ウクライナとの農業協力・交流

2005.11.7

<10万haの日本向け生産>

外務副委員長との会談には外務省の用意したペーパーにもない議員が2人参加しました。1972年に60日日本に研修に行き、1982年にも来日した議員は、米大使も勤めた人で、「今は白髪だが、黒髪だった30年前は日本人に間違えられた」といったユーモアもお手のものでした。

原田外務委員長が肥沃な黒土を持つ「ヨーロッパの穀倉」と持ち上げ、私が土壌学者の一員として21年前に来たことを告げると、面白いことを提案してきました。

「日本人は食の安全に関心が高いが、黒土のおかげで農薬も化学肥料も少なくて農業生産ができる。ウクライナの広い農地があり日本の農業技術と合体し、10万haくらいで日本向けの安全な食料を生産したらよいのではないか」

<中国の海外食料生産>

中国の資源外交なり、資源を目指した動きはよく知られています。東シナ海の揉め事もその延長線上にあります。しかし、将来の食料不足に備えて、外国に農地を買い求め、自ら食料生産をしだしていることはあまり知られておりません。中国人はキエフにも1万人強いるそうで、もちろんロシアを意識した対応もありますが、農業大国ウクライナに目をつけていることは間違いありません。

<ドイツの狙った黒土>

2度の世界大戦で、ドイツは2度ともウクライナに攻め入りました。穀物の獲得を狙ってのものです。国家を支えるためには軍事力もさることながら、国民を食べさすことの重要性を知っているからです。2度とも不成功に終わりますが、敗走する時に、黒土を持ち帰ったのは有名な話です。

<ウクライナの肩入れ>

天江大使からは農林水産省からの出向を求められました。資料で日・ウクライナ友好議員連盟幹事長の柳沢伯夫議員が2年おきに訪問していることも知りました。会費の取られる議員連盟はなるべく入らないようにしており、日・○○国友好議員連盟は一つも入っていませんが、帰国後加入し、柳沢さんの随行ででもまた来たいと思っています。21年前を知る議員はそれほどいませんし、料理は口にあい、民主化したキエフは何となく小ぎれいになり、気に入ったからです。

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