2010.03.19

政治

政策研究会設置に見る民主党の組織的成長-10.03.19-

<政調廃止問題で最初から矢面に立つ>
 民主党政権発足の前日、9月の15日の臨時両院議員総会で、当時の岡田幹事長は野党時代の党則は与党にそぐわないので走りながら変えていくと表明した。しかし、その後なんの党の規則をかえることもなく小沢幹事長の命突然政調会が廃止された。大義名分は政府への政策決定の一元化であり、自民党の部会のように強力な圧力をかけてはならないというものである。
 NHKニュースウォッチ9がこの問題に気がつき、政権発足後1ヶ月たった10月19日、党内から消える自由な議論というかたちでにとりあげ、私が取材受けたので率直に問題点を指摘した。これを見た高校の同期生が放送が終わるやいなや「あんなに正直に言って、幹部から睨まれないのか」と心配して電話をかけてきた。中野市の佐藤後援会長からは日頃いつも叱られているのに、この時は全く逆で、「国会議員は、我々の意見を聞いて、党内でも議会でも意見をたたかわすのが仕事。大臣になるのが遅れてもいいから、もっと正々堂々言え」と逆に激励された。支持者とはありがたいものである。
 私は、親小沢でも反小沢でもない。民主党議員が政策の企画立案に力を結集し、よりよい政策形成ガできる仕組みを重視しているだけだ。16万人の名前を書いていただいた方の付託を受けて働くまでのこと。誰にも気兼ねなどするつもりはない。

<物足りない政策調整会議>
 政調に代わるものとして副大臣、政務官が主催の政策会議がつくられた。政府の政策を説明し、それについて一般議員が質問し、意見をいい、それを忖度もして政策を決める場という振れ込みだったが、ほとんど決まったことのフワッとした説明で、議員たちの意見が取り入れられて、政策が決定されているとはとても思えなかった。政務二役が数日前に事務方からレクを受けて学んだことを、口をパクパクさせながら説明し繰り返しているのが丸見えだった。それよりも何よりも、大半が説明したという証拠作りのものであり、実りある政策の議論の場になっていなかった。
それどころではない。いつのまにか政策会議と各委員会の筆頭理事主催の質問研究会の差がわからずごっちゃになっていった。国会議員を取り込むことに熱心な省庁は、講師まで揃えた勉強家や、団体のヒアリングまで政策会議でセットし始めた。また、国会議員などの世話にならない自信のある省庁は、手を抜き、さっぱり政策会議を開かなくなった。

<質問研究会の機能も中途半端>
 質問研究会は言ってみれば自民党の部会、野党時代の民主党の部門会議に相当する。役所の事務方から政策の説明を聞き、いろいろ問いただしたりすることもあり、有識者に来てもらって話を聞いたり、団体や現場の人たちの意見を聞き勉強し、それを政策に反映させる場である。最も開催頻度の高い農林水産委員会質問研究会が農業者戸別所得補償がらみのきちんとしたペーパーを政府につきつけ、異彩を放っていたが、それとてきちん対応されたかわからない。

<政調復活の動き>
 私はできてしまった二つの会合を両立させるべく、それぞれの役割分担を簡単にまとめた質問研究会と政策会議の左右対照表を作り、関係者に配布してうまく動いていくように工夫した。
そうこうするうち2月18日、政調を復活させるための会合がもたれた、当然から議論の場の必要性を強調している私にも参加要請があり出席した。その後、3月4日に今度は前回の18人から41人が同様なかたちで集まり、鳩山総理と小沢幹事長に政調復活を申し入れた。ほぼ同時期に田中眞紀子文科委員長等も幹事長に直訴している。

<田中眞紀子さんの首尾一貫した対応>
 ここで関心するのは田中眞紀子さんである。民主党無所属クラブのときに民主党が審議拒否をしたのに、1人ぽつんと本会議に出席し、絶対に審議拒否をすることがなかった。国会議員は、国民のために本会議や委員会に参加して審議をするのが当然だからという。そう言えば、眞紀子さんと外務委員会で3年間一緒だったが、きちんと議論を聞いていては、女性としては野太い父親譲りの声でいろいろ隣の私に話しかけてきた。その延長線上で党内の議論もすべきというものであった。まさに有言実行、言行一致である。眞紀子さんは明らかに小沢親派であるが、それでもちゃんと意見を言いに行くのであり、その姿勢に敬意を表せざるをえない。

<民主党内の調整能力の欠如>
 この点で最初から仲介役で苦労したのが山岡国対委員長である。小沢さんの思惑と、民主党一般議員のしっかりした議論の場を確保したいという立場の間に立って、どこかに妥協点を見付けなければならなかった。
ところが、当初は政府・党執行部からは政策会議の中に担当副幹事長を入れコアメンバー会議なるものを設け、風通しをよくするというものばかりで、決して質問研究会をもっと活発化させるということが出てこなかった。いつもながら、民主党は足して二で割ることや両方の顔を立てるのが苦手なのだ。農政はいつもそういうことばかりしてきたので、私は政治家になった今も本能的に着地点をみつけようとする。双方を納得させるには、質問研究会を政策議論の場にすること以外になかった。私は、水面下でその方向にいろいろ布石を打った。 

<政策研究会への名称変更>
 政府と党も折り合い、3月8日ようやく質問研究会を政策研究会と呼ぶことになり、党の機関としてきちんと位置づけられることになった。更に、議論した結果を政府に提言するということも認められることになり、党内議論も活発化していくこととなろう。事務的なことだが、一旦内閣入りした民主党事務局の職員の政調業務への復帰、議員政策研究会の日程の衆・参議院広報への掲載(今まで6ヶ月、民主党の会合は国対の会合以外何も掲載されていなかった)も決まった。

<成熟しつつある民主党>
 民主党の皆さんは野党暮らしが長く、格好いいことを言い放しの人たちが多く、両方の顔を立ててまとめるということがなかなかできない。こうした中、党の執行部と政調廃止に不満をもつ人たちとの間をとった、今のところ中間の美しい解決策が示された。民主党の組織としての成熟の証である。
この研究会の中からきちんとした議論をし、政府をバックアップすべく積極的に提言していけば、よりよい政策の立案につながることになる。

(折角、党内融和の術もわかってきたと喜んだのも束の間、この原稿を書き終えたばかりなのに3月18日 夜 生方幸夫副幹事長が、小沢批判をした廉で解任された。やはりまだまだ未熟さが残る。また頭を捻らせないとならない。)

投稿者: しのはら孝

日時: 2010年3月19日 11:22