永田町 社稷会 忘年会挨拶

12月11日

政治評論家の鈴木棟一氏(元毎日新聞記者)の主催する月1回の勉強会の忘年会で与野党の数多くの国会議員が参加。私の出席した時(夕方6時30分前後)の主な在席者(挨拶をしては次々に出ていく)は、以下の通り。
羽田孜、鳩山由紀夫、平沼赳夫、亀井静香、川口順子(参)、大島敦、鈴木寛(参)、斉藤斗志二、久間章生、世耕弘成(参)、松沢成文神奈川県知事、山口泰明、松原仁、松野頼三、河村健夫

少々、考えたスピーチをしましたので、お届けします。

今政界は一寸先が闇で、元自民党の方が今は無所属云々という話がありましたが、それ以上にひどい「弱り目、たたり目、落ち目」の三拍子揃った民主党の篠原です(笑)。
我が党には、世耕さんのような広報メディア戦略に長けた才はおらず、PR不足になりがちなので、少々長く話させていただくことをお許し下さい。

<民主党再生プラン>

私は、今、隣の席の政界・農林族の大先輩松野頼三さんに「鹿野がいなくなった民主党で頑張れ」と激励されました。私も「自民党の最も自民党的な農林族」と農林水産省という役所で、30年間自民党のお歴々と付き合ってきましたので、気がついてみると、心はすっかり自民党でした。ですから、今、民主党におりますので、自民党を離れた方の気持ちも何となくわかります(笑)。
その鹿野さんからは、「農業再生プランはできたから、今度は民主党再生プランを作れ」といわれて頑張っております。いろいろ建白書も書きましたが、我が党の幹部はあまり取り入れません。それに対し、びっくりしたことに自民党が私の提言をいつの間にか実現してます。

<議席を持たない閣僚をなくす>

一つが、竹中大臣が議席のない時に、「閣僚は議席を持つべき」という声が自民党にありました。それを民主党が先取りすることを提案しました。
前回の選挙の時の03年11月4日、テレビ朝日のニュースステーションでいきなり民主党の閣僚名簿を発表しましたが、それなら榊原英資さんを東京ブロックの1位なりにしておくべきだと提言しました。その後、自民党は竹中大臣を参議院に立て、議席を得、「政治家でない」という批判を封じました。
もう一つは、人事と派閥に変わるべき組織の問題。

<ブロックを派閥の代わりに使う>

自民党の皆さんでよくご存知の松崎哲久さんが前回民主党で当選されました。ところが、若いのが党の役員になっており、また50人の弱小政党のままという感覚が残り、人当たりのいい若い女性は○○局次長だとか、○○副委員長に5つも6つもなるのですが、彼は一つもなっていませんでした。それは仕方ありません。松崎さんのような立派過ぎて、弁が立ち理屈も言う人を使いこなせる人は、そうざらにはいません(笑)。自民党は、派閥がきちんとみているので、このようなことはありません。そこで私が松崎さんになり代わり、「派閥のない民主党では、ブロック単位で若手の面倒を見て、党の情報もその流れで伝えたらよい」と提言しました。そうしたら、武部幹事長は派閥解消の一環としてブロック代表の副幹事長を置き、更にブロックの協議会を通じて無派閥の新人に党の情報を流すように組織改革をし、先に私が提言したとおりにしていく方針を出しました。
司会の浅賀さんから紹介がありましたとおり、私の相手は115年続く小坂家4代目。私個人の利益を考えたら、そんな提言を書いている暇があったら、地元回りをしていたほうがいいのですが、それを犠牲にして、幹部から嫌がられ煙たがられても党の為を思って提案しています。それを民主党はちっとも実行しないのに、私の気持ちが、自民党のほうに以心伝心で伝わり改革が進み、複雑な気持ちです。手前みそになりますが、近くで自民党を見てきたので、改めるべき点がよくわかるのです。
ここまで来ると、私が民主党に愛想をつかし、自民党入りしたがっていると勘違いされる方が多いと思いますが、全く逆です(笑)。さすが大勝する自民党、人材がいて、改革が進みます。それに対し、私が人生を賭けて飛び込んだ民主党、反応がにぶく、動きません。このような人材不足の民主党にこそ、私のような者が必要ではないかと思い直し、意を強くして(笑)、民主党の再生、そして政権獲りに邁進したいと思っておりますので、今後ともよろしく願い致します。

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