2009.12.07

政治

行政刷新会議のその後 ― 日本の国家戦略を示す 09.12.07

<福嶋元我孫子市長→加藤構想日本代表>
 国民の圧倒的支持を頂いた行政刷新会議の作業は一応ひと段落した。鳩山個人献金問題で内閣支持率が下がるところを行政刷新会議が救ったというのが新聞のもっぱらの論調である。この行政刷新会議がやっていた事業仕分け、これは元はと言えば福嶋浩彦我孫子市長が市の補助金に市民審査を導入していたのに目をつけてた加藤秀樹構想日本代表が、都道府県や国レベルにも当てはめ体系化したものだ。

<河野太郎の政治勘>
 そしてそれを真っ先に政治の舞台に取り上げたのは河野太郎さんで08年8月、自民党の中で「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」が文部科学省の事業についてやり始めた。彼が行政刷新会議の会場を訪れ、「我々は反乱軍としてやっていたが、民主党は羨ましい、正規軍としてやっている」と嘆いていたが、事実その通りである。廊下で河野太郎さんに会ったときに「元祖なのにどう?」と言葉をかけたところ、「羨ましい限りだ」と悔しがっていた。
 河野太郎さんは外務委員長としても最も厳しく外務省のなまくら答弁を糾弾するなど、野党的な振る舞いの多い惚れ惚れする政治家である。大衆の気持ちを汲み取る政治勘は河野一郎以来の河野家のDNAかもしれない。

<事業のない外務省、防衛省の事業仕分け>
 あまり知られていないが、民主党の政務調査会でこの事業仕分けミニ版をやったことがある。まだ1年も経っていない。私は政調の外務防衛担当の副会長ということでやらされた。民主党の会合で加藤代表がいろいろ解説された時、私は「事業仕分けは国の場合で言うと、国がやる必要があるのか、民間あるいは地方自治体や県でもいいのではないかという問いかけであり、防衛とか外交とかそもそも国がやるべきことは何がムダかという政策論争になり、この事業の仕分というのは不適格なのではないか」と率直に質問した。加藤代表はそれにはまともに答えてくれなかった。

<関心を呼ばなかった民主党の事業仕分け>
 はてどうなるかと思いきや私の案じたとおりであった。構想日本が事業仕分け用に分けた仕分けというのは、農林水産省、国土交通省等は10センチを超える厚さの本になっていた。ところが外務省と防衛省はそれぞれ5ミリの厚さにも満たないものであった。分け方も例えば外務省でいうと、東南アジア外交、平和のための外交というわけ方で、事業仕分けができる状態でなかった。
この時の惨憺たる様子を正直に書いておかなければならないだろう。政調が取り仕切っていたので、民主党議員全員に連絡したが、特に、外務・安全保障(衆)、外務防衛・ODA特委(参)等、関係者全員に呼びかけたが、外務省事業は結局私1人だった。半日1人で外務省のお役人70名を相手に5つの事業について事業仕分けを行なった。防衛省のほうはそれよりましだったが、ずっと出てきてくれた議員はおらず、数人が1時間ほど付き合っただけである。公開等仕組みの何も同じだったが、皆さんの関心もほとんどなく国民にも知られていなかった。

<人気ショー化した蓮舫仕分け>
 そして迎えたのは、組閣の目玉の一つとして行政刷新会議というものを仰々しく設け、数ある事業のうちからどういう基準かしらないが、500余りを選び出してやった事業仕分けである。テレビでは7人の国会議員も他の仕分け人もいるのに関わらず、連日 蓮舫参議院議員ばかり映し出された。このようなマスコミの対応はあきれるばかりだが、美人で言っていることが小気味よいということで仕方がないことかもしれない。「なんで蓮舫ばかりが」という声が出てくるのも当然のことであろう。まさにTVショー化した政治の典型である。そして背後に財務省がいたのは明らかである。

<政権交代の醍醐味か>
 私は役人を30年間やっていた。その経験からすると1時間であのように罵倒され何を言っているのだという論調でやられるのは、はっきりいって頭にくる。過激な役人だった私ならその場で立って席を蹴っていたかもしれなかった。役人も我慢強いなぁとつくづく感じた次第である。
外務省への原案提出が、予算は8月31日締め切りで、12月上旬まで何度も行ったり来たりして折衝して決められていくのでまだ納得がいく。それに対し、たった1時間でこれはダメと決められていくのはあまりにも短絡的だという批判はその通りだと思う。
しかしよくよく考えてみるとこの程度の荒っぽいことをしないと世の中は変わっていかないと思えば仕方ないことかも知れない。関係者はともかく、国民の大半の70%以上の人が予算の編成過程が明らかになったと歓迎している。こういうことを3年も4年もやっているのはいかがかとは思うが、少なくとも自公政権の無駄を洗い出すという一回目の試みは大成功だということだろう。

<心配な官僚離れ>
 ただ、心配がないではない。私が憂えるのはこの姿をみて、ますます官僚になるのが嫌だという人達が増えてしまって、優秀な人材が役所に行かなくなってしまうことである。正義の味方 蓮舫と税金の無駄遣いをする官僚、というのはあまりにテレビ的であり、まじめな官僚には酷すぎるような気がした。これをするなら民主党得意の政治主導で、相手は副大臣なり政務官でなければいけなかったのではないだろうか。それを片や仕分け人(国会議員)、片や官僚というのはどうも不均衡なような気がする。官僚から国会答弁の機会を奪っておいて、糾弾される場だけは官僚にやらせるというのは勝手すぎる。

<予算の審議は国会でするのが筋>
 こうした折、ある会合で斬新なアイデアが出された。
 予算委員会をやっている最中(通常1月下旬から2月末)は、基本的に大臣と政治家の質疑応答なので、他の副大臣や政務官はめったに質問に対して答弁する機会がない。その間に副大臣・政務官の答弁で各省の委員会をやり、予算の洗い直しやってみたらどうかという提案である。知恵者がいるものであり、大賛成である。
 一つは政治家同士が文字通り予算を審議するということである。なにしろ予算委員会は国全体の政策議論であって、予算そのものの議論の場としては機能していない。もう一つは我々は与党になったけれども、特に今回の2010年度予算はほとんど関与できず、自公政権が作った予算を2~3週間で組み替えて作ったものであり、政務三役だけしか関与していない。そういった意味では自公政権の予算を削ることと新しい予算についてこれで大丈夫なのかもっと増やすべきではないかといった議論を真剣にやっていいのではないか、予算委員会で抽象的な議論をしているよりもずっとまともな議論ができるのではないか。早速次の通常国会で実現してもいい国会改革だと思っている。予算を削るもつけるも最終的には政治であり、公開の場合はどこかの体育館などではなく、国会なのだ。

<次は国家戦略室の出番>
 そもそも問題は削る作業をやった行政刷新会議の後である。
 この後は民主党が日本の国をどのような国に仕立て上げていくか、国のかたちをどのようにしていくかということで国家戦略室の出番であり菅直人国家戦略相の出番なのだ。民主党政権になり、日本がどういう方向にいくのか国民がじっと見守っていることを我々民主党の国会議員は忘れてはならない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2009年12月 7日 18:25