2013.11.21

政治

安倍首相は「国家」大好きで国を歪めている―危険な国家安全保障会議と特定秘密保護法―13.11.21

 今、特定秘密保護法案を巡って国会で論戦が行われている。その前哨戦ともいうべき、国家安全保障法案は国家安全保障特別委員会で審議され、11月6日に修正の上可決され、8日に衆議院を通過し、今、参議院で審議中である。私は委員ではないが、これに深く関わる総合安全保障関係閣僚会議担当室(総合安保会議)に2年勤務したこともあり、いつもと逆に私の方からリクエストして、30分質問した。

<趣味を出した質問>
 これについてはもともと議論が行われており、6年前の第一次安倍内閣で安倍首相がどうしても国家安全保障会議を設置したいと熱心に取り組んだが、1年であえなく腹痛で辞任、頓挫した。それを再び持ち出したのである。参議院選挙を終わって衆参のねじれが解消されたら、安倍首相がタカ派的趣味を出してくるとよく言われていたが、その典型である。私が予算委員会の最後に、慢心が見られる、民主党の総理と同じではならないようにと警告したが、どうも聞き入れられていない。

<軍事色を排除した総合安保会議>
 私が1980年秋から2年間担当した総合安保会議と比べるとよくわかる。総合安保会議は、時の鈴木善幸首相が、あまりにも軍事的な面が強調され過ぎていてよくない、平和外交、食料安全保障、エネルギー安全保障といった非軍事的側面も重視して、日本の安全保障を確立すべきだと主張して設立したものだ。今とは全く逆に、軍事色や防衛庁をなるべく遠ざけた形で議論が行われた。
 事務局も徹底していて、外務省のアジア局審議官が室長になり、経産省から課長クラス(2代目が川口順子元外相)、外務省と農水省から課長補佐クラス(私が出向)、係長クラスに内閣府という構成になった。併任で大蔵省、運輸省が参加したが、防衛庁はオブザーバーでしか参加できなかった。防衛庁排除が徹底していたのである。それに対して、今回は軍事部門を特別抽出して、首相、内閣官房長官、外相、防衛相の4大臣だけで議論する場を設けるというものである。

<安倍首相はやたら国家を協調>
 もっと歴史を遡って説明しておかなければならない。1956年に国防会議ができている。しかしこの国防会議では、防衛力の整備といった形式的なことしか議論されず、中曽根康弘防衛庁長官からは「内閣のお茶汲み」などと蔑まされ、あまり機能していなかった。そのため1986年に安全保障会議と名前を変えて再スタートしていた。そこでは自衛隊の活動についてチェックされ、議論されることになっていた。
 閣議決定で始まった総合安保会議は、なぜかしら4年間存続し、90年に廃止された。その後は、安全保障会議は存続していたが、今回、わざわざ安倍首相の趣味で(?)、国家というのをつけて仰々しく再々スタートするというのである。農水相はメンバーになっていない。4大臣会合の他に、国家公安委員長、総務相、経産相、国交相が入る9大臣会合というのが別途設けられている。しかし、目玉は4大臣で軍事的な面を議論するというものである。つまり、総合安保会議とは全く逆の性格を帯びることになったのである。

<ハト派宏池会の2人が外相・防衛相>
 鈴木首相は岩手の漁村の網元の出で、漁民のために尽くすべく国会議員になったという。同じように漁村の生まれで、漁業・漁民をなんとかしなければという思いで東京水産大学を経て国会議員になっているのが小野寺五典防衛相である。同じようなバックグラウンドを持って国会議員になっているが、今の状況をどう考えるかと優しく尋ねた。
 余計な事ではあるが、小野寺防衛相とは水産あるいは農政をめぐって昔から友人どうしであり、議員宿舎で会ったときに個人的にもこの質問の通告をしていた。その時に初めて聞いたことだが、政治家になったきっかけは鈴木善幸衆議院議員と握手したのがきっかけだったそうである。
 その当時、日米同盟を軍事同盟と称して伊東正義外相が即刻更迭されている。これについてどう思うかと岸田外相にも質した。2人ともハト派集団とよばれる宏池会。鈴木首相はかつての会長であり、現在の会長が岸田外相である。その岸田外相が私のハト派がもっと頑張ってほしいという意図を察してか、答弁に宏池会という言葉が突然入ってきた。内心忸怩たるものがあるのかもしれない。

<「国家」好きの安倍首相に歯止めをかける人はなし>
 86年に安全保障会議を作るときに、既に国家安全保障会議という名前にしようとしたけれども、当時のハト派で名が知れていた後藤田正晴官房長官が、「国家」は対外関係だけを念頭に置くのであまりつけないほうがいいと言い、タカ派総理と目されていた中曽根康弘首相もシビリアンコントロールの為なので、「国家」などつけない方がいいとつけなかった。それをわざわざ今「国家」とつけるというのである。安全保障はそもそも国家の問題であり、国家などつけないほうがいいのに、こんなところまで趣味を出している。違いは苦言を呈す人がいないことである。
 安倍首相はどうも「国家」が好きで、その後出てきたのが、戦略特区というのにわざわざ「国家」をつけて、国家戦略特区としている。ただ不思議なことに、特別秘密保護法は国家秘密保護法としていない。しかし、審議を聞いてみると、国家をつけると逆に秘密の範囲がかなり限定されるため、敢えてつけなかったのではないかと思う。

<アメリカの真似ばかりは危険>
 他に問題点として、アメリカの例をひいて、内輪揉めや組織間の争いを指摘した。イラク戦争開始時、アメリカのチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官が、二人とも軍人出身で、この二人が国防総省や国家安全保障会議担当のライス補佐官を無視し、イラク戦争に突っ走っていったことが問題にされている。当然、国務省の声も通りにくくなり、役所の重複が問題となり、片方(軍事側)が暴走したのである。日本でもそういったことが起る恐れがなきにしもあらずである。
 アメリカのNSCにならうとよく言われる。イギリスにもNSCがある。ところが、フランスとドイツには国家安全保障会議はない。それでも動いているのだから、軍事大国ではない日本にわざわざ設けなくていいのではないかという議論も成り立つ。

<一方的意見ばかりの有識者会議>
 さらに、有識者会議というものがあるが、法的な根拠もないのに、やたら安倍政権が乱用していて、「有識者会議でまとめていただき、その方針に沿って」などと言っている。国家安全保障戦略についても「安全保障と防衛力に関する懇談会」(北岡伸一座長)が既にまとめている。これも本末転倒である。なぜならば、この国家安全保障会議でこそ徹底的に議論して、国家安全保障戦略をまとめるべきであり、それを設定する前に民間の有識者会議がまとめたものに追従するというのはおかしな話なのだ。

<特定秘密保護法は絶対反対を貫くべし>
 安倍内閣の暴走への危惧は、国家安全保障会議を設置することから始まっている。更にその延長線上で、国家安全保障会議にかかる秘密事項についてきちんと守り、それを漏洩した者は厳しく罰するというのが問題の特定秘密保護法である。何が特定秘密かよくわからず、罪刑法定主義にも反するとんでもない「しろもの」である。取材者も罰するというので、マスメディアもこぞって反対している。
 「日本をとりもどす」というのは衆議院選挙のキャッチフレーズの一つだったけれども、日本を戦前に逆戻りさせるものかもしれず、厳重な注意を要する。

投稿者: しのはら孝

日時: 2013年11月21日 14:35