2014.08.24

政治

【政僚シリーズ1】 日本の官僚制度の危機 ―官邸のいいなりの「政僚」(政治的官僚)が跋扈する霞が関―14.08.24

<事務次官の仕事は人事のみ>
 日本の官僚制度は、世界に冠たる官僚制度と言われてきた。最近権威は落ちたとはいえ、日本のシンクタンクは、霞が関の官僚にあるとも言われる。私は、農林水産省に30年勤めており、そういう過剰な評価は素直には聞くことはできない。しかし、その人たちがどのように仕事をし、どのように過ごすかというのは、極めて国家の運営上大事なことである。
 霞が関の幹部の人事は従来、事務次官が行ってきた。事務次官の権限は人事と定例の記者会見ぐらいで、仕事の大半は局長・長官の決めることで済んでおり、事務次官の判断を仰ぐことはほとんどない。敢えて言うなら、事務次官の仕事があるのは、外務省が外交トータルということで必要ぐらいである。

<形式的には人事権を持つのは大臣>
ただ形式上は、人事は、大臣が最終決定権者である。ただ実体は、大体は、大臣ではなく、事務次官が原案を作成し上げてきた案を、わかったということで大臣が承認してきたのがほとんどであったといえる。もし官僚の人事制度に政治は入り込むというなら法律どおり大臣が人事をやれば十分である。その下働きは、今でいえば官房長がやれば十分であり、事務次官は廃止したらよいと思っている。
ところが、時間だけはかかったけれど、本質的な議論もせずに、内閣人事局ができ上がり、今年から霞が関の約600人に及ぶ指定職、すなわち部長・審議官(各局・庁のナンバー2)以上の人事を全て統括することになった。私はこの制度はうまく動かず、霞ヶ関をいびつなものにしてしまうと憂慮している。

<チグハグだった民主党政権下の官僚人事>
民主党は脱官僚をスローガンの一つにしていたことから、官僚の人事に介入せんとした。全幹部、例えば局長以上は一旦辞表を提出し、政権交代した民主党政権に忠誠を誓うものだけをまた幹部として任命すると言っていたこともあったが、実際にはそういうことは起きなかった。それどころか、散々民主党の農業者戸別所得補償制度等の農政をこき下ろしていた井出農林水産事務次官などを即刻首にするべきものを、赤松農林水産大臣はそのまま据え置いた。逆に真面目に民主党らしさを出そうと、半年で次官を首にしたのが原口総務大臣である。チグハグであった。

<最悪は前原大臣の溝畑観光庁長官人事>
民主党政権の人事の中で最もおかしな人事は、前原国土交通大臣が任命した、溝畑宏観光庁長官である。隣の役所(総務省)のドロップアウトした役人を、なんと事務次官の次の長官にしたのである。国土交通省の役人はやっていられなかっただろう。話にならないデタラメな人事であり、この人事により霞が関の官僚は民主党政権に一歩距離をおくことになったと思われる。
初代観光庁長官に観光業界のトップ、例えば大手旅行会社の社長とかを充てるのであれば、それはそれで許される政治人事である。文部科学省ではかねてから、文化庁長官に外部の有識者を充てている。それを同期がまだ課長にすらなっていないというのに若造が突然上にこられたら、下はやっていられない。組織とはそういうものである。
私は前原大臣に即刻この人事を撤回するように進言しようと思い、文章にまとめたが、とても聞く耳を持たないだろうと思い止まった。もう5年経って、政権も離れているので、そのときのままブログとして別途掲載することにする。

<予想される安倍官邸の偏った人事>
これは前原大臣という、突っ張った非常識な一閣僚のやった恣意的人事であり、官邸が乗り出した場合にはそこまでひどい人事は行われないかもしれない。しかし、NHKの籾井会長人事他、百田尚樹、長谷川三千子経営委員人事とか見ていると、安倍官邸のほうがもっと露骨に変なことをやりだしかねない。安倍首相こそ第一次安倍内閣のNIESお友達人事にみられるとおり、偏った人事がお好きな方(?)なのだ。ただ、6年を経て、かなりその辺りが改まった気配がある。

<政治家のほうが人物鑑識眼はずっとある>
官邸が600人の部長・審議官クラス以上がどういう人物であるかなど、掌握しているはずがない。人事というのは、そこそこわかった人がやらなければいけないと思っている。そういう点では政治家○○大臣が○○省の幹部人事をやるのは理に適っており、今も制度的にはそうなっている。
事務次官は、ずっとその役所にいるので、好き嫌いが全面に出てきて、やっぱり歪んできてしまう。例えば、自分のかつての部下や仲人をした者を優遇したりしてしまう。自然の人情であり、ある程度仕方がない。そもそも全く純客観的な人事などはじめからありえない。それをそういうしがらみのない大臣が1年なり半年いて、この局長は立派であると判断したほうがずっとうまくいくケースが多い。つまり、政治家の方が、霞ヶ関の官僚よりもずっと人物を見抜く眼力があるのだ。例えば、詳細は省くが、飛びはねた役人だった榊原英資国際金融局長・財務官は、武村正義大蔵大臣でなければ実現しなかった人事なのだ。

<大臣は少なくとも2年は継続すべし>
霞が関人事は、官邸が直接乗り出すのではなく、大臣が省内全体を掌握してやるということをすれば済むことだ。もっと言えば大臣をせめて2年ぐらい務めさせることだ。そうすると、政治主導の落ち着いた人事が行われることになる。官邸は大臣以下の政務三役の人事を掌握することで、各省へ十分にらみを利かせ、コントロールできる。それを直接各省に手を下すのは行きすぎである。
その点では第2次安倍内閣が600日を超える史上最長の継続内閣というのは好ましいことであり見事である。

<規制緩和に逆行する官僚統制と報道規制>
それに対して、その都度官邸の顔色を伺って行政をやったら、私は霞が関の行政はしっちゃかめっちゃかになってしまうのではないかと危惧している。端的にいうと霞が関の死を意味する。
皮肉なことに、内閣人事局の設置というのは、安倍内閣の方針と大きく異なる。例えば、安倍首相は規制を緩和する、岩盤にドリルで穴をあけて、世界で一番企業がビジネスをしやすい環境を作ると言っている。その一方で、政府の統制の効いた報道規制をし、官邸のコントロールの効いた官僚制度にするというのは、大きな矛盾である。官僚は働きにくくなり、記者は政治のチェック機能を果たせなくなる。

<官僚統制と報道規制で国を誤らせる危険>
官僚たちにこそ国益のため心置きなく仕事をさせるべきであり、報道も自由にさせるべきなのだ。それが民主主義国家の当然の姿である。それを特定秘密保護法で報道規制をひき、内閣人事局が人事を牛耳って、がんじがらめにせんとしている。報道の世界、官僚の世界で岩盤をどんどん強固にしているのである。そして、世界で一番官僚がビクビクして仕事がやりづらい国、かつジャーナリストがおどおどして取材をし、政府の批判記事を書けない国にしてはならない。
そしてこのことが日本の国力を削ぎ、道を誤らせる一番の要因になるかもしれない。安倍内閣はTPPでは「開かれた国」と標榜しているが、一方で空おそろしい「閉ざされた」国に向かっているのである。このことに一刻も早く気付いて是正措置を講じないと、日本は取り返しのつかない国になってしまうかもしれない。内閣人事局は憂慮すべき機関の一つである。

投稿者: しのはら孝

日時: 2014年8月24日 14:51