参院選週間報告(山形選挙区舟山康江候補編)

7月15日記

(1人区の候補者擁立)

民主党が政権交代をめざして、参議院で議席を伸ばすためには、比例区や都市の複数区だけでなく、27ある1人区で勝たなくてはなりません。3年前の前回の参院選は、小泉フィーバーで自民党が圧勝しました。野党は、自由党(岩手)と無所属(三重)で、民主党は1つもとれませんでした。民主党は、1人区で勝つために、菅(前)代表の1月13日の党大会の宣言以来、農林漁業再生プランの作成を急ぐとともに、菅(前)代表が先頭に立って農山漁村行脚をしてきました。

ところが、4月中旬になり、農林漁業再生プランもまとまったというのに、肝心の1人区で候補者がまだ決まっていないところが11県も残っているという状態でした。責任者の1人が堀込さんです。私が、「せっかく農林漁業再生プランを作っても、候補者がいなくては勝ちようがないじゃないですか」とけしかけると、逆に、「そんな嫌味ばかり言ってないで候補者探しを手伝え」と言われてしまいました。その1つが山形でした。

(農水省の後輩 舟山さんの出馬)

山形選挙区は、自民党の組織が強く、前回も30万と10万と20万票もの大差がついているところです。そう簡単に候補者はみつかりません。どんな候補者がいいのか尋ねると、若い女性ということです。私は、役人時代から全国を講演して回り、各地に友人・知人がいますが、男性のほうが圧倒的に多く、女性はそれほどいません。しかし、ただ1人思い当たる人がいました。1990年、私が農林水産省国際部の対外政策調整室長をしていたとき、国際企画課に入ってきた女性が、4年前に結婚退職して山形県小国町に住んでいました。舟山康江さんです。私はすぐOECD代表部に出向したため、1年ほど一緒に仕事をしただけですが、とにかく明るく元気がよい女性で、彼女ならやれると思いました。

舟山さんには、3歳と6か月の2人の子どもがいました。同じように、乳児をかかえていた徳島の高井美穂衆議院議員にも説得に協力してもらうなどして、4月19日、ようやく出馬表明にこぎつけました。私の場合、9月17日に退職、9月27日に出馬表明で、11月9日の投票日まで約40日。それに対し、舟山さんは7月11日まで約80日間と倍の日数ですが、どちらも平均からするとずっと短期間です。(舟山さんの紹介は、別途、応援演説編を参照してください。)

(農林漁業再生プランの象徴的候補者)

舟山さんは、農村地域に住む若い母親で、農林水産行政もわかるという、農林漁業再生プランの象徴的な候補者です。鹿野NC農林水産大臣と近藤洋介代議士が全力をあげて支援し、選挙活動を始めました。私も、農林漁業再生プランを無事作り終えた6月19日、早朝6:30からミニ演説会場を回り始め、夜中の22:30まで1日中歩き回りました。選挙期間中の6月27日には、立候補前の約束どおり菅さんと一緒に個人演説会場入りしました。また、最終日直前の7月9日にも街宣車に乗り、2つの個人演説会場を回るなど、合計3回山形に応援に行きました。舟山さんの演説は、誠実な人柄があふれていて、大変好感がもてるものです。応援に行く度に演説がうまくなっていて驚かされました。若手の1回生衆議院議員が年金キャラバン隊で、山形入りしましたが、皆、舟山さんの話のうまさ、度胸のよさを絶賛していていました。極めつけは、菅さんの私に向かっての「まさに出藍の誉れですよね」です。 また、朝日新聞にママさん候補として紹介されましたし、国内のマスコミだけでなく、イギリスのウォールストリートジャーナル紙までもが取材にくるほど、注目されました。舟山さんは完全に大化けしてくれました。

舟山さんの応援には、岡田代表も2回も山形入りし、菅前代表も6月27日の他に7月10日の最終日にも駆けつけました。また、羽田元総理やその他の国会議員の多くが駆けつけました。こうして、当初は自民党候補の楽勝ムードだったのが、舟山さんの猛追というところまできたのです。

自民党は、7月5日、山形を10の重点地区の1つとし、7月9日にはハマコーさんと安倍幹事長まで派遣してきました。公明党に援軍を頼んだのはいうまでもありません。

(大健闘ながら惜敗)

開票結果は、279,349対243,672、わずか35,677票の僅差で敗れてしまいました。もう1週間あれば逆転できたと思います。また、社民党候補が42,435票とったことを考えると、早めに野党を統一候補にできていれば完全に勝てたところです。

7月13日のNHKのクローズアップ現代では、山形選挙区を取り上げ、自民党候補の公明党頼みの必死の選挙戦を紹介していました。

舟山さんはさぞや落ち込んでいるだろうと、心配して電話しましたが、元気にこの次もがんばりますと答えてくれました。次は3年後、このときには必ずやママさん参議院議員になっていると確信しています。

週間報告(舟山康江さん応援演説編)

7月17日記

(舟山さんの応援には都合3回行き、何度も個人演説会に出ましたが、一度も本人の前で話すことはありませんでした。設定の仕方がちょっと異常でした。最後の7月9日、私はとうとう事務局に苦情を言いました。本人も寒河江から米沢への車の中で「そういえば篠原さんの応援演説を一度も聞いたことがない」とやっと気がつきました。私は、応援演説一つにしても、相当考えて皆さんにわかりやすく工夫したりして時間をかけていますので、やはり、HPにも記録として残すことにしました。少なくとも、舟山さんには、せめて活字ででも伝えないとなりません。以下に、何回もやったものの総集編を紹介します。ただ、前述の参院選総括―山形編とダブる部分(例:再生プランの象徴的候補)は除きます。)

舟山さんは、1990年、私が国際部の対外政策調整室長をしている時に同じ課に入省してきました。若くて元気でピチピチしていました。過去形で言うといけませんね。もうそうじゃないみたいで(笑)。今は、9ヶ月と3歳の2児の母で、38歳、もっとピチピチして輝いています。

舟山さんは、4ヶ月前は、国政選挙に打って出るなど夢にも思わなかったはずです。私が小国町も選挙区とする近藤洋介代議士に舟山さんのことを伝えると、さっそく出馬要請しましたが、みごとに振られました。いつも元気な近藤さんも、私のところに報告にきたときは、ガックリとうなだれていました。この件は同時に山形県連の会長である鹿野NC農林水産大臣にも伝えておきました。鹿野さんは2時間車を走らせて舟山さんに会いに行き、2時間半ほどじっくり話をしてすっかり気に入って帰ってきました。曰く、「話し方もきちんとしている。大丈夫だ」と言われるので、うまくいったのかと思ったら、「きっぱりと断られたから、これ以降は君の仕事だ」(笑)。鹿野さんは、私に「農林漁業再生プラン作成作業は中断していいから、舟山さんを口説き落とすために全力を尽くせ」と命じられました。私は、妻でさえ口説くというより口説かれたほう(?)なので、女性を口説くのは全く苦手なのですが、やむなく説得を試みることにしました(笑)。

そして、3人がかりの要請でやっと出馬にこぎつけました。3人でやっと1人前です(笑)。

それにしても、こんなガードの固い舟山さんを1人で口説いたダンナさんは立派だと思います(笑)。2人の子どももあり、1.29の出生率を上げるのにもう十分に貢献しています。我々3人の役目は、舟山さんを参議院議員として送り出すことです。

舟山さんの政治家としての素質を示すエピソードを紹介します。彼女が入省したとき、同じ課には3人の若い女性がいました。その年の課内旅行で、夜の宴会に呼んだコンパニオンに多くの費用がかかっているのを知った舟山さんたちは、翌年、志願してリクリエーション委員になって旅行の企画に加わり、理屈を通してコンパニオンは呼ばないということにしてしまいました。舟山さんたちは、「コンパニオンのかわりに、私たちがお酌をする」と言ったそうですが、宴会で彼女にお酌をしてもらった人たちは手が震えて酒の味がわからなかったのではないかという気もします(笑)。残念ながら、そのときには私はすでにパリに赴任しており、旅行に参加できなかったので、舟山コンパニオンにお酌してもらっていませんが・・・。

このように、舟山さんは、多くの男性職員たちの反対の声に正論で立ち向かい、自分の意見をとおしたのです。数の力で強行採決するどこかの政党と違って、きちんと手順を踏み正々堂々とやりました。一事が万事で、彼女は国会議員になっても、自分の理想を通す情熱も戦術も持ち合わせる政治家になることうけあいです。

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