参院選週間報告(6/25〜29)

6月25日記

6月24日、第20回参議員議員選挙が告示されました。

昨年秋、それこそ「おんぶに抱っこに肩車」でお世話になった北沢俊美参議院議員を応援すべく準備万端整えていました。
しかし、私にはもう一方で農林漁業再生プランを引っ提げて27の1人区を中心に全国行脚をするという大事な役割があります。
その一環として、候補者、関係者に再生プランを知ってもらわねばなりません。

  1. 候補者全員と地元に帰った議員全員に、3点セット(再生プラン骨子、資料、想定問答)を送付
  2. 県の農協中央会、農業会議所にも、2点セット(再生プラン骨子、資料)を送付
  3. プレス民主の号外で再生プランを特集

これらの作業は、議員が参院選で地元に帰り、ほとんどひとけのなくなった会館で2人の秘書とともにしこしこやり続けました。

次の選挙を考えると、地元に戻って参議院議員選挙を手伝うのが一番得だそうですが、私はなかなかその時間がありません。

6月下旬、やっと選挙応援できるようになりましたが、民主党の幹部は、私が北沢さんの応援を最優先と言うと、「・・・・・・ので、篠原さんは農村県の1人区を」と言ってなかなかきいてくれません。まさにハムレットの心境です。そこで私は長野の北沢さんの応援を中心に、1回生議員としては珍しくあちこちを回っています。

6月29日記(小浜線車内にて)

私の全国行脚の選挙応援は、4月29日の活動報告―海野徹参議院議員(静岡)から始まりました。海野さんは情に厚い政治家です。数年前、某月刊誌に私が左遷されたという人事記事が掲載されたのを見て、私を食事に誘い出してくれたのです。私は受けた恩は3倍にしてお返しする(?)のをモットーとしていますので、いの1番に駆けつけました。

本格化は、6月19日(土)の山形の舟山やすえ候補からです。私が農林水産省の国際部対外政策調整室長時代、1990年4月、同じ課に入省、10年余務めた後、新潟県境の小国(おぐに)町のプロパンガス会社の経営者の奥さんにおさまっていたのを、今度の選挙に引っ張り出してしまったのです。ところが、忙しくて一度も応援に行けず心苦しい限りでした。38歳で9ヶ月と3歳の2人の子持ち。背は小さいが、元気溌剌としたヤングママです。

6月18日(金)の夕方、超ベテランの北沢さんの総決起集会をすませた直後、長野―大宮―山形と乗り継ぎ山形入り。翌19日、6時半起床。午前は近藤洋介衆議院議員と一緒に南部の高畠町等でミニ集会、その後2時間半かけて北部の庄内入り。この間、運転手さんが高速道路で居眠り運転するので冷や汗。鹿野道彦NC農林水産大臣とともに、酒田と藤島の2ヶ所でミニ集会。夜10時半に新庄泊。翌日、秋田県雄勝の農業者大会のパネルディスカッション。そこから、秋田空港―羽田―東京―長野で、20日(日)の夜は再び北沢さんの川中島での集会。

6月22日(火)、岡田新代表とともに、1人区で激戦を続ける佐賀の川崎稔候補、長崎の犬塚直史候補の応援。岡田代表はどこでもまじめに訴え、それなりの手ごたえあり。

6月23日(水)、再生プランの送付や広告の作成のため議員会館で作業。

6月24日(木)、早朝より北沢さんの出陣式。街宣で、上田、松本へ。夕方は、須坂と中野の事務所開き。

6月25日(金)、2人区から1人区になり現職同士がぶつかる岡山の江田五月参議院議員を応援。2ヶ所の集会で応援するも、もう1人の弁士が藤井幹事長と石井一常任幹事という大物。江田さんは参議院の良心、いや日本の良識、絶対落としてはならない人。

6月26日(土)は長野に戻り、長高同窓会、そして夜は大町の北沢さんのミニ集会。ここで再び石井一さんと再会。自民党を10年前に飛び出し、二大政党制を追いかけ続けた羽田さん、北沢さんの数少ない同士。その結束力や強し。是非この人たちのためにも政権交代をと誓う。

6月27日(日)、早朝より昼まで、飯山―中野―小布施―須坂と街宣。その後、再び山形入りし、菅前代表・農林漁業再生本部長とともに南陽市の舟山さんのミニ集会に出席。舟山さんの話がうまくなっているのにびっくり。鹿野さんの熱の入り方、近藤さんの頑張りも一段と上がっていた。

深夜、帰宅。新幹線の中で菅さんとみっちり諸々の意見交換。

6月28日(月)、京都の福山哲郎候補の応援のため、日本海側の宮津入り。2ヶ所の集会に出席。ここでも応援は中野寛成副議長と小物の私。2人区で1人立候補なので代表等の幹部の応援はなしとか。しかし、自・共・民の三つ巴で、前回は民・自で、前々回は民・共。今回は3党の激突。舞鶴泊

6月29日(火)、朝、小浜線で2時間半かけてゆっくり福井入り。新人の五十川まきこ候補の応援。

こうして、私の全国行脚と北沢さんの応援が続いています。

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