2010.03.05

政治

事務次官の廃止により霞ヶ関を専門家集団に 10.03.05

 今、公務員制度改革関係の法律が国会に提出され、審議されようとしている。私は提案されているいろいろな改革案の中で、非常に大切なのは事務次官の廃止だと思っている。いろいろな理由はあるが、何より霞ヶ関の中央官庁の官僚がつつがなく役人生活を送り、力を発揮するためにはいろいろな条件整備が必要であり、その一つが思い切りプロフェッショナルとして仕事をして一生を終える環境を整えてやることである。優秀な官僚のいるフランスには次官制度はなく、アメリカ・中国には複数の次官がおり、日本のような変なシステムは存在しない。

<専門性か応答性か>
 公務員改革は先進諸国では常に議論され進化を遂げてきている。幹部官僚制度についていつも議論されるのは大体2点、一つは政治家主導、日本的に言うと政と官の関係。二つ目は、局長なり長官が専門性を重視して仕事をするスペシャリストか、それとも応答性と言っているが、調整力、マネージメント力のある幹部かということである。私はこの点については、確実に専門性を重視し大事にしていくべきであると思っている。なぜかというと霞ヶ関には意外と真の専門家がいないということを実感してきたからである。

<事務次官の不祥事とその原因>
 事務官も不祥事を起こす。最近では事務次官在任4年以上にわたった守屋武昌元防衛事務次官が収賄容疑で逮捕された。役所で「大物」といわれた事務次官経験者ほどこの種の事件を起こしがちである。リクルート事件の高石邦男元文部事務次官、厚生省汚職事件の岡光序治元事務次官などで、どちらかというと人材が少ない官庁である。守屋元事務次官の場合は防衛産業界、政治家からみて「使い勝手」がよいことで、重宝がられてたのである。多くの組織は仕事二の次で、「調子」のいいのが出世する傾向が強い。
 中央官庁でも、中堅までは企画立案能力の優れた人材が大事なポストにつくが、局長、長官クラスになると、業界、政治家やマスコミにも「いい顔」をする「調整型」が残りやすくなる。その一方で異能のプロは弾き飛ばされていき、役所の活力が失せ、企画立案能力もなくなっていく。

<事務次官の強大な権限>
 こうしたことが生ずる一因として、中央官庁では、早期勧奨退職制度、つまり50歳くらいをすぎたら、キャリア官僚はいつでもやめさせられる人事制度により、事務次官が強大な人事権をもっていることがあげられる。知事も人事権をフルに使えるが、気に入らない者を閑職に追いやることはできてもやめさせることはできない。
 事務次官は側近で周辺を固めることも、ライバルを蹴落とすことも自由自在にできる。いつでもクビにする権限を持つ事務次官に部下が抵抗できるわけがない。まして守屋元事務次官の場合は、官房長もやり十年以上も組織のトップとして人事権を握ってきており、部下やまわりは週末の接待ゴルフを知っていても誰も注意すらできなかったのだろう。
 「次官の暴走」を抑え、適正な幹部人事を行なわなければならない。この観点から、各省庁に1970年以降の次官の平均在職年数を調べたところ、財務一年三ヶ月、旧自治一年四ヶ月と短い省庁と、旧郵政一年九ヵ月、防衛・旧文部・旧運輸が一年十ヶ月と長く、二年以上在任するケースが目立った。
 戦後、事務次官経験者は不祥事で八名逮捕されているが、そのいずれもが後者のグループに属する役所であり、在任期間とも相関関係があると思われる。つまり権力は腐敗するのである。

<全員が事務次官を目指す悪弊を排す>
 そうしたいかがわしい官僚ばかりがはびこるのを阻止し、国のために役立つ専門家の官僚を育成する突破口が事務次官の廃止である。何故かというと、事務次官を廃止すれば、皆一つの分野、例えば農林水産省でいうなら、30年間のうち、水産庁に15年勤務し、最後に水産庁長官になれればいいと、自分の得意分野を一つ、二つの局・庁に定めて仕事をするようになるからである。人事もそういう流れに沿って行なわないとならない。アッチチョコ、コッチチョコと全局・庁に行き、ジェネラリストだといっている人たちが事務次官になり、皆がそれを目指して仕事をするという無駄はなくさないとならない。人材の無駄遣いであり、有能な人たちには専門家として存分に働いてもらうべきなのだ。
 残念ながら、霞ヶ関の行政官には世界に通用し、国際機関にすんなりと受け入れられるプロは少ない。なぜならば、日本の中央官庁の人事システムが専門家を育成し、登用するシステムになってないからである。専門性に優れるフランスの官僚が幾多の国際機関の長(好例はラミーWTO事務局長)の供給源であるのと好対照である。

<最近の次官廃止論>
 既に事務次官会議は廃止され、また事務次官の大事な仕事の一つである記者会見は廃止されている。もう一つの大きな仕事である人事を、大臣・副大臣・政務官がやることになれば、事務次官のいる必然性は全くない。こうしたことを私はすでに決算行政監視委員会(09年4月22日)で渡辺喜美行政改革担当大臣に質問の折にし、提言をしている。
また去年の秋頃から片山 善博 元鳥取県知事が新聞紙上で同じような主張をし始めた。そして、仙谷由人国家戦略担当相が同じような考え方を示し始め、法案の附則に書かれていたりしている。
最近知ったことだが、異能の元通産官僚・八幡和郎氏(フランスのENA(国家行政院)に留学)が1997年2月25日号のエコノミスト誌に事務次官廃止を強く主張し、著書にも書いていた。最もまとまった事務次官廃止論である。

<事務次官の役割は政治決定・人事は大臣、調整は官房長が代替>
 事務方としての調整は、他の局長横並びの官房長がやれば十分である。そして人事は、大臣等(政務三役)がやればよいのだ。ただ政治主導とするためには大臣の在任期間は一年では足らず、もう少し長期にしないとならない。

<民間は専門家>
 民間企業の人事は、人事、労務、経理、営業 等に分けられ、その範囲内で人材が育成されていく。そして、商社でいくなら、水産、鉄鋼、繊維・・と物別に分かれ一生その「物」の専門家として仕事をし続けるのではないか。そのため、自分の得意分野を極めようとするし、また、自分の専門分野がなければ、生き残れないことになろう。そのうちの何年かの入社組の1人が社長となるのが普通である。
それをなぜ役所はひとりあちこち回り、何でもそつなくこなす能吏(私に言わせるとインチキ・ジェネラリスト)ばかりが残され、事務次官になる仕組みになっている。もちろん、調整能力も必要であるが、そんなことは政治家がやればいいことであり、官僚はあくまでその道のプロこそ必要なのだ。

<政治改革とセットですすめる公務員制度改革>
 公務員制度改革は政治制度改革とセットで考えなければならない。次官を必要とし、局長、長官をジェネラリストにせんとする動きは、政治家と行政官の役割を混同し、官僚に調整やマネージメントを委ねる政治力のなさの表れである。政治家はリーダーシップを発揮して、国家百年の大計を考えて理念を持って国家戦略を決めなければならず。重要な政策決定をしないとならず、官僚は専門性を高め、政策の立案・実施能力を発揮しなければならない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2010年3月 5日 18:11