2009.12.31

農林水産

-芋井ヒルズ、七二会ヒルズ、小田切ヒルズが脚光を浴びる日- 09.12.31

<中山間地域の活性化問題>
 私は常々、中山間地域の問題に関心をもってきている。農林業の衰退の様相が最も如実に現われているからである。その延長線上で、国会議員になってから支持者訪問を一番北の果ての栄村から始めた。そのあと、担当の地域の違いもあって、長野市担当、長野市以外の担当と分かれたので、長野市の担当の訪問先に最初に選んだのが、芋井地区であった。04年の3月・4月芋井地区を回った。景色が良く、いいところではあったが、ご多聞にもれず廃屋が多く過疎化が進んでいることがよくわかった。この地域の活性化のために何ができるかと自問自答しながら訪問した。
 そうした中、前回市長選に出てもらい、残念ながら敗れてしまった小林計正さんが、入山地区の影山地区にずっと住み続けており、「こんないいところはない」と言っているのには、全く共感し、心強く思ったことを覚えている。

<5年振りの西山地区回り>
 2004年の6月鹿野道彦 現予算委員長からアドバイスを受けた。「どこを回っているのか?」という問いに対し、「中山間地域が大変なので、長野市の人家のあまりない中山間地域を回っています。」と答えたところお叱りを受けた。「何を馬鹿なことを言っているんだ、小泉は必ず郵政解散をする。もっと人口過密地帯を回っておかないとダメだ」と言われた。その当時、郵政解散などと言っている人はいなかった。しかし、鹿野さんに言わせると、「同じ 清和会で、当選回数では小泉さんが一期上。あまり相手にする人がいないんで、酒も一緒に飲んでやったこともあるが、ともかく変わっていて、郵政民営化さえ出来ればあとはどうでもいいと思っている。それだから、必ず郵政選挙をぶつけてくる。解散したくてしょうがないんだ。」ということであった。
私は、芋井地区、小田切地区、七二会地区を回る予定であったが、鹿野さんの指示に従って取りやめた。そして、住宅地の浅川と若槻をまわっていたところで、鹿野さんの予見どおり、8月8日急に解散し選挙となった。その鹿野さん本人は残念ながら議席を失ってしまった。

<自然の景色が溶け込む恵まれた環境>
今回3度目の選挙では小選挙区で当選したので、それではゆっくりと再び中山間地域の現状を見なければということで、七二会地区、小田切地区と回り始めた。
 あれから5年、その間にも廃屋はもっと増えてしまっているのだろう。どこに行っても、おじいちゃんとおばあちゃん、あるいは、おばあちゃんだけのところが圧倒的に多い。ただ、きちんと掃除をし、周りの畑に野菜をきちんと作っておられるのを見ると感動する。
 この景色の良さを誉めると「景色では食っていけねさ」という人もいるが、「これが好きでここを離れないんさ」という人もいる。一様に子供達が去った寂しさが漂っているが、いつか帰ってきてくれるのではないか、という期待感も感じられる。一言二言会話をすると、いろいろな思いが伝わってくる。そして、次々に去る人が多い中で、必死で生きていこうとしている人のために政治が何とかしなければ、という思いを益々強くする。

<人情味溢れる人々>
 どこの家にも大体柿が見事に実っている。しかし、収穫されずにそのまま冬を迎えようとしている。昨年、熊が柿を食べに出没している場面が全国ニュースとなったが、むべなるかなであった。私は、りんご、桃の果物を生産する農家に育ったが柿も好物の一つだ。何軒かの軒先では自らとらせてもらい賞味させていただいた。お年寄りにはとても大きく、高い柿の木では収穫できない。もったいない限りである。
 白菜、野沢菜の収穫期と重なり、あちこちで大きい白菜をいただいた。秘書も含め、水炊き用にたっぷり使わせていただいた。お茶の誘いを受けることもしばしば。ともかく皆が優しいのだ。

<将来の○○ヒルズの可能性>
久しぶりの西山地区の訪問で、私が常々疑念に思っていたことが益々募ってきた。それは、長野駅から車で来ると20分、あるいは、小林計正さんの家なども県庁まで15分、そういった便利なところが過疎になるという不思議である。私の秘書のKはアメリカの生活が長い。彼がいみじくも言った。「代議士、これアメリカだったら何とかヒルズで、高級住宅街ですよね」。その通りである。私が抱いていた気持ちと全く同じなのだ。ヒルズは六本木ヒルズやビバリーヒルズ(ロサンゼルスの高級住宅街)ばかりにあるのではない、身近にもあるのだ。遠くに北アルプス、槍ヶ岳を見渡せるところもある。長野市を一望の下に見渡せるところもある。春先は山桜も咲いてさぞかし綺麗だろうということが想像できる。春先にもまた来てみたいところだ。
ところが、なかなかそういう人は少ない。ただ訪問しているとそういう人達にも出くわす。七二会の某地区でちょっとしゃべり方が違う、地元の人ではないということが会話をしてみるとすぐにわかる人がいた。周りの人から聞いたところによると、あまりにも景色がいいので週末中心の住む家としている人だという。その隣の家も改築中で、そこにも新住民が住むことになっているという。Iターンで民宿をしている人もいた。退職後、週末には戻ってきている人もいた。それぞれの事情があり、態様は様々だが、何らかの形で関わりを持とうとする人たちが増えてきている。人情味が溢れる人々と自然の美しさが一体となって溶け込んでいる。まさに癒しの里なのだが、どうもよそ者の方がこの貴重な価値がわかるのかもしれない。
小さな動きであるが、これが大きな流れになっていくだろうと期待せずにはいられない。


もう一つ、こういう人達の前に、芋井、七二会、小田切で生まれ育った人達が戻ってくるところが一番望ましい。団塊の世代の属する一年先輩のお宅がそうであった。寄っていけといわれ、お茶もいただき、Uターンの経験もいろいろ伺った。奥さんがお勝手にいっている間に、「よく奥さんが承知したですね」と小さい声で訊ねたところ、「いや違う、妻が近所の村出身で、両親の介護のために妻のほうが早く帰って来たいと言ったから帰って来たんだ」という答だった。住み着いて農業をやっていかれる決意を述べておられた。頼もしい先輩である。まだ年は62歳、80まで20年もある。この間に息子が帰って来、孫も夏休み冬休みに来ていたら、この地に愛着をもってくれる人達が増えていけば嬉しい。その中にずっとここに暮らしたいと思う若者も育っていくに違いない。

<のどかな所で教育を>
こういった傾向が益々顕著になることは間違いないと思うが、どうも聞くところによると、長野市街地に下りている人たちが多い。それは、ガソリン代はかかるが、中野から長野に通うよりずっと時間もかからない。何よりも自分の生まれ育った所である。多少不便でも両親もいて畑もある。景色もいい。それをなぜ離れていくかを探ってみると、いろいろ事情は違ったが、共通する理由は、遊び相手の子供たちが少ないということにもあるようだった。つまり、お年寄りばかりが残り、遊び友達も少なくなるので、仕方なしに市街地に下りてくるというのだ。その結果、小田切小学校・中学校が廃校になっている。
それならば、対策はある。私はスクールバスを使って長野市内の小学生・中学生を逆に連れてきて、こんな空気のいい風光明媚なところで勉強させて、夕方になったらスクールバスに乗って帰っていくということを考えてもいいのではないかと思っている。これは○○市と○○市では出来ないが、合併しては大きくなってきた大長野市ならすぐにできる話だ。こうした逆転の発想も大切である。

投稿者: しのはら孝

日時: 2009年12月31日 10:02