2014.08.25

地方自治

飯山市政施行60周年に寄せて-北信州の活性化と原発事故のおそれ-14.08.25

<幻の嘉田由紀子滋賀県知事講演>
 私は今年の2月15日、嘉田由紀子滋賀県知事を飯山にお招きして原発についての講演会をセットしていた。しかし、大雪のため長野新幹線が開業以来初めて止まり、実現できなかった。その夜、知事の3選出馬についてゆっくり意見交換する予定だったが、こちらのほうもキャンセルされることになった。ただ後者は2月19日、議員会館の私の部屋で、三日月大造衆議院議員へのバトンタッチへの話が始まり、7月13日には大方の予想を裏切って(?)、三日月新知事が誕生した。そして、海江田体制の継続という流れを決定付けた。めでたしめでたしである。
 ところが、もう一つのほう、すなわち飯山近辺の皆さんが「卒原発」、「脱原発」の考え方を嘉田さんから直接聞く機会は失われたままである。この件はいつか別途実現したいと思っている。

<飯山市という名は消さないでほしい>
 政治は圧倒的に弱者のほうに目を向けなければならない。その点では、私は雪深い過疎の飯山以北(木島平村、野沢温泉村、栄村)のことがいつも頭から離れない。8月1日、その飯山市で市政施行60周年の記念式典が開かれた。そこで私は3つのことを申し上げた。
 1つは、是非とも飯山市政70周年を祝えるようにしてほしい、ということである。
 私は霞ヶ関で仕事をし始めた1973年以来つい最近まで日本の市町村総数は約3300と決まっていた。ところが、平成の大合併で今、約1800に減ってしまった。つまり、半分の地方自治体が市町村施行何十周年を祝えなくなっているのだ。幸い長野県民は自立心(?)が旺盛である。財政事情が悪いのに歯をくいしばって、もとの市町村のままでいるところが多い。飯山市は頑張った甲斐があって、北陸新幹線の開通も決まり、新駅もできあがった。これを機会に飯山のよさを全面に出し、絶対にどこかに合併したりしないでほしいとお願いした。

<原風景の維持>
 2つ目は、新幹線の停車駅ができたからといって駅前を通り一遍の街並みにしないでほしい。雁木通りや美しい田園風景、素朴な雪国の原風景を絶対に守ってほしいとお願いした。
 パリ滞在3年の間に6~7回子供を1週間ぶっ通しでスキー場へ行かせてやった。そのため、それほど運動神経がいいわけでもない息子が「飯山南高(当時は体育の特別制が名を馳せていた)へ行ってスキーの選手になる」とか言い出したこともあった。年末年始に帰省すると、私はいつも決まって「飯山国際スキー場」に子供を連れて行き、年末は食堂で年賀状を書き、年が明けると一緒にスキーを楽しんだ。
 今では廃止されてしまったスキー場の一番てっぺんに行き、北信州の山々と千曲川がゆったり流れる山里を眺めては気持ちを新たにしたものである。ただ、あまりにも急斜面のため、息子はすぐに滑り降りるのに、私は30分以上かけてコブの山を転びながら下りてきた。それでも夕方にはもう一度同じ眺めをみたくて無理して頂上まで行った。こうした景色が失われるような乱開発はやめてほしいという勝手な願いである。

<柏崎刈羽原発の再稼働は許さず>
 そして3つ目は深刻な警告である。仮に合併して飯山の名がなくなっても、飯山の街や住民もそのままである。しかし、飯山自体が消滅しないように、飯山市民いや飯山周辺の皆さんも気を配ってほしいというお願いである。
 50~70kmのところに世界最大の原発基地柏崎刈羽がある。8基あったドイツのグライフスヴァルト原発が廃炉になり解体作業が進む今は、7基、870万kwは、数も出力も世界最大である。世界にこんなに一カ所に集中している所はもうない。そして、もしも冬に原発事故が起きれば、北信州にはプルームで放射能が運ばれてくる。雨雲が飯館村に放射能を運んだのと同じメカニズムである。汚染の度合いは降雨量(すなわち積雪量)に比例し、ひょっとすると柏崎市よりも悪影響がひどいかもしれないのだ。まさに嘉田さんのいう「被害地元」なのだ。だから、柏崎市民よりももっと真剣に「卒原発」を主張しなければならないかもしれない立場にある。このことに気付いていただきたくて、2月15日の講演会をセットした。
 60周年のお祝いの席に何を言うのかとお叱りを承知の上で、気になる話をさせていただいた。

<世界の最終処分場視察>
 私は8月25日から民主党の増子輝彦参議院議員(前経済産業委員長)、公明党の富岡茂之衆議院議員(現経済産業委員長)の3人でドイツ、スイス、アメリカの高レベル放射能廃棄物の最終処分場視察に出発する。私は2013年末発足した超党派の「高レベル放射性廃棄物等の最終処分に関する議員連盟」の事務局長をしているからである。私のような脱原発派と推進派の入り交じった議員連盟である。なぜなら、いずれにしろ最終処分場は必要なことに変わらないからである。
 最終処分場どころか中間貯蔵場さえおいそれと決らない日本は、諸外国と比べて一歩どころではなく数周ぐらい遅れている。ドイツは福島第一原発事故の3か月後、2022年までの原発廃止を決定し、世界的な企業のシーメンスは原発事業からの撤退を決めている。それを原子爆弾の被爆国でありかつ原発事故の被災国の日本はいい加減なチェックで再稼働を決め、恥ずべきことに原発輸出も平然と続けている。見苦しいかぎりである。各国の苦悩とまじめな対応ぶりを、しかとこの目で確かめてきたいと思っている。

投稿者: しのはら孝

日時: 2014年8月25日 10:15