2017.03.21

農林水産

遅ればせながら急速に禁煙が進むのは大歓迎 -中途半端はやめ、受動喫煙の機会をなくすのが先決- 17.03.21

<蚕からりんごまでの試行錯誤>
 私は、中野市田麦のごく普通の農家に生まれ、中野市の農業の変遷を肌で感じながら育った。物心がついたころには、家中がいつも蚕(お蚕様)に占領されていた。祖父母と父母兄弟3人が小さなお勝手で食事をし、座敷も茶の間も納屋も蚕だらけだった。しかも、危機分散のため春から夏、秋と次々に時季をずらして飼うため、冬を除き1年の大半は蚕のほうが人間よりも大事にされていたような気がする。だから、家を糞の臭いだらけにする蚕は好きになれなかった。
 ところが戦前から戦後にかけて輸出の花形だった生糸も不振となり、長野も変革を迫られていた。そんな折、りんごが青森から導入されると、消毒が桑の葉にかかり蚕にやれなくなり、桑畑が平地から忽然となくなった。
 それからリンゴが定着するまで、それこそいろいろな作物が試された。我が家でも山羊と羊と鶏を飼っていたが、そこにアンゴラ兎が入り込んだ。大きな兎用の木のアパートのような棚ができ、数10匹(羽)飼われたが、あまり採算がとれずにしばらくしてやめた。

<途中で取り組んだ葉タバコ>
 次に取り組んだのが葉タバコの栽培だった。私の小学生の頃(1950年代中頃)である。葉を摘むと手が真黄色というよりも黒ずんだ。葉っぱを玄関の横の小便用の「タメ」に入れると、「ゴジ」と呼んでいたうじ虫がすぐ死んだ。その毒性の強さに感心した。今はいろいろ機械化されているが、50年以上昔は何事も手作業である。今考えると信じがたいが、普通の縄の間に葉を挟み込んで、5~6mのものをいくつも作り、洗濯物と同じように干した。もちろん私も手伝ったが、もう一つ私に任せられた仕事は家にいて雨が降ったらすぐ取り込むことだった。

<蚕に次ぐ嫌な作物が葉タバコ>
 しかし、私も子供であり、50m北のお宮から友達の声が聞こえるとついついそちらに行ってしまった。そして遊びに夢中になり、雨が降っても気づかないことが度々あった。取り込みが間に合わず、すっかり濡らしてしまい、大目玉をくらった。田植えも稲刈りも、りんごの摘果も袋掛けも1人前にこなし、褒められこそすれ怒られたことはなかったが、タバコの乾燥取り込み作業だけは、今も続く忘れん坊癖(?)が災いして数回ミスをしてしまった。
 かくして、タバコはその毒性と取り込みミスによる叱責とで、蚕に次いで私が反感を抱く作物になった。膨大な手間にもかかわらず収入が少なかったため、葉タバコも5~6年で撤退した。

<麻雀で知った受動喫煙のひどさ>
 もちろん、皆と同じ悪ガキでもあり吸ってみたがむせて苦しく1回でやめた。その後はタバコを吸うことは皆無であった。ただ、無知とは恐ろしいもので、受動喫煙がそんなに体に悪いとはつい最近まで知らなかった。
 周りはタバコ吸いだらけだったが、気にもとめなかった。麻雀は嫌いだったが、どうしても面子がたりないという時にせがまれて仕方なく麻雀卓を囲んだ。最初は勝っていても後半バタバタと負けることが多かった。私はやはり体力がないのと嫌々やっていることが災いして、後半負けるのだろうと思っていた。ところが負けはどうも受動喫煙のせいかもしれないと思うようになった。
 麻雀好きは大体タバコ吸いが多い。雀卓には灰皿がついていた。ほとんどの人がタバコを吸いながら麻雀をするからだ。だから、雀荘ほど煙がむんむんとしている所はない。他の仲間は大体タバコ吸いで、タバコは慣れているのに、私は普段はタバコに無縁なのに雀荘の受動喫煙でタバコの煙をたらふく吸い、いつも頭がクラクラして気分が悪くなることもあった。このことが分かってから、私は麻雀の誘いをきっちりと拒むようになった。トンチンカンな話だが、受動喫煙の被害を麻雀の後半の負け込みで察知したのである。

<帰省列車の忌まわしき経験>
 だからといって禁煙をどんどん進めるべきだなどと出すぎたことは考えなかった。つまりそれだけタバコは日常生活にはまりこんでいた。ただ1度だけこらえきれずに文句を言ったことがある。
 お盆休みで東京から長野に帰省するあさま号の急行列車の中、今と違い長野・上野間が3時間30分かかった頃である。私は早くから上野駅のホームに並んで自由席に座ろうと思っていた。ところが、前に並んだ人が次々と帽子や物を置いて席を占領してしまった。ひどいなぁと思いつつも私を含め誰も小言を言わなかった。アメリカ人ならそんなみえみえの不正は許さないだろう。
 もちろん超満員電車、そこにうだるような暑さが重なり、とても生きた心地はしない。これも今では信じられないことだが、座席には引き出しの灰皿がついていた。忌々しい不正席取り連中の大半がタバコ吸いだった。その置きタバコの煙が嘆息をつく私の鼻に入ってくるのが見えた。私は腹が立ち、その場を離れて車掌さんの所へ行き、こんな混んだ列車の中ではタバコを吸うのを自粛するようにアナウンスしてくれ、と要請した。その車掌は素直に従ってくれた。喧嘩になるといけないので元のところに戻るのはやめた。

<珍しく頑張る厚労省にエールを送る>
 以来数十年、いつの頃からか突如禁煙が広まり始めた。大半の室内は禁煙、飛行機も全面禁煙、列車も特別な喫煙車以外は吸えなくなった。それこそ夢のような展開である。しかし、世界と比べるとWHOの分類では日本は最低レベルである。安倍政権は組織暴力犯罪取締り用の共謀罪を、いつの間にか東京オリンピックに備えたテロ対策の強化法案だと言い出し、今国会に提出した。厚労省も3年半後の東京オリンピックまでに国際基準の禁煙体制をしこうと珍しく重い腰を上げた。口実は同じものを使っている。
 よくしたもので、世の中は予想以上に禁煙社会になりつつある。真冬の支持者訪問でも夕方の玄関先で赤い灯がチラチラ見える。子供がいるからと家を追い出された哀れな父や祖父たちである。信州の冬は寒いのに、そこまでしてタバコを吸いたいのかと滑稽に思えてくる。身近でいえば、我が長野事務所でもタバコ吸いが多数を占めるが、タバコ嫌いの女性陣が決定権を持ち、室内はとっくの昔から禁煙である。

<ついにできた受動喫煙防止法案>
 そして最後のトドメがいわゆる「受動喫煙防止法案」である。
 飲食店も30㎡以下のバーなどに限って例外として喫煙を認めるが、レストランや居酒屋などは屋内禁煙(喫煙専用室の設置可)とする。悪質な場合、施設経営者に最大50万円、タバコを吸った本人に30万円の過料を科すことになる。あまりの急展開で喫煙者はさぞかし戸惑っていることだろう。喫煙者には悪いが私は大賛成である。

<狂った与党自民党の横槍>
 ところがここでも巨大与党自民党が狂った動きをしだした。カジノ法案と同じである。タバコ議連が反対の狼煙を上げ骨抜きにしようというのだ。飲食店は小さなところが多く喫煙専用室が設けられない。だから、店により禁煙・分煙・喫煙の選択を可能にすべきだ(つまり、喫煙可能を売りにする店も認める)というのだ。更に、事務所などは規制対象外にするといった対案を作成した。いつも政府・与党が一体でことを進めるのに、政府案に与党の200人もの巨大議連がこぞって真っ向から反対するのは珍しいことである。

<世論は完全に受動喫煙防止を支持>
 世論はどうかとみると興味深い。
 日本禁煙学会の調査によると、73%が「例外なき屋内禁煙」に賛成、反対は9%。他人のタバコを不快に思うものは、非喫煙者で90%、喫煙者でも45%だった。これに対し、大反対は料理屋の類だが、禁煙になったら行く回数が「増ええる」42%と「減る」13%の3倍を上回った。酒飲みとタバコ吸いも大体一致するので、タバコを禁止になどしたら飲みに行くかという人が増えるだろうし、本当のところどうなるかわからないが、私は全面禁煙のほうが少なくとも子供連れの客が増えるような気がする。
 もう一つ大きな成果は、喫煙者本人が吸う機会が減り、その結果病気もしにくくなり、健康で長生きできることである。タバコが吸えなくて苛々してノイローゼになる人はほとんどいないだろう。あとはタバコ生産者への手当が残るだけである。一日も早い法案の成立を願うばかりである。

投稿者: しのはら孝

日時: 2017年3月21日 10:25