2016.01.03

エネルギー

平成28年 地元各紙新年号への寄稿 16.01.03

各紙新年号への寄稿 『拡大・成長を前提としない社会(長野経済新聞)』 『ミニマリスト・シンプリストの生き方(長野建設新聞)』 『身近な物で生き抜く(北信ローカル)』 を以下に掲載します。

『拡大・成長を前提としない社会』

 自動車業界は年末の税制改正の場で、消費税10%へ引き上げる時に自動車取得税の廃止を求めてきた。私は昨年初めて経済産業委員会に所属し、1年間議論している間に農政の世界と比べるとかなり違和感の多い理屈に出くわした。
 例えば、自動車の月間販売台数が伸びず停滞していることが問題視され、減税して消費を刺激するべきであり、環境を理由とした増税などとんでもないというのがその一つだ。農政の世界では少子高齢化に伴う人口減と食生活の変化から、米の消費量が毎年8万t減ることを当然のことと受け止め、あれこれ対策を講じている。
 藻谷浩介の『デフレの正体』の指摘を待つまでもなく、我々は今や成長・拡大のない社会を前提として物事を考えていかないといけない時期に突入しているはずである。それにもかかわらず、自動車のような日本の主要産業は相変わらずかつての栄光を追い求めていることに驚かされた。
 アメリカに要求されて軽自動車の増税が行われた。TPPで関税自主権を失って平気な日本は、今や徴税権もアメリカに奪われてしまっている。自動車業界のいう軽自動車は地方の「足」であり、必需品だという主張は正しい。長野県は軽自動車の世帯当たり普及順位が全国第3位(1.02)、上位市町村にも川上村(1位 2.25)、南牧村(4位)、中川村(5位)と並ぶ。しからば、公共交通網が発達していて車の必要のない東京では、むしろ増税して消費を抑制する税制があってもいいはずである。ところが、まだ減税して車を売りつけんとしているのだ。これでは国の財政が立ち行かなくなるのは当然である。
 我々は縮小社会に本格的に向き合っていかなければならない時を迎えている。
(2016.1.3、長野経済新聞新年号)


『ミニマリスト・シンプリストの生き方』

 江戸時代末期から明治時代にかけて日本に来た欧米人たちは、東洋のなぞの
国・日本をつぶさに観察し、多くの手記を残している。それらをまとめた名著『逝きし世の面影』には、今の日本ないし日本人とは真逆の印象が書かれている。例えばあまり働かない、祭りが多く楽しみ方を知っている、子供を社会全体で大切にする等である。
 今と違うものの一つに、欧米人が驚く簡素な生活スタイル、特に家屋に物が置かれていないことが挙げられる。大名屋敷でも豪商の家でも、多分床の間付きのお座敷に通されたのであろう。その簡素な美しさに感嘆するのである。
 それから150年余、全く逆の生活スタイルが定着した。日本人ほど物に執着する国民はなく、部屋には電化製品から洋服まで、それこそ物に溢れている。
 こうした生活スタイルに疑問を感じ始めた人が多くいるのだろう。「断捨離」という言葉が人口に膾炙した。つまり、物を抱え込まずに思い切って捨てていかないといけないことが徐々に浸透していったのだ。その前にいらない物は造らない、買わない、使わないことが必要なのだ。
 その延長線上に、ミニマリスト・シンプリストがある。
 本当に必要な物だけに限るという、新たな簡素な生活スタイルである。ある意味では最も合理的な生き方であり、違った意味では何もなかった昔の生活スタイルに戻ることでもある。不必要な消費を煽り、GDPを上げるなどというのは全く邪道なのだ。
(2016.1.3、長野建設新聞新年号)


『身近な物で生き抜く』

 昨年末、長野市篠ノ井塩崎地区を訪問していたところ、蕗の薹に出くわした。11月が異様に気温が高く、野菜が大豊作で白菜、大根が大きく値下がりしたが、蕗まで出てくるとは驚き以外の何物でもなかった。このまま地球温暖化が進めば世界の農業が変調を来たしてくることは間違いない。
 COP21がパリで開催された。オバマも習近平も演説をしたが、さんざんCO2を出して温暖化の原因をつくった先進国と、これから豊にならなければならない発展途上国の溝は最後まで埋まらなかったようだ。しかし、地球温暖化対策は待ったなしで取り組まなければならない、世界共通の課題である。だからといって、原発というのは通用しない。再生可能エネルギーとか水素社会とかいろいろいわれているが、私は要は生活様式の改善以外に途はないと思っている。つまり、成長を諦め、便利さを追い求めず、足ることを知って生きることである。
 必要最小限のものしか置かないという、ミニマリスト・シンプリストという言葉が出回り出した。日本人が一番いろいろなものを抱えて生きている事が知られているが、それを削ぎ落とそうという動きである。人は身の回りで何でも調達して生き抜くようにするのが一番自然なのではないか。つまり、食の世界では地の物、旬の物を食べて生きることをもう一度思い出す必要がある。これが異常気象に立ち向かう一つの方法ではなかろうか。
(2016.1.3,北信ローカル新年号)

投稿者: しのはら孝

日時: 2016年1月 3日 08:58