2011.08.27

農林水産

鹿野さんと農業者戸別所得補償 -民主党政権交代のキッカケは鹿野NC農水大臣から- 11.08.27

<農業者戸別所得補償の本当の親、鹿野道彦>
私は、常々農業者戸別所得補償の「生みの親」は菅直人、「育ての親」は小沢一郎と言ってきた。代表としてはこの通りであるが、本当に農業者戸別所得補償を作ったのは誰かと問われれば、紙を書いて資料を作ったのは私だけれども、きちんと最初に作り上げた責任者は鹿野さんである。鹿野さんが政策マンであることを皆さんに紹介したい。

<47才で農林水産大臣就任>
私が鹿野さんを初めて知ったのは1989年、自民党政権下で、47歳の若さで農林水産大臣に就任した時である。今は亡き中川昭一さんが51歳で就いたのと比べても、いかに若手のホープであったかがわかる。よく言われているが、安倍派のプリンスだったのである。しかし、元々は運輸族であった。余計なことになるが、自民党は政権与党の知恵で、族議員を必ずしもその大臣にしないことがよくあったが、そのたぐいなのだろう。しかし、鹿野さんはこのチャンスを生かし、それ以降農林族の重鎮となっていく。

<21年前と比べ大忙しの農相>
大臣時代は、ウルグアイラウンド(UR)農業交渉が一番の重要な問題であった。昨年9月12日に大臣就任以来、口蹄疫、鳥インフルエンザ、菅総理の突然のTPP発言、そして東日本大震災、原発対応と非常に問題が多く発生した。これに対して、鹿野大臣は私に「30年も農林水産省にいた人に聞くけど、農林水産省はいつもこんなにドタバタしているのか?俺が21年前いた時は、UR以外そんなにあたふたするのはなかったけどなぁ」としみじみと呟かれた。

<私の民主党入り後の濃密な付き合い>
鹿野さんは別稿で触れるが、94年4月 自民党を飛び出され、野党議員となられ、97年12月には新進党の党首選で小沢一郎さんに惜敗した。その後、民主党に合流され、再び濃密的に付き合い始めたのは、私が03年11月に民主党に参画してからである。
そこで手をつけたのが鹿野ネクストキャビネット(NC)農林水産大臣の下、菅代表から依頼のあった農業再生プランをまとめることであった。鹿野さんの指揮下で、徹底的に50時間をゆうに超える議論の上、文章編は20ページ~30ページ。資料偏になると100ページを超える農業再生プランが出来上がった。うるさ方の意見にも真摯に耳を傾け、ダメなものはダメときっぱり突っ撥ねる。見ていて惚れ惚れする対応であった。それもそのはず民党時代に一週間も続く米価決定に何度も参加した政策調整のプロなのだ。
民主党の看板政策の一つとなる農業者戸別所得補償は、この時の政策をそのまま踏襲したものである。今4Kバラマキなどといわれているが、子ども手当についてはそういった政策資料の一つも存在しない。それに比べたら、いかにきちんとした政策か分かるというものである。すべて鹿野さんのリーダーシップの下であった。

<その頃できあがった鹿野さんと私の役割分担>
当時の野党民主党時代は常に、NC大臣会合で全てが決められていた。先輩の小平忠正さんから「篠原君、大変だぞ。農林関係の案件は、都市部の議員ばっかしだから、一回で通ることなくて三回か四回かやらなくちゃなんない」と忠告された。その会合に鹿野さんから補助者として出ろとの命が下った。色々なNC大臣から色々な意見をいただいたが、そういう意見に対し、鹿野さんは丁寧に説明し、私がドギツク反論したことを覚えている。
こういう役割分担、すなわち、鹿野さんが要所要所で重々しい発言をし、私があれこれ余計な(?)発言する図式は、現在の大臣・副大臣の関係も同じである。例えばTPPについて大臣は当然快く思っていなかったが、菅内閣に波風を立ててはいけないとそういったことはほとんど発言されず、私が表立って発言した。未熟な某大臣はそれに対し「篠原農水副大臣には苦言を呈さなければならない」などと記者会見で述べた。鹿野さんはまさに「ブリキのパンツ」(?)とやらで、国会答弁でもほとんど閣内不一致的発言はされなかった。格の違う抑制の効く大政治家なのだ。

<04年のトリオが6年後もトリオに>
このあと残念ながら郵政解散で議席を失われたが、09年に復帰され予算委員長を一年、菅内閣で2度目の農林水産大臣に就任した。04年に菅代表、鹿野NC農林水産大臣の下に作成した農業者戸別所得補償政策を、菅総理、鹿野農林水産大臣の下、副大臣として本格実施するというのは偶然とは言え、なかなかよくできた組み合わせだと思っている。手前味噌になるが、人事もチグハグな菅さんの数少ないうまくいった人事かもしれない。

<鹿野さんを知ってもらい代表、総理に>
古くから鹿野さんを知る人や、農林水産部門会議や農林水産委員会で接する機会のある人たちは、鹿野さんの人となりや見識をよく承知しているにちがいない。それをマスコミは、古手の議員は若い代表になると困るので鹿野さんを応援していると、間違い解説をし出す。政治の世界に長く身を置く人が、党内融和を図る為には鹿野さんしかいないという危機感から、自然と集まっているのであり、原因と結果を履き違えているのだ。
鹿野さんと身近に接した人は、必ず鹿野さんのファンになる。その証拠に、農林水産副大臣の筒井信隆、篠原孝、政務官の吉田公一、田名部匡代がこぞって鹿野代表・総理の実現に動いている。残念ながら、全国的知名度は立候補者の中で一番低い。これから数日間、鹿野さんを衆議院一期生140人や、参議院の一期生に知ってもらい、鹿野代表、総理の実現につなげなければならない。
民主党にはお喋りで目立ちがり屋が多いが、鹿野さんは、余計なことはいわない人格者である。そういう意味では民主党の幹部に欠ける資質の全てを備えた成熟した政治家なのだ。だからこそ揉め事ばかりの民主党に、政権与党らしいまとまりと落ち着きをもたらしてくれるにちがいない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2011年8月27日 20:58