過剰流動性が日本を狂わせている

日本中にある種の不安が広まっている。いらいらと言ってもいいかもしれない。子供がイライラし、いじめはとうの昔から問題視され、「引きこもり」も国際用語になっている。中高年の自殺が交通事故死者の2倍以上となっている。会社をリストラされたり、病気になったりして生活が苦しくなっているからだ。さらにTVドラマも作られた「熟年離婚」とやらが追い打ちをかける。高齢者の不安は、年金の先細りと子供や孫と暮らせない寂しさが最たるものだろう

こうした混乱の原因の一つは、家族の絆が弱まり、地域社会の連帯感が希薄になったことだろう。最近、社会学者の宮台真司が「日本の問題の根本原因は過剰流動性」と言い出した。つまりは、人間や社会が動きすぎるということである。

身近な例えで言えば、大部分の住民の多くが転勤族となり、隣人・知人が毎年10%ぐらいずつ代わる恐ろしい社会になった。

地方でも商店が潰れ、大手スーパーばかりとなり、工場も皆大企業の下請工場となってしまうことである。長野県庁では、任期内採用とやらで、地元に根のない人が県行政を担当している。政界で言えば地元と縁のない落下傘先、女刺客とやらが跋扈することである。際めつけが外国人労働者であり、ホームレスである。

とっくの昔にこうした危険性に気づいた人がいた。民族学者宮本常一である。欧米の真似をして日本のシステムが崩れていくことを憂慮して、村の自立と紐帯の大切さを説き、日本のむら社会の伝統的風景やルールを残さんとしていた。そして、今静かなブームを呼んでいる。当代随一のノンフィクション作家佐野真一が『旅する巨人』に宮本を描いたのは数年前のことである。

小泉政権も竹中・ホリエモン路線もひたすら競争競争と宗教の呪文のように唱えている地域社会の崩壊などお構いなしである。

民主党も将来のあるべき日本社会の姿を明らかにしていない。政治は明確な理想を掲げ、そこに引っ張っていかなければいけないと思う。私は微力ながら、少しじっくりこの問題に取り組みたいと考えている。

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