参院選週間報告(北沢俊美候補応援編)

7月12日記

北沢さんは、ポスターにあるとおり「信念を貫き通す」政治家です。

皆さんご存知のとおり、10年前に羽田さんとともに政治改革に燃えて自民党を飛び出しました。5〜60人いたはずです。しかし、その後、次々と仲間が減っていきました。しかし、我慢をし、信念を曲げませんでした。新生党、新進党、太陽党、民政党と孤塁を守り続け、非自民で通してきました。ところが、長野県の同僚衆議院議員が6年前の選挙の前に1人去り、何と選挙戦が始まってから、北沢さん自ら応援し当選させた人も突然自民党に戻っていきました。前者はその後大臣になりました。かなり寂しい思いをされたはずです。今回の参議院議員選挙で羽田雄一郎さん、下条みつさん、そして私と身近な応援弁士が3人いた会場で、「1人もいなかった6年前と比べると夢のようだ」としんみりと述懐されていました。

私は、農林漁業再生プランを作り終わってから、鹿野道彦NC農林水産大臣からしみじみ言われました。自民党を飛び出して、ずっと非自民を貫き通した方は7人しかしないそうです。大半は変節し自民党に戻ってしまいました。

皆さん、これはご存知ないと思いますが、二大政党制を夢見て引っ張ってきた中心人物は、実は長野の筋を通す政治家、すなわち羽田さん、北沢さん、堀込さんの3人です。菅前代表もこの点はよく承知しているようで、昨年11月4日、長野駅前に私の応援に来ていただいた際、小さな声で「北沢さんたちが切り拓かれた二大政党制が目の前になりました」と言っていました。

そして、その信念を貫き通している1人が、民主党の若き党首岡田克也です。その意味ではぴったりの党首です。

私は、政治家は信条だと思います。信条を曲げてはいけないと思いますし、曲げるのは政治家ではないと思います。北沢さんは、6つの政党を渡り歩きましたが、目的はたった一つ、政権交代できる健全な政党を造ることです。そして、それが今見事に開花せんとしています。もう66歳です。この次3度目です。この間に是非悲願の政権交代を成し遂げてプレゼントするのが私のような新人の役目です。そうでなければ、他の軟弱な同志が次々と自民党に戻る中、歯をくいしばって弱小政党をここまで育ててくださった北沢さんたちに申し開きができません。相当やせ我慢をされたのです。少々太っておられますが。(笑)

 民主党は若い政党です。危ういところがたくさんあります。6月4〜5日の年金法審議をはじめとして、私自身イライラの連続でした。執行部が若手ばかりで自民党に手玉にとられていました。年金の未納問題、それに続く三党合意の時に、私からみると、若手執行部は、菅代表を守ろうという姿勢がみられませんでした。菅代表が登用した若手でしたが、脆さを露呈しました。菅さんがあまりにも若さを前面に出しすぎたのです。党の執行部に1人でもベテランを配置していたら全然違った展開になったと思います。

みてください。岡田さん本人が身にしみて感じたのだろうと思います。岡田人事は、72歳の藤井幹事長、仙谷政調会長も川端国対委員長も58歳です。懲りたのです。ベテランを配置しました。

そして、こうしたことが参議院にも当てはまります。ベテランがいなければ政治は進みません。いろいろな政党をくぐり抜け、小沢さんとも別れたりして信条を貫いてきた北沢さんは、まさに頼りになる存在なのです。

菅さんは、北沢さんを大変頼りにしています。言葉の端々に出てきます。混乱した時には北沢さんが相談相手なのです。羽田さんだと偉すぎてすぐ言うことをきかないとならないのですが、北沢さんだと安心して反論もできるのです。(笑) 5月上旬の代表辞任の時も北沢さんのアドバイスを仰ぎ、それに従ったようです。こういう人が、民主党にはあまりに少ないのです。民主党には当選3回を超える参議院議員は3〜4人しかいません。今回の年金法の審議でおわかりのとおり、最後の勝負が参議院に回ることがよくあります。そうした時に、青木幹雄自民党幹事長と渉りあえるのは、北沢さん以外にありません。県会議員4期、参議院議員12年の経験はだてではありません。民主党の要として大活躍されることは目にみえています。

当選されることは、正直言って間違いありませんが、問題はどういう票かということです。政界には変なルールがあり、どういう勝ち方をしてきたかでその人の発言の重みなりが違ってくるのです。北沢さんに大活躍してもらうためには、それに相応しい重み、すなわち票が必要です。どうかずっしりとした重みをつけて3回目の機会を与えてください。

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