2013.06.27

政治

憲法9条の平和主義の精神を盤石なものにする改憲-13.06.27

―私の恒久平和のための改憲論―

 今国会の憲法審査会の議論が6月13日終了した。2年連続で憲法審査会に所属している民主党議員は私一人である。毎週木曜日の午前中、章ごとに議論してきた(篠原ブログ5月14日「憲法96条改正論議の矛盾」)。審議論議の一番の焦点は平和主義の根幹、憲法9条である。前文は、外国語の翻訳調になっていて悪文だと言われているが、平和を希求する点からいうと憲法は非常によくできている。

<前文と第2章 戦争放棄>
 憲法は、前文の第2パラグラフで恒久平和を念願するとし、第二章(戦争放棄)で9条は以下の通りに記している。
①日本国民は、誠意と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

<かつて安全保障を担当>
 私は、1982年秋 鈴木善幸内閣に設けられた、特別な組織、内閣総合安全保障関係閣僚会議担当室(以下「総合安保担当室」)に食料安全保障担当ということで出向させられた。当時は大平正芳首相の選挙中の急死で自民党が圧勝し、タカ派ムードが盛り上がっていた。今、尖閣列島問題等もあり、やたら勇ましい勢力が幅を効かしているのとよく似ている。しかし、根っからの平和主義者の鈴木首相は、日本の国の安全保障は、軍事ばかりではなく、食料安保、エネルギー安保、平和外交等総合的なものでなければならないという姿勢を明確にすべく、内閣に総合安保担当室を設置した。そのハト振りは徹底しており、安全保障というのに防衛庁の事務方を総合安保担当室に入れなかった。そして、日米同盟を軍事同盟とする伊東正義外相を即座に更迭している。今日の自衛隊を国防軍にとか集団的自衛権の行使を認めるといった論調をみると隔世の感がある(篠原ブログ07年7月13日「追悼 宮沢喜一」)。
 そこで猪木正道防衛大学校長、高坂正堯京大教授といった当代一流の安全保障関係の学者と勉強会を頻繁に開いたこともあり、それ以来私は、安全保障を常に自分の政策の一つの柱として考えてきた。政治家になってからも、外務委員会に3年も所属し、今は安全保障委員会に所属している。

<リベラルの会に最もふさわしい主張>
 衆院選出馬にあたって、マスコミからアンケート調査を受けた。汚い字ではあったが、真面目に自分で書いて提出した。当然憲法9条についての質問もあった。当選して間もなく、リベラルの会(護憲派グル―プ)の事務局から、アンケート調査を読んで「篠原さんこそ、最もリベラルの会に相応しい主張をされておられる方ですから、是非入ってください」と誘われ入会した。毎月5千円の会費を支払うことは後で知った。月に1~2回ぐらい開かれる会合にもいろいろ重なり出られなかったりして、あまり熱心な会員ではないが、退会しないまま続いている。

<日本国の意志で動く軍隊の派遣は禁止>
 私のどういう主張がリベラルの会にふさわしい主張だったか、紹介しておかなければならない。
 (戦争放棄、戦力不保持)
 9条は武器を海外で行使せず、自衛に徹することを明確にし、もっと平和的に変更すべき。自衛のための戦力保持は明記すべきだが、自衛に徹し、海外に脅威を与えない。
 (国連維持部隊創設論)
 国連は絶対ではなく、米国も無視している。日本ほど、国連に淡い期待を抱き続けている国はない。自ら判断すべきであり、国連維持部隊は評価しない。
 (集団的自衛権の行使)
 日本は日米同盟を言い過ぎており、米国はそんなに気にかけていない。日本は自国の防衛に徹し、他の国には派兵すべきではない。

 日本の独自の平和主義を謳った憲法は、完全に定着し、近隣諸国をはじめとする世界にも受け入れられている。一方、憲法を改正してもよいという国民も多くいる。
 ただ、私は憲法を改正する時は、前文を憲法9条の精神、すなわち恒久平和主義を前面に出した形で、海外への軍隊の派遣を禁止すべきだと思っている。その裏返しで、自衛のための軍隊である自衛隊を憲法上に明確に位置づける。よく国連が認めたPKO(平和維持活動)派遣は認めるといわれるが、日本国の意志が働く形での一部隊の派遣等は避けるべきである。一方、災害救助や施設整備等の手助けのための派遣は積極的に行う。
 もう政界を引退された岩国哲人さんが私と同じような考えの持ち主だった。

<自衛隊は軍隊として憲法上に明記>
 憲法9条第一項の戦争放棄に反対する人はいない。戦争はやっぱり放棄しなければならない。しかし、第二項の陸海空軍、その他一切の戦力を持たないは、あまりに現実離れしている。これで自衛隊を違憲だとされ続けてはたまらない。自衛隊は25万人の大きな軍隊であり、それを戦力ではないというまやかしをずっと通すわけにはいかない。自衛のための軍隊は持つべきであり、それを憲法上にきちんと位置付ける必要がある。

<集団的自衛権の行使といった大袈裟な理屈は不要>
 嫌味を言わせてもらえば、日本の存立基盤をアメリカに委ねていることが、集団的自衛権の行使などというややこしい論理が出てくる原因である。日本は自衛の軍隊を保持し、アメリカの軍隊に土地も経費も負担して駐留してもらうという屈辱的なことは、一刻も早く脱するべきなのだ。つまり、日本の自立のためには、アメリカ軍に、沖縄からそして日本の国土から出ていってもらう以外にない。
 よく日米共同軍事訓練の時に米軍が攻撃されても、集団的自衛権の行使が認められないから反撃できないといわれる。しかし、集団自衛権の行使などという仰々しいことを持ち出さなくても、日本の自衛権の行使として助けるのは当たり前のことだ。
 アメリカが戦争を始めたら常に世界中の戦場に出向くことになるだけである。日本の自衛隊をアメリカの始めた戦争につき合うという任務につかせるべきではないし、そんなことで日本の若者の命を粗末にしてはならない。

<戦争はいつも嘘の大義名分で始まる>
 日本でも、国連が絡んでいるPKO(平和維持活動)派遣は、武器の使用は認めないけれど、世界平和創出のためのとして認められることになっている。だが、私は前述のとおり、外国で日本の軍隊が日本国の指揮命令系統を受けて動くことは避けるべきだと思っている。なぜならば、正々堂々と侵略の意図を持って外国に軍隊を派遣する国などなく、いつももっともらしい言い掛かりを用意しているからである。典型的な例が、アメリカがイラクに大量破壊兵器があるからと言って爆撃したイラク戦争である。今になって、当のアメリカも大量破壊兵器はなかったといい、イギリスもそれを認めている。フランスとドイツにいたっては、もとからアメリカの嘘を見抜きアメリカに組みしなかった。それに対し、日本だけがアメリカに追従し、今も検証せずにうやむやのままである。

<中国が四川大地震の際も救援部隊を受け入れなかった理由>
 日本の自衛隊が出ていくとしたら、日本人を助ける、しいたげられている何々国民を助ける、という、もっともらしい理由をこじつけるかたちで入っていくであろう。そして、いつの間にか常駐することになってしまうことは歴史が教えている。だから 08年5月に四川大地震が起きて、日本が地震の救助については経験があるから派遣したいといっても、中国は受け入れず、4日経ってやっと日本を最初の援助国として受け入れた。しかし、大半の人は既に亡くなっていて、残念ながら1人も救助することができなかった。中国は軍の派遣を神経質に拒否したのである。当然アメリカもロシアも受け入れていない。これが厳しい国際政治の現実なのである。
 今スーダンにPKOが派遣されている。世界全体のPKOでみると派遣人数で45位の国だそうである。私は、そもそも日本のような小さな国は、余程頼まれた時以外は外国に軍隊を派遣する必要はないと思っている。そして、出ていくとしても、あくまで助っ人で貢献すればそれで十分である。なお、私の基準でいうとイラク戦争への派遣は×で、インド洋上の給油は○ということになる。

<安倍政権の暴走を抑える>
 私は、憲法9条改正論者という烙印を押され、「だからあなたは支持しない」と言われることがよくある。残念ながら、私の主張をきちんと理解してもらっていない。12年5月31日の憲法審査会で、前述のとおり、自衛隊を絶対に海外に派遣しない裏返しで、「自衛のための軍隊は持てると明記すべきだ」と私のいつもの発言をしたところ、9条改正派に入れられ、民主党の多数意見と違うと報じられた。私の主張の大事な点は、今の憲法9条の精神を守り抜くこと、いかなる理由があろうとも日本国の軍隊を外国に派遣しないことにある。30年前の自民党には、鈴木善幸、後藤田正晴、宇都宮徳馬といったそうそうたるハト派が存在した。つい最近までも、河野洋平、加藤紘一、野中広務、古賀誠といったリベラル保守がいたが、今や自民党は危険な集団に成り下がってしまった。
 私は、来期も憲法審査会入りを希望し、憲法論議に参画していくつもりである。安倍政権の暴走気味の憲法改正論議に歯止めを掛けなければならないからである。

投稿者: しのはら孝

日時: 2013年6月27日 19:11