2009.08.17

政治

歴史的選挙を迎えて-09.08.17-

<もういくつ寝ると投票日>
待ちに待った第45回総選挙である。
 解散後に会った菅直人代表代行は、「『もういくつ寝ると投票日』の感じで、指折り数えて投票日を待っている」と素直に言った。何度も途中でこけた政権獲りの失敗を思い起こしたからであろう。かくいう私もまた、4年前の悪夢が甦ってきて不安であった。7月28日、マニフェスト案が500人の報道陣の前で鳩山由紀夫代表により公表された。そして、それらしきこと、すなわち「米国との自由貿易協定(FTA)の締結」という文言が入り、その夜から私の携帯電話は、同僚議員、日本農業新聞の記者、農業関係者からの問い合わせ(?)で鳴りっぱなしだった。大打撃である。これについては後述する。
 これ以上のことが起こるのではないかと心配していたが、8月17日までは今のところ大過はない。代表の発言がブレたとか報じられているが、政権与党にならんとしているからといって何もかもきちんと決まっているわけではない。マスコミの突っ込み過ぎである。

<大物議員の泣き事>
 私は、自民党の反撃を恐れていた。小沢代表の逮捕、鳩山個人献金問題、そして執拗なFTA締結攻撃。政権維持のためには手段を選ばない絶対与党である。
しかし、途中、自民党の某大物議員から変わった電話を受けた時に、もうしばらく反撃の種はないことを確信した。その議員がある集落を訪問したところ、かつて彼の支持で固まっていたのが、今や民主党の議員支持に変わっていた。理由を聞いたこところ、別にその民主党議員を支持しているのではなく、その背後にある篠原民主党農政に期待してのことだという。そこで、農相もやり農水省時代の私を使ったことのある某大物議員は、私に電話をしてその農業集落のリーダー格の人に某大物議員支持を働きかけてくれ、というものであった。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった人である。政治の世界は本当に目まぐるしく変わる。
<悪夢の小泉郵政選挙>
 小泉元首相はたまには野党でもいいとうそぶいた。よく言えたものだ。4年前の8月8日突如解散した。亀井静香は150%ないと言っていた。ただ、その時すらまだ世論調査は民主党優位だった。しかし、1週間後、郵政民営化に反対した議員に、次々と女刺客を送り込む小泉・武部戦略に騙され、国民は自民党・公明党に未だかつてない大勝利を与えてしまった。自民党の戦略にまんまとはまり、連日、女刺客報道をし続けたマスコミの責任は重大である(残念ながら、マスコミ自身がこれを指摘したり、自ら反省したりする論調はほとんど見当たらなかった)。
 小泉総理は、その後、国民の支持を得たとしてやりたい放題である。
<学習した国民>
 そして今、この不況、閉塞感である。政治家に言葉は大事だというが、TVに映し出される一言(ワンフレーズ)で動かされる危険を垣間見た気がする。私は、煽動的言葉や大声の演説はもともと嫌いだが、政治家として同じ手法は絶対にとらないことを心に決めた。
 ただ、国民の眼はそれほど節穴ではない。
 もう自民党はいい、民主党にやらせてみてもいいと、やっと思い直してくれたようだ。ほっとする。少なくとも4年前の変な逆風はない。正々堂々と政策を訴えていくだけである。
民主党への期待が大きいが、我が選挙区は事情が異なる。
 相手は世界一長い政治家系を誇り、自ら世襲の権化と称する人である。名古屋市長選から東京都議会議員選挙まで続いた追い風も碓井トンネルが小さ過ぎ、長野の山が高過ぎて、ここまでは吹いてこない。私は地道にやるしかあるまい。
<政局オンチだった民主党幹部>
 農業再生プランを一緒に作成し、04年参院選を50対49(1人区は01年の2対25から13対14)と勝利に導いた鹿野道彦さんは議席を失った。鹿野さんは早くから小泉の危険性を指摘し、必ず解散するから早く長野市の住宅地を回れと指示した。05年4月のころである。そして、郵政民営化の対案を用意すべしと主張し、作成もしたが、岡田代表、仙谷政調会長、五十嵐NC総務大臣等の執行部は許さなかった。政治勘の違いである。世の中、先が見える人は見えるのだ。
 その鹿野さんからしょっちゅう電話がくる。特にFTAのドジ以降は、矢継ぎ早の指示である。私はそれに従って動いた。農業地帯の議員の悲鳴が聞こえてきた。農民の声に相変わらず鈍感な同僚議員、幹部が多く、疲れてたまらない。
<農民が真っ先に民主党政権を望む>
 我々が真剣に議論して練り上げた農業者戸別所得補償(直接支払い)は、農民の支持するところとなり、07年の参院選では1人区で23対6と、参議院で民主党第1党の原動力となった。池田元久議員(元NHK記者)は、農民が政策判断し、最初に民主党政権への秋波を送ったと称した。そうかもしれない。
 ところが、軽率極まりないマニフェストの一文で、その信頼なり支持が音を立てて崩れている。修文したにしても、もう遅い。政権を獲らしていただき、政策を実行することにより信頼を得ていくしかない。「篠原さんがいながら何ということか」と関係者からお叱りを受けどおしである。私にも大逆風なのだ。これがドジをした同僚議員にはわからないだろう。
<政権交代を目指し全力を尽くす>
 しかし、民主党全体としてそこそこの形で公示前日を迎えられ正直ほっとしている。あとは地道にマニフェストに盛られた民主党の政策を訴えていくだけである。
 民主党の政権獲りに手を貸してくれ、民主党の農政を任す...と言って羽田孜元総理や北沢俊美参議院議員から口説かれて政界入りして6年、日本の政治を変え、まじめに努力した人が報われる社会を実現しないとならない。今、その目的に向けて最終局面に入った。政権交代を目指して、全力を尽くす所存である。

投稿者: しのはら孝

日時: 2009年8月17日 16:28