2017.02.24

エネルギー

原発廃止で世代責任を果たす -民進党の起死回生の政策に原発廃止を掲げるべし- 17.02.24

 私は、2012年に『TPPはいらない』と『原発廃止で世代責任を果たす』の2つの本を上梓し、出版記念パーティーを開いた。いわゆる資金管理パーティーではなく、多くの議員に読んでいただくのが主目的だった。私は文書交通通信費・政党助成金・議員報酬中心に政治活動をやれるところまでやれればいいと思っており、その後一度も開いていない。

<エントロビー学会の脱原発傾向>
 原発については、私は1979年にスリーマイル島の事故が起こり、これはおかしいと思い始めて以来ずっと追いかけてきている。その後すぐ室田武(当時は一橋大学助教授)の『エネルギーとエントロピーの経済学』を読んだ。その前書きにおいて、「明日にでも福島県で、あるいは茨城・静岡、福井・島根・愛媛で発生しうる」と書かれていることに興味を持ち、その後の原発がらみの本は相当目を通してきている。つまり「原発ウオッチャー」になった。
 従って、1986年チェルノブイリに原発事故がまた起きたときには「ああ、また起きてしまったか」とこの後の汚染の度合いやヨーロッパ諸国の対応等をじっくり見ていた。この間、藤田祐幸、槌田敦・劭兄弟、井野博満といった皆さんの集うエントロピー学会に入り、勉強会に出たりして原発問題を追ってきた。だから私は、福島事故後に気付いた脱原発論者と違い、はるか昔からの筋金入りである。

<2005年の「日本原発事故」予測>
 2005年11月外務委員会の海外視察で同僚の吉良州司議員等と一緒にキルギス・ウクライナを回った折も、キエフのホテルを6時に出発し、往復3時間かけてチェルノブイリの30km圏の鉄条網の入り口に行き、写真を撮って帰ってきている。中にも入れないので何もできなかったが、原発事故の恐ろしさを伝える現場を一目見ておきたかったからである。
 7年後の2012年4月、農林水産副大臣としてチェルノブイリを再訪し、今度は中に入り石棺に近付くことができた。その見聞は上記『原発廃止・・・』にまとめてある。
 2005年の11月のブログ「霧の中のチェルノブイリ」の中に『日本でも必ず原発事故が起こるに違いない』と予告した。なんのことはない、100基を超えるアメリカで事故が起き、80基を超えるソ連で事故が起きたなら、3番目に多い50基を超える日本で起こるのは時間の問題だということを言ったまでだ。悲しいことにそれが2011年3月11日に現実化してしまったのである。

<急遽始まった民進党の脱原発方針の前倒し議論>
 今回、マスコミが3月12日の党大会に向けて民進党の脱原発方針を見直し、従来の2030年代原発ゼロを30年に前倒しする基本法を幹部でまとめていると報じた。我が党によくあることだが、それを受けて2月9日に脱原発について全体討論が始まった。私はインフルエンザにかかっており参加できなかったが、2月16日の2回目の会合には参加し、会議の中盤で私は以下のような意見を述べた。
 原発についてコストがかかる。それから省エネの目標は予想以上に達成できた。だから原発廃止を前倒しできるのではないかというのは、一応幹部の意見のようだが、それについてはそんなことで重要な方針を変えるのはよくないという意見も出された。高レベル放射性廃棄物の処理や中間貯蔵施設はどうするのか、再処理、日米原子力協定、その他諸々のことについてきちんと議論をするということも大賛成である。そうだとするならば、私はそもそも原発が日本にあってしかるべきかどうかという、そもそも論についても議論していただきたい。 

<アメリカのロッキー山脈の西側に原発が2基しかない理由>
 ところで、アメリカに100基ある原発で、ロッキー山脈の西側に何基あるかご存知の方はおられるか。日本の面積10倍以上あると思われるあの広い西部にたった2基しかない。なぜなら地震が頻発する環太平洋火山帯に原発があってはならないという考えがあるからだ。そうしたことからすると、火山が多く地震だらけのこの狭い日本に原発が50基あり、これまで事故が起きなかったことがむしろ不思議なことだ。だから日本に原発があってはならないというのは、地震学者でなくともちょっと地球の構造のわかる学者からすると常識なのだ。

<日本、特に長野・新潟県境は大地震の巣窟>
 今、日本は地震の活動期になっている。2004年中越地震、2007年中越沖地震、2011年長野県北部地震、2014年神城断層地震、と私の地元の近くの長野・新潟県境地方で3年毎に震度6強の地震が起きている。プレートテクトニクス理論どおり、4つのプレートがひしめき合って大地震が起きている。柏崎苅羽原発はその上にある非常に危険な原発であり、福島と同じような事故が起きたら北信地域はほとんど住めなくなることは自明の理である。ずっと揺れ続ける日本列島には、岩大陸のヨーロッパと異なり何万年も安定する使用済み核燃料の処理施設などもありえない。つまり、原発はもとから日本に無理な発電施設だったのだ。
 それから最近の話でいえば、北朝鮮のミサイルの話は、東京・大阪・名古屋などに核爆弾で狙われたらどうするのかとしきりにいわれるが、もし本当に日本の壊滅を狙うならそんなことをするよりも、柏崎刈羽なり浜岡なりの原発施設にミサイルを撃ち込めば日本は終わる。そうした危険性から日本を守るためにも原発はあってはならないものだと思っている。
 ただ、現実にある多くの原発を今後どうしていくかという問題が残っているだけで、一刻も早く日本は原発から脱すべきだ。

<後世代に原発汚染のツケを回してはならず>
 2012年末の社会保障と税の一体改革の議論で、野田総理は『消費税増税が必要だ。後世代に負のツケを残すべきではない』と格好良く力説した。私は、同時並行のTPP会合にいつも発言していたので、会合にはずっと参加していたが、遠慮して発言を控えていた。ただこのとき一度だけ手を挙げて『それだけ借金による後世代への責任を言うなら、汚染を後世代に残す原発こそやめなければならない』『大飯原発への再稼動をさせるのと消費増税は後世代への責任として同じに扱うべきだ』と見解を質した。しかし野田総理は、記者団には全部の質問や指摘に応えたと言いつつ、私の指摘にだけは答えなかった。某同僚議員が「篠原さんの指摘に答えておらず、ずるい」と私に代わって怒っていた。福島の人たちは後世代の人たちに汚染された土地を残してしまったことを悔いておられるはずである。我々政治家は後世代への責任を考えなければならない。
 私はこの他に、『原発・・・』の本と小泉純一郎元首相とのちょっとしたエピソードも付け加えた。

<世界の先進国は皆脱原発>
 私の脱原発の考えはスリーマイル島、チェルノブイリ、福島の事故で日本の脱原発への考えは確信に近づいた。
 ドイツは日本に事故が起こったので観念して、32年という寿命で現存の原発の寿命の終わる2022年に完全に撤廃することとしている。同じ地震国のイタリアは国民投票で原発ゼロを決めた。小さな国台湾も原発事故が起こったら逃げ場もないということで2025年に「原発ゼロ」にする。日本がのうのうと安い電源が必要だといって原発を続けんとする動きがあるのは、私には不思議でならない。
 大反対したTPPが片付いたので、これからは日本から原発をなくすことを目指す活動に力を入れて行こうと思っている。一方で世界に原発汚染を広めることも慎まなければならないし、その観点から原子力協定は許し難く、今年予定されている日印原子力協定はその中でも絶対許してはならないものである。原爆を持つ国にプルトニウム原発をいくらでも造れる手段を与えては、世界に対して申し訳が立たない。

<脱原発は政権交代にもつながる>
 今脱原発は、4野党との共闘も念頭に置いて議論されている。それも必要である。政権を奪取して、脱原発の首相がトランプのようにビシバシと政策変更していくことも一つの手段である。しかし、そんなことよりも日本国民の安全のため、そして将来世代に責任を果たすため原発はやめないとならない。これが小泉純一郎元首相が気付いたところでもある。
 我が党内議論は確かに荒っぽい。2年前の原子力協定については、逆の方(つまり賛成する方向)で、本当にずるい政策決定がなされ、全野党の中で唯一民主党だけが賛成するという見苦しい結果となった。しかし今度は逆に、より強目の脱原発の方に舵を切ろうとしている。私は当然賛成である。前回の参議院でも「今回のTPPには反対」などと中途半端なことを言わず、早くから正々堂々大反対していたら、32の1人区で半分以上勝てたかもしれないのだ。
 今度は、民進党が大胆に与党の違いを見せつけて戦っていかなければならない。そうでなければ、政権は近付いてこないし、日本は危うくなるばかりである。

投稿者: しのはら孝

日時: 2017年2月24日 12:24