中野市合併記念式典あいさつ

2005.6.25

 ご紹介いただきました衆議院議員の篠原孝です。

 私は、この中野の生まれで、若林さんの後輩として30年間農林水産省に勤めておりましたが、合併の話が持ち上がったときには、ハラハラドキドキしておりました。なぜかというと、長野の皆さんはコツでゲットな人が多く、なかなか妥協しない人が多いからです(笑)。それが当たりまして、他のところではあまりうまくいきませんでした。そうした中、合併をまとめ上げられた関係者の皆様に改めて敬意を表します。

 私はふるさとをこよなく愛しておりまして、この言葉は妻にはあまり使っておりませんが(笑)、中野市三景と称して中野の景色を楽しんでまいりました。292号線の田麦交差点から見る高社山、これが一番よい所と思っております。皆、自分の所が一番と思うようですが・・・(笑)。それから母の実家の竹原の夜間瀬橋あたりから見る北信五岳、そして3番目は、私の秘密の場所になるわけですが、長峰から見る豊田村側千曲川、一つは古川崖の上から、もう一つはうさんこぶの山から対岸を見ることです。じいさんが孝の山と称してよく下枝刈りに連れて行った所です。木はほとんど金になりませんでした。しかし、正確に言うとこれは2.5景で0.5は豊田分だったのですが、めでたく合併し中野になりほっとしております。

 次に私ごとですが、私の次男、高1ですが、高野辰之の辰と中山晋平の平をもらい、辰平と名づけております。15年前に今日の合併を予測したと冗談を言っておりますが、この点からも喜んでおります。〔注:この件は、本当はこの式典にこそとっておくべきところ、中野市の50周年、豊田村の閉村式の時にも話してしまい、古いネタになってしまいました。〕ついでに言わせていただきますと、長男は信州と書いて「のぶくに」と呼び、ふるさとを名前に刻み込んでおります。

 中野は、久石譲さんが中山晋平の再来といわれ、高野辰之の詞にある景色でもメロディでも全国のふるさとの代表になりました。産業も青木中野市長がブランド中野ということで農業振興に取り組んでおられます。他にあまり名前を挙げるのはよくないかもしれませんが、コシナ、中野土建、中野プラスチックと北信を担う企業があります。

 合併を機に、ますます発展し、北信に中野市あり、長野に中野市ありと全国に名をとどろかすようになることは約束されているのではないかと思います。私は国政の立場から中野市の発展をバックアップすることをお誓い申し上げてごあいさつに代えさせていただきます。

 本日は誠におめでとうございました。

戻 る