2011.05.20

地方自治

頑張れ栄村 村の地震対策も大事だが、柏崎刈羽原発の廃止のほうが切実 - 2011.5.20 -

<栄村を元気にするのが私の政治の原点>
 栄村は、長野・新潟県境に位置する人口2,212人の小さな村である。人口は少ないが、面積は271.51km²と広く、世界一の豪雪地帯である。森宮野原駅には7.85 Mの日本最高積雪地点の標柱が立っている。
 私は、随所で書いているが、絶対政治家になってやるといった形で政界入りしたのではなく、羽田孜さんや北澤俊美さんに強く勧められたからである。しかし、動機はどうであれ、政治家になったからには、これはしたい、これはしなければならないというのはいくつもある。その一つが中山間地域の活性化である。
 2003年秋、私の初選挙の公示日には、皆が止めるのも聞かず、2時間半かけて栄村役場前に直行した。ほとんど聴衆はいなかったが、私の選挙活動はどうしても栄村から始めたかったからだ。

<向都離村で村が疲弊>
 明治以来ずっと「向都離村」(都会に向かって、田舎を離れる)時代が続き、日本はこれに歯止めをかけることがなかった。そのため、山深い里は櫛の歯が抜けたようになり、各地に限界集落が生じている。
 栄村も7300人いた人口が4分の1強に減少。支持者訪問の折「限界集落なんてふざけた名前つけられているけど、そんな生易しいもんじゃないで、篠原さん。この辺は限界集落なんじゃなくて崩壊集落だ」と言われ、私も次の言葉が出なかった。本当に困っている地域なのだ。

<直下型地震による局地的大被害>
 そこが東日本大震災の半日後の3月12日(土)午前3時59分、余震で大揺れし(M6.7の直下型地震と震度6クラスが3回)、大きな被害を受けた。局地的地震であり、新潟県中越沖地震の山古志村の被害に匹敵するが、東北の大被害の蔭に隠れて目立たないままである。3月上旬はまだ雪で覆われており、田畑の被害のほどは不明だった。しかし、852戸の小さな村で、33戸全壊、152戸半壊、454戸一部損壊、一時は秋山地区など一部の地区を除き全村に避難指示が出された。まさに大被害である。幹線道路も崩落、県道は通行止めだらけ、停電、断水も続いた。
 私はすぐにでも駆けつけたかったが、地震、津波、原発災害の対応に追われ、農林水産省を離れることができず、5月1日にはじめて見舞い方々視察した。全壊した無残な家、山腹をえぐった土砂崩れ、渡れなくなった橋、畔も崩れ落ちた田、亀裂が入り寸断された道、崩壊した水路、すさまじい光景だった。

<荒れる狭い田畑と森林>
 国有林の土石流に対しては、林野庁からすぐに出向かせ、対応を急いでいる。また、主として東北の塩水につかった田畑の復旧のために設けられた事業を、栄村の復旧にも使えるようにするなど私も蔭ながら復興に向けて汗をかいている。田植えの時期が近づいており、大急ぎで復旧工事を行い、なるべく多くの田んぼで米作りを続けられるようにしないとならない。村内の水田は226ha.、そのうち約30haは作付が難しいとされているが、1年でも休むと田畑は荒れてしまうのだ。
 仮設住宅は55戸必要とされ、村外避難住民は74世帯、164人で全体の7%。超過疎なのに、大地震で踏んだり蹴ったりである。

<強い絆で結ばれた村>
 栄村は人情味が豊かである。地元担当秘書は、食事をいただいたりすることも度々である。こうしたことに魅かれた松尾真京都精華大学准教授が、過疎の村に住みつき、村を元気にするためのNPOの一員として活動している。
 田なおし(国の事業にたよらず安上がりに基盤整備する)、道なおし(同様に安上がりの道路整備)、下駄履ヘルパー(ご近所がヘルパー)等ユニークな村行政で全国的に知られていた。無縁社会とは無縁のがっちりした絆で結ばれた古き良き村である。
 2005年秋、保険料未納問題で、代表の座を辞した菅直人農林漁業再生運動本部長を栄村に案内した。もちろん、たった一人の訪問であり、秋山郷の相澤博文村議(当時)のひだまり荘に泊まってもらい、翌日は栄村を高橋村長の案内でじっくり見てまわった。紅葉が美しく、同行していたアメリカ人のインターンは感嘆詞を連発した。

<地震が頻発する長野・新潟県境>
 その栄村に今、大震災以上の暗雲が立ち込めている。震災見舞いの視察に訪れたのに、自分の村の被害をさておき、何人かの人が福島第一原発の行く末を心配していた。不思議だなぁと思っていたところ、その背後には柏崎刈羽原発への懸念があることがわかった。そうだったのだ。栄村役場は柏崎刈羽原発からわずか50kmしか離れていないのだ。
 それを聞いた途端、私は首筋に寒気が走った。福島第一原発の対応に追われていながら、故郷長野1区の原発の危険に思い当たらずじまいだったのだ。柏崎刈羽原発は2007年既に事故を起こしている。3号機の所内トランスで火災発生、6号機から汚染水が海水中に放出され、7号機から空気中に放射能が排出された。
 今は津波により冷却装置が動かなかったことが問題とされているが、その前に地震により重要設備が損傷することのほうが恐いことなのだ。福島第一原発の1号機も地震で圧力容器や配管が損傷し、燃料の放射性物質が漏れていたことが明らかとなりつつある。

<栄村も飯館村も風下の村>
 予想以上の活断層の上にあることも判明している。今後も悪さをしかねない前科者の原発が、過疎で困っている村の身近にあったのだ。自然災害は復旧できるが、原発災害は全く性格が異なり、汚染のひどい場所は住めなくなる。被災された村民が、飯館村等の苦しい姿をみるにつけ、他人事とは思えないのは当然である。
 前述のとおり、栄村は世界一の豪雪地帯である。冬、シベリア高気圧が日本海上の湿った空気を吸い込み、柏崎刈羽の上空をよこぎり、長野・新潟県境の山々にぶつかり大雪を降らせる。その時に雪は空気中の放射能をたっぷり吸って降り注ぎ、近くの平地の何倍も汚染度が高くなる。福島第一原発の飯館村の位置関係と全く同じなのが栄村だ。
 放射能の汚染は、近いほどひどく、遠くになると距離の2乗で危険度が減少するとのことだが、それにも例外がある。風向き等により汚染濃度は異なる。そういえば、山のないウクライナでも、距離とは無関係の汚染土壌地図が描かれていた。
 週1回発行の北信濃新聞は、4月13日号1面で「放射線測定器の整備-飯山市原発事故への不安解消へ」という記事を掲載した。皆、不安を抱いているのである。

<柏崎刈羽原発も一刻も早く廃止すべし>
 5月6日、菅総理は87%の地震の予測を理由として浜岡原発の停止を発表した。これ以上停止を拡大させないなどと遠慮しているが、他の原発も危険だらけなのだ。
 私はキエフの国際会合で下手な英語で次のように日本の地震の危険性を指摘した。
「ヨーロッパは岩大陸だが、日本列島は地震だらけ。いわば、黒海のさざ波で揺れる大型船のようなものであり、原発には向かない国だ」。
 1970年から2000年までの30年間、震度5以上は、英国で0、ヨーロッパ大陸で2に対し、日本は3954回を数える。日本はまさに地震列島、災害列島であり、原発適地とか絶対安全といえる場所はどこにも存在しないのだ。

投稿者: しのはら孝

日時: 2011年5月20日 22:47