いてくれた。
　私が、年賀状の添書きに「役人ももう飽きた」と書いた時は、すぐ電話をしてきた。私の心境の変化を知ってのことだった。ただ、「篠原さんの字が読めないんで気になって眠れないから電話しただけだ」と憎まれ口をたたくのは忘れなかった。照れているのである。気持ちの優しい男なのだ。

＜飲み過ぎを何回も注意＞
いつぞやは私の関係する会合に、他の会合も梯子した後、わざわざ出てくれたことがある。私が国会議員になったあと後援会の副会長になっていただく某出版社の社長もいた。足元がフラフラしているので、中川さんはその社長から挨拶の中でお叱りを受けた。それでも「長野県の人は篠原さんをはじめとして小言を言う人が多いですね」と減らず口をきいていた。この頃はまだ余裕があった。
ある時、後輩から「大臣が『篠原さんと飲むと小言ばかり言われるので、お前らと飲むことにした』と言って我々と一杯やりましたよ」という告げ口が届いた。かわいそうに私の小言を気にして、若手と飲んでうさを晴らしていたらしい。

＜中川さんと馴れ合いの質疑応答＞
何の因果か、私は後々民主党の国会議員になった。何度か質問せざるを得なくなったが、なるべくどぎつい質問は避けたし、中川大臣も答弁しにくかったようだ。
中川さんは小泉政権のときに経済産業大臣となり、農林水産大臣に再び任命された。小泉首相の所信表明演説の時、本会議の壇上で酔っ払っていたのであろう、首をあっちにやりこっちにやりしていて、野次で騒然となった。私もこれはまずいと思い、経済産業大臣室に注意しに行った。その時もあの人懐っこい、恥ずかしそうな顔をしながら「小泉総理にも言われたし、酒は飲んでないから」といってすまなそうに答えた。

＜ローマの酩酊記者会見後も総理を期待＞
　中川さんの性格のよさがそうさせるのであろう。同じタカ派的体質を持つ安部政権で政調会長、麻生政権で財務・金融大臣、まさに、トントン拍子の政治人生だった。自民党がすっかりタカ派的体質になったのも中川さんに幸いしたのだろう。酒の飲み過ぎなど苦にもされず、要職を歴任し続けた。
私は酒の飲みすぎを抑えて総理・総裁を目指して欲しいと心から願っていた。そして、この事を明言し、苦言し、励ましつづけた。その夢が半分つぶれたのが、例のローマでの酩酊記者会見である。
しかし、私はそれでも中川さんに立ち直ってほしいと思っていた。私の同僚議員の石川知裕さんが05年の総選挙で比例復活し、中川さんのライバルとして急激に力をつけつつあった。当然私のファンの農家もいっぱいいる選挙区であり、応援に来て欲しいと要請を受けたが、中川さんに義理立てして行かないようにしていた。

＜私は55歳で国会議員、中川さんは55歳で残るは総理のみ＞
2009年の選挙戦、ブログの端々にも書いたが、私は予想される事態を考え選挙の演説の時にも中川さんに触れて私の政治姿勢を話していた。
「中川さんは若くして国会議員となり、農林水産大臣2回、経済産業大臣、政調会長、そして財務大臣と、55歳ですべてをやりつくしています。私は55歳の時に国会議員になりました。だから私はできる限りのことをしているだけで、政治資金も集めず、できることをできるまでやればいいということで政治活動をやっています」。これは多分落選してしまうであろう中川さんを励ます時に使うフレーズを前もって使っていたにすぎない。
「中川さんは55歳であとやってないのは総理だけ。私は55歳で初めて国会議員になった。0から始めると考えれば何も悲観することはない。10年後でも麻生さんより若い65歳。72歳の福田さんよりずっと若い。自民党が政権奪取する時に、いくらでも総理・総裁を狙える。」こう励ましに、なるべく早く中川さんのところへ行くつもりだった。

＜お互いにファン同士＞
もし私が中川さんと会って、「昭ちゃん、しっかりしろよ」と励まし、久しぶりに軽く一杯やっていたら、元気になるきっかけを作れたかもしれないのだ。私には面と向かって言ったことはないが、中川さんは「篠原さんのファンだ」と言っていたそうだ。それよりも私こそ何倍も熱烈な中川昭一ファンだったのだ。中川さんは時には酔っ払って電話してくることがあった。どうやら私との語らいを癒しの一つにしていたらしい。今回はこちらから癒しに行ってやろうとしていたのに。
政治の世界に、If、もし何々ならというのは許されない。我々は心優しい政治家、中川昭一を失ってしまった。自民党の退潮を象徴しているのかもしれない。
中川さんの冥福を祈るばかりである。
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    <title>外交と政権交代 -09.09.28-</title>
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    <published>2009-09-27T10:38:14Z</published>
    <updated>2009-10-01T09:02:32Z</updated>
    
    <summary>＜無難な鳩山外交デビュー＞ 　鳩山首相の英語は今まで一度も聞いた事がないが、今回...</summary>
    <author>
        <name>しのはら孝</name>
        
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            <category term="D 　政局" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinohara21.com/blog/">
        ＜無難な鳩山外交デビュー＞

　鳩山首相の英語は今まで一度も聞いた事がないが、今回はじめて耳にした。鳩山首相は８年間アメリカ名門スタンフォード大学に留学していたが、やはり20代後半からの留学で、アメリカ人並みの発音にはならないのだろう。私の長野弁丸出し（パリ時代の娘の評価）の発音と大差なく、日本人には大変親しみの持てる英語だった。微妙な二国間の首脳会談は通訳付きだが、演説はすべて英語だったようで、これも1990年比、２５％ＣＯ2削減の内容とともに好印象を与えたと思われる。
顔付きも、幹事長時代のどちらかというと、にやけた顔つきから、きちんとした顔に変わり、日本のHatoyamaを世界に印象づけられたはずである。デビューとしては上出来で、ホッとした。
　幸（みゆき）夫人のデビューもマスコミを賑わしたようだが、外国メディアがどのように扱ったか興味が湧いてくる。元宝塚とか、テレビに映る仕種は堂に入っていた。並みのファーストレディではない。
首脳の出る会合はセレモニー的要素が強く、すぐ影響が出てくるものではないが、多分、日本初の政権交代が、少しは安心して迎え入れられたことは間違いない。アメリカをはじめとする世界各国ともホッとしただろう。
        ＜政権交代が外交を変える＞

　前原国交相は、常日頃、得意の安全保障問題を論ずる時に、政権交代しても外交・安全保障政策に変わりなし、とよく言っているが、それに事実に反する。アメリカのような超大国には言えても、日本のような国にはあてはまらない。中・小国では外交こそ与野党を分ける対立軸となっている。
そして政権交代が身動きとれなくなった二国間関係を変える原動力になり、ずっと、惰性（だせい）で続けてきた変な関係をきっかりと清算できたり、進展しなかった交渉を一挙に違う方向に持っていけることもある。相手国も、政権ががらりと変わったのだから、しょうがないと納得してくれることもあるし、むしろ相手国こそ外交関係を変える大儀名分を探しているかもしれないのだ。
　北朝鮮がアメリカがブッシュからオバマ政権に代わったことで、態度を軟化させたように、政権交代により相手国か、態度を変えるキッカケを作ってくれることもある。日米間に横たわる米軍再編問題なども、これに当たるかもしれないのだ。
そういう点では、鳩山外交なり岡田外交は、外交の基本方針の変える絶好のチャンスに出くわしていることになり、それを意識した外交の展開を図らなければならない。


＜受身外交から発信する外交へ＞

　日本の外交も停滞気味である。北朝鮮は日本の変化を待っているはずである。ロシアは、日ソ国交回復を遂げた鳩山一郎の孫の首相誕生を歓迎している。アメリカは何を考えているのかよくわからないが、政権交代をきっかけに新しい日米関係を築かんとしていることは間違いない。
　首脳外交からWTOと具体的な交渉へ重点が移っていく。この時は日本がどういう態度をとるかを世界がじっと見守っている。日本は半世紀に一度の政権交代を、受身一辺倒の外交から積極的にうって出る外交に変えるチャンスととらえ、世界に発信していくべきである。国内では、２５％削減について、財界から批判が多いが、世界に宣言した以上、歯をくいしばってやり抜く以外になかろう。

＜スタンフォードのすれ違い＞

　全く余談となるが、私は鳩山夫妻とは、1977年冬、スタンフォード大学の近くでニアミスがあった。私は農林水産省入省後、1976年から２年間シアトルのワシントン大学（UW）に留学させてもらった。その間に、小中学校の友人二人がアメリカ旅行に来たので、ボロ車で案内した。友人２人をロスアンゼルスの空港から見送った後、シアトルに戻る途中、通産省からスタンフォード大学に留学していたU氏の家に一泊させてもらった。そのU氏が、「今日、あの鳩山一族の御曹司とその夫人と一杯やるんだけど、一緒に来る？」と誘われたが、案内でクタクタに疲れていたので、遠慮して一人で早く寝かせてもらった。その時に、今は皆が知っている２人の少々過激な出会い（？）の話をちらっと聞いた。
　若かりし頃の二人を見逃し会ってはないが、当時とどうも雰囲気は変わっていないような気がしてならない。日本人離れした初々しい夫婦仲が今でも伝わってくるからだ。二人の出会いの国での外交デビュー、さぞかし嬉しかったに違いない。
　私もその後のこと（つまり２人とも政治家になり同じ党に属すること）がわかっていたら、どんなに疲れてても参加したのだが、３０年前は誰も今と知る由がない。多分神様だけは知っていたのであろう。

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    <title>鳩山長期政権を望む - 自民党を立て直すために10年は必要 -09.09.14-</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shinohara21.com/blog/archives/2009/09/_10_090914_1.html" />
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    <published>2009-09-15T01:29:22Z</published>
    <updated>2009-09-18T04:45:40Z</updated>
    
    <summary>＜危険な「一度はやらせてみよう民主党」＞ 民主党は圧勝したが、国民は自民党があま...</summary>
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        ＜危険な「一度はやらせてみよう民主党」＞

民主党は圧勝したが、国民は自民党があまりにだめなので、一度くらい民主党にやらせてみようと思ったというのが現実であろう。何も民主党を熱狂的に支持したわけではない。しかし、これが曲者である。私自身参議院選挙の折に、１５道府県を応援して歩いた時「一度はやらせてみよう民主党」「小沢一郎、一度はやらせてみよう、内閣総理大臣」ということを言って聴衆を湧かせていたが、今はしまったと思っている。標語としてはいいが、実は一度民主党が政権をとっただけでは日本の政治はよくならないのだ。

        ＜羽田さんの予言＞

この点は、１９９６年ころから羽田孜元総理から政界に出て民主党の政権獲りに協力してくれ、と何度も何度も言われた時の言葉が耳にこびりついている。恥ずかしながらその当時、羽田さんがどういう意味で言っておられるか理解できなかった。しかし、今はよく理解できるようになった。現実にそのとおりに動いてきているからである。

これを再現してみる。

「民主党は都市政党である。都市の住民に働きかけることにより政権を獲れると皆は思っている。俺も獲れるだろうとは思う。しかし、都市住民はすぐ批判勢力になる。従って都市政党、都市部の議員だけだと政権獲りはできても、その後の最初の総選挙で多くが落選し、政権が自民党なり他の党にいってしまう。それでは元も子もない。

大切なのは政権を獲った後の第一回目の総選挙で必ず民主党が勝利し、自民党を最低で５・６年、うまくいけば１０年は野党暮らしをさせること。さもないと自民党は官僚依存体質や政官財の癒着、そういったところから脱しきれない。これを皆分かっていない。

民主党が政権獲りのために、それ以上に民主党が政権を獲ったあとそれを維持するために、君の助けが必要だ。田舎の有権者は都市の有権者に比べて律儀で、一旦心をつかめば支持し続けてくれる。そのためには農政をアピールしなければならない。我が民主党サイドには農林水産大臣経験者は、俺と田名部匡省と鹿野道彦の三人いて、実はこちらのほうが質はいいが、中堅・若手は本当に少ない。特に若手はゼロに近い。
君に民主党の農政を任せる。民主党に参画してくれ。

君が本に書いていることは、役人でもＯＢになってもそう簡単に実現できないだろう。ところが政治家になれば、君の理想も１０倍、１００倍のパワーで実現できる。是非長野１区から選挙に出て欲しい」


＜羽田見通しがことごとく当たる＞

都市の有権者の浮気っぽさは、05年の郵政民営化の選挙で、我が党の都市の議員がぼろぼろに議席を失ったことでいち早く実現してしまった。残念ながら政権を獲る前にそれが検証されたのである。

そして今回の09年総選挙で、都市部は圧勝、05年と全く逆である。長野県は投票率が７５％を越え、島根県に次いで全国第２位。全国でもあの郵政選挙を3.5ポイントもしのぐ投票率。これは1994年の政治改革関連四法なり小選挙区比例代表並立制がまさに想定しただとはいえ、あまりにもドラスティックである。有権者は自らの一票で政治を自由に操れる、変えられるという醍醐味を今回の選挙で知ったことになる。従って、この次の選挙でも政治を変えようとするだろう。その証拠に、最近の世論調査では国民の7割近くが次は自民党に政権に戻ってほしいと答えている。


＜次の選挙の自民党スローガンは「政権交代」＞

「都市の有権者はすぐに批判勢力になる」という羽田さんの言葉が頭をよぎる。郵政民営化選挙でどっと自民党に流れ、今回どっと民主党に流れ、振り子の原理から言えばこの次はどっと自民党に流れることになる。高村正彦元外相は次の選挙における自民党のスローガンは「政権交代」だと言っている。まさにその通りである。

民主党は、少なくとも5・6年、できれば10年ぐらいは政権に居続けなければならない。308議席もあるので4年間やって解散するのがよいと思われている。途中で信を問うてもよいが、いずれにしても羽田さんの言うとおり、次の総選挙では再び民主党が勝たねばならない。民主党政権が一度だけでは駄目なのだ。

羽田さんがなぜ長期政権なり1度目の総選挙にこだわられるかは一目瞭然である。細川・羽田政権が8ヶ月と2ヶ月で計10ヶ月しか続かず、これがかえって自民党しか政権党はないという間違ったイメージを与えてしまったからである。羽田さんの胸には2度と同じ間違いはしたくないという強い思いがあるはずである。


＜マニフェストの着実な実行が必須＞

しかし、いかんせん日本人はせっかちである。政権が代わり新しい政策が実行されたら、もう半年後には景気が回復していて当然と思っている人たちもいる。1年ぐらい経ち、来年の参議院選挙の時に、なぁんだ民主党は政権獲ったけどたいしたことないじゃないかということを言われるのが心配である。そのためには政権奪取後、半年ないし1年が大切である。マニフェストで約束した政策をきちんと実行していくこと、あるいは霞ヶ関の官僚をどのようにリードしていくかということを国民は注視している。我々民主党は大勝利に浮かれることなく、地道に実績を挙げていくこと以外にない。


＜鳩山長期安定政権しかない＞

いずれにしても鳩山政権は長期安定政権になってもらわねばならない。ちょっとだけ、一度だけ民主党にやらせてみるのではない。日本の政治を変えるためには、民主党が貯めに貯めた政策を実行し、その間に自民党に再生してもらわないとならないのだ。
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    <title>初の小選挙区当選と民主党の船出-09.9.7-</title>
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    <published>2009-09-07T02:41:00Z</published>
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        <name>しのはら孝</name>
        
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        ＜早すぎる当確＞
8月30日、午後8時、TVに早々と「当確」が出て、すぐさま万歳三唱となった。前は二度とも比例復活で、当選が決まったのは日付が変わってからだった。支持者の皆さんからは、眠いので当日中に当選がわかるようにしてほしいと冗談半分ではっぱをかけられてきたが、投票締切と同時に当選とは思わなかった。

＜民主党への期待＞
選挙期間中、ずっと「3度目の正直で小選挙区当選」をお願いし続けた。今回の選挙期間中は、遊説カーによる街頭演説や小規模な個人演説会により、多くの有権者と直接触れ合う機会をもった。「政治を変えてほしい、何とかしてほしい」という期待が伝わってきた。
やっと念願が叶い、政権交代も一気に実現されることとなった。16万票を超える方々に私の名前を書いていただいたことに深く感謝するとともに、身の引き締まる思いである。

        ＜日本を変える政権交代＞
長野県の投票率は75％を超え全国２位。長野県の有権者も自民党のダメ振りにがっかりし、民主党に、そして私に政治を変えてほしいと期待し、投票してくださったのだ。私はその負託に応え、日本の政治を変え、一刻も早く未来に希望を持てる日本、一生懸命まじめに働く者が報われる社会を実現しなくてはならない。
民主党のほとんどの幹部から「篠原君、あんたが勝てば政権交代できるんだ。あんたが勝たなきゃ政権交代できないんだ」とよく言われていた。４代目の磐石の基盤を持つ小坂さんは、自民党なり保守の象徴でもあるからだろう。それが今回、私の小選挙区での勝利と政権交代が一緒に実現でき、ほっとしている。

＜信念の政治家に敬意＞
　羽田孜さん、北沢俊美さんといった非自民を貫き通してきた気骨のある政治家の方々の心中を察するに、万感胸に迫るものがある。1993年に自民党を飛び出してから、政権交代による日本政治の改革を標榜し続け、その信念を貫き通したことに敬意を表したい。身近な存在の北沢参議院議員を例にとれば、一緒に飛び出した他の議員の多くが再び自民党に戻っているなかで、54歳から70歳という政治家として最も脂の乗り切った時期をずっと政権交代の実現を目指し、野党暮らしの我慢をしてきたのである。私のような6年間の民主党議員とは違う意識の高揚感があるに違いない。与党政治を堪能してもらわなければならない。

＜北信の政治風土を変える＞
長野１区には独特な政治風土があり、今でも我が家は代々○○だと得意になっている方が多くいる。民主党が世襲を禁止し、自民党も次回から禁止するというのにまだ変わらない人がいる。それが今回ようやく変わってきたのかもしれない。今回の選挙結果により、北信の変な政治風土を変えたいと思っている。

＜長い眼でみてください＞
私は、農林水産省で30年間、自民党の皆さんとべったり付き合ってきた。民主党の皆さんとも入党以来付き合ってきた。自民党は歴史のある党だが、やはり長く政権に居過ぎた弊害が多くでてきた。今の閉塞感を直すには大きな政策転換が必要である。それは民主党にしかできない。政権交代が一番日本の政治を良くする近道だと思う。
我々民主党は日本の舵をとるべく勉強し、生活に関連する政策をどんどん打ち出しマニフェストという形で示してきた。マニフェストの実現可能性を危ぶむ声があるが、バッターボックスに立つ前から三振だ三振だと言わないでやらせてみてほしい。
小泉首相のように郵政民営化したら何でもバラ色だなどと嘘はつかない。民主党が政権を取ったところで、すぐ景気がよくなるわけではない。しかし、新政権の4年間をじっくりみて支援していただきたい。自民党政権より確実にいい結果を挙げる自信がある。

＜気がついた私の新しい役割＞
私は、専門分野の農政で、手掛けてきた農業者戸別所得補償の実現に全力を尽くすつもりだ。
しかし、最近もう一つ重要な役割があることに気がついた。民主党には役人出身の議員が多くいるが、私が断トツで長い。財務相就任が確実といわれる藤井裕久さんは別格として、民主党の官僚出身議員を年齢順にみると、古賀一成（建設省71年入省、15年在職）私（農水省73年入省、30年）、岡田克也（通産省75年入省、12年）、平岡秀夫（大蔵省76年入省、20年）と続く（今回の選挙前）。それ以下は多くいるが、まず、役所の経験が短く、課長すら経験していない者が大半である。自民党には、事務次官や局長をして参議院全国区で立ち当選した者が多くおり、衆議院にも長く役人生活を経験した者が多い。それに対し、民主党は、本当に霞ヶ関の上層部で政策決定を肌で経験してきた人は少ないのだ。
こうした中で、国民は、民主党政権がどうマニフェストを政策実現していくか注目しているのはもちろんだが、霞ヶ関の役人とどう付き合っていくかもじっと注視しているはずである。
民主党の大半の議員は、与党として霞ヶ関との付き合いに慣れておらず、とまどうに違いない。この辺のところで私が下支えをしていかなければならないと思っている。

＜民主党政権の船出＞
9月7日現在、主要閣僚の決定が一面トップを飾っている。私はずっと長野にいて選挙でお世話になった方々に御礼の挨拶回りをしており、9月11日(金)の小学校の国会見学の案内までは上京することはない。
出だしは好調かどうかわからないが、早くすっきりした形で政権がスタートしてほしいと願っている。私も、9月16日以降何を命じられてもいいように準備万端整っている。
国民の期待に応えるべく、この任期の間全力を尽くすつもりである。

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