飛んでイスタンブール

2005.11.5

<突然の代理海外出張>

11月4日、外務委員会の「衆議院旧ソ連各国等外交政治経済事情調査団」の一員として、両大陸にまたがる1000万人都市イスタンブールに到着しました。衆議院議員になって初めての海外出張です。農水省時代は国際部を離れても3〜5回、かなりきつい海外出張があり、下手な英語で議長までやらされました。ところが、国会議員はめったに海外出張はありません。

私の場合、BSE調査でアメリカに行く話がありましたが、1期生議員であり、遠慮してきましたので、2年間で初のものです。それも、民主党の外務委員会の理事等が突然行けなくなったための代理で、突然降ってきたものです。従って、原田義昭委員長について行けばよいという気を使わなくてすむ出張です。

<東西融合の地イスタンブール>

10月20日に国会議員が刑務所の暴動視察で射殺され、11月1日にも暴動が起こり、数人が殺されたというキルギス、大統領選で現大統領がダイオキシンで毒殺されかかったと噂されるウクライナ。そして2カ国への行き来に立ち寄るイスタンブール・モスクワです。

東西文明融合の地イスタンブールは、私の知る街では、ハンガリーのブタペストと似ていました。ガイドに言うと「ハンガリーもオスマントルコの支配下にあったので、トルコの影響を受けているが、あっちは川だが、こっちはボスポラス海峡で両大陸にまたがっている」と変な所で胸を張っていました。北はウクライナから南は北アフリカ、サウジアラビアまで支配した大帝国の名残は、今も街中に残っています。聖ソフィア寺院、トプカプ宮殿、ブルーモスク等です。

<夢の大陸横断鉄道>

幅1Kmほどの海峡で同じ市なのに橋ができたのは1973年、第2ボスポラス大橋は石川島播磨が造りました。そして今大成建設が鉄道の為のトンネルを掘っています。オリエント急行の終着駅が海峡を伝わってつながり、将来列車でアジアへ行けるようになると言うのです。私はもともと車や飛行機より鉄道のほうが趣味であり、いつか列車で両大陸を横断する新しい夢を持つことにしました。

EU加盟に向けてまさに勃興期にある国の息吹が感じられました。若者が多い街はトルコ語なのにアルファベットです。建国の父、ケマル・アクチュルクの写真があちこちにあります。家族の紐帯も強く健全な国のようです。

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