2016.08.09

社保・医療

日本の絆を守る -久しぶりに涙を流し笑った『男はつらいよ』- 16.08.09

<京都の旅館の住み込みアルバイト>
 8月4日は、渥美清没後20年の命日ということで、『男はつらいよ』シリーズ第1作目がTV放映された。臨時国会、代表選絡みの会合の合間に偶然ポッと時間が空いたので、途中からゆっくり見ることができた。1969年、47年前の京都の大学時代に見た映画である。
 私は大学の時いろいろなアルバイトをしたが、京都の旅館に住み込みで、布団を敷いたり畳んだり、配膳したりしながら1~2ヶ月働いたことがある。食事の心配がない分安上がりで、お金が貯まった。おまけに朝・夕は忙しいが昼間はすることがない。

<昼間の映画館巡りで出逢った寅さん>
 そこで、仲居さんたちと繰り出したのが京都の映画館である。毎日毎日真昼間、客がほとんどいない映画館で片っ端から見て廻った。その中で出逢ったのが『男はつらいよ』である。当時、春風亭柳昇の軍隊物のドタバタ喜劇「与太郎戦記」との2本立てであった。他のお客は、著名な落語家の大袈裟なアクションに笑い転げていたが、私は『男はつらいよ』にクスクス笑い、涙を流してしまった。理屈なしにこれはいい映画だなというのがその時の印象であった。1~2ヶ月洋画も含めて、映画ばかり見ていたが、最も印象に残ったのが、寅さんだった。

<日本人なら誰でも共感する寅さん>
 その後、大学では専門科目が始まり、そこそこまじめに勉強したので、当然のごとく映画館には行く機会がなかった。その数年後に新聞に『男はつらいよ』がシリーズ化されたという記事を見つけて、初めて寅さんの映画が人気を博していることを知った。私が惚れ込んだ映画に日本人の多くが共感を示していることが何よりも嬉しかった。日本人の優しい心根が見る人の心に響いたのである。その後、主人公 車寅治郎は「フーテンの寅さん」と呼ばれ、正月とお盆に封切りされる国民的人気シリーズとなり、以後1995年まで48作品を数えることになった。
 なぜかしら寅さんに惹かれ男はつらいよファンになり、 それ以来この映画の大ファンになりTV放映を通じて、ほとんど全部を見ている。ほのぼのとした温かさが溢れ、人の良い、寅さんが善人の塊の人たちに温かく迎えられ、また失敗がありかっこいいことを言ったと思ったら、それがひっくり返る、というドラマに不可欠な要素がみな揃っていた。

<世界に拡がった日本人の優しさ> 
 寅さんが口上を述べて古本を売る出店を出せるお祭りがある。地方の純朴な人達が出てくる。そして、寅さんの実らぬ恋が観客をハラハラさせる。そして失意の寅さんを迎える団子屋「とらや」のおいちゃん、おばちゃん。
 寅さんの失恋に到るストーリーはこうなるだろうという場面展開で誰にも予想がつく。つまり、いつも安心して見ていられるのだ。『男はつらいよ』が世界中で観られファンが増えるのは、アジア的な感覚を持っている人々が郷愁を覚えるからだと思う。確かめたわけではないが、アジアのべったりした社会に育った人たちが懐かしむ映画であり、欧米よりもアジアのファンが多いのではないか。金正恩の祖父の金日成も寅さんシリーズの大ファンだったと聞く。大きな矛盾ではあるが、窮屈な独裁体制を敷きながらも、寅さんの自由闊達さに憧れを抱いていたのであろう。

<同じ場面に同じ涙>
 第1作目は売れっ子女優ではなかったが、光本幸子という新顔の女優がいわゆるマドンナだった。それ以降は当代一流の女優が次々と総出演である。おばちゃん役の三崎千恵子は長くやったが、おいちゃん役の森川信、松村達雄、下條正巳と3代目になっていた、私は初代の森川信の「寅はばかだなー」というしみじみとした台詞が、最も寅さんを適格に表していると思う。寅さんのテキ屋の口上より何よりもなぜか心に残る一言である。
 隣の蛸社長らの相も変らぬ人達の登場する第1作を見て、再び47年目と同じ涙を流した。

<撮影場所がなくなる>
 パターン化した映画の中の見せ場の一つが、寅さんの小気味よいテキ屋の口上である。ところが心配なのは、寅さんの仕事場が急激に少なくなっていることである。
 東北の三大祭り等有名な祭りは観光客数を伸ばしているが、地元の村、町で行われる祭りが急速に減少しつつある。地方の過疎化や少子・高齢化により、祭りの担い手が日本の地方のあちこちでいなくなっているのである。この点については私の地元、中野市の安源寺の小内八幡神社のお祭りにからみ、:私の亡き母が昔に舞った「浦安の舞」のことで以前触れた(「日本の伝統・文化・村祭りを守れない安倍政権はニセ保守」15.10.02)。
 こうなると寅さんの映画がもう撮れなくなっているともいえる。

<シャッター通り化で「とらや」も閉店か>
 さらにいうと、もっと悲しいことは、失意の彼を迎え入れる「とらや」の面々が住む商店街がなくなりつつあることだ。
 日米構造協議後の大店法(「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」)の規制の撤廃により狭い日本なのに、各地にアメリカと同じ郊外ショッピングセンターが増え、昔ながらの商店街が急激に消え始めた。郊外ばかりでなく、街の真ん中にも全国チェーン店が蔓延し、地域に根を張ってきた老舗が次々と姿を消していった。これが問題視されて久しいシャッター通り化である。地縁・血縁で結ばれた地域の紐帯が崩壊しているのである。交流の場が消え、買物難民も出現してくる。つまり、寅さんのような気紛れな男をかまってくれるお店も、人もなくなりつつあるのだ。私は、これこそ日本の危機だと思っている。

<都会の政治家にもトバッチリ>
 首都圏の某国会議員は私にこう言って嘆いた。「篠原さんは名簿を作って選挙活動していると聞きましたが、私の選挙区では名簿など作っても全く意味がないんです。毎年20%近く移動するんです。5年経ったら全員が住み変わるという計算になります。昔は農家と商店街はずっと変わらなかったが、今では商店街はずたずたです。全国チェーンの店や食堂ばかりになってしまった。いるのはそこで働く従業員ばかりで、ずっと住んでいる店主はごく少数に成り下がってます。その結果、町内会が成り立たない。農地は宅地化が進み、定住者の農型の農民は圧倒的小規模になってしまった。新興住宅の住民はよりよい住居を求めてまた何処かに移って行く。東京も東京近郊も含め、住んでいる人は皆、流浪の民になってしまっています。こういう所で選挙するのは本当に大変なことでもあり、しょっちゅうTVに出て、芸能人ぽくならなかったら、連続当選なぞ望めないですね」

<絆を守るためにTPPに反対>
 まさに、日本の絆が綻びつつあるのだ。日本の絆を顕著に示す『男はつらいよ』、この温もりのある社会を維持せねばというのが、私の政治目標の重要な一つでもある。だから、何でもアメリカ化するTPPには必死で反対している。

投稿者: しのはら孝

日時: 2016年8月 9日 16:38