須坂市制50周年挨拶(11月3日)

(通常のあいさつの後)

私国会活動を始めて約1年になり、今は主として民主党の一回生議員との付き合いが1番多くなっております。私の選挙区が長野1区だと言うと、さすが政治家です。「小坂憲次さんのところだ」と知っています。選挙区が長野以北だというと「そういえば小布施がある」と言います。須坂・中野・飯山と3市があると言うと、「長野より北に市なんかあったのか」と屈辱的なことを言い出します。(民主党の一回生議員の地理の知的水準が知れます。)

先ほどからの話を伺っていてもわかりますが、須坂は50年前は養蚕・生糸が中心でした。「50回の詩」(注1)の竹内さんの作品に糸繰りお琴さんの話が出てきます。山本さんのに田尻製糸のボイラーマンの父、作文コンクールの田中さんのにまゆ蔵、入沢さんのに養蚕が出てきます。今のIT関連製品と自動車を合わせた輸出割合よりも生糸の輸出割合の方が高く、まさに国の基幹的産業でした。

その後、農業は養蚕から果樹中心になりましたが、養蚕で、春蚕・夏蚕と危険を分散していた知恵を、同じ果物でも、りんご・桃・ブドウと多角化することで、北信州の果物を一大産業に仕立て上げました。

これに対し、こういってはなんですが、産業界はちょっと工夫が足らなかったようです。同じく製糸が盛んだった岡谷・諏訪は軽薄短小の精密機械に転換し、諏訪精工舎は今やセイコー・エプソン(※)として世界的企業になっています。須坂は落下傘企業の富士通などありましたが、地域の企業は少なく、そこまで至りませんでした。そして、今富士通は去ってしまいました。

しかし、今さら嘆いても仕方ありません。須坂には市民憲章にもあるとおり、恵まれた自然があり、次の50年に向けてこれを活用して須坂を活性化するしかありません。それに若き三木市長がおられます。いろいろな会合で会うたびによく冗談半分に言っています。「隣の中野市長も青木と“木”がつき、木内飯山市長も“木”がつく。三木さんが三市で別々なことをせずに、三市まとめて団結して小布施に負けない北信州を作り上げたら」と。

次の50年には、是非長野市より北に市がないなどと言われないよう頑張っていただくことを祈念致しますとともに、私も微力ながらお力添えすることをお誓い申し上げて、50周年のお祝いの言葉と致します。

(※)半導体の洗浄にフロンガスを使わない手法をいち早く開発する環境に優しい企業ですし、地域に密着し、本社を東京に移さないなどユニークな経営をしており、私の感心する企業

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