2018.12.03

農林水産

【漁業法シリーズ3】大規模漁業の振興では資源は枯渇に向かう- 沿岸国主義は沿岸漁民主義につながる - 18.12.03

<世界は沿岸国主義>
 国連海洋法条約とそれに順じたTAC法の下では、沿岸国の漁業資源の管理はすべて沿岸国に任される。つまり沿岸国がまず使う。それで余裕があって有効活用できないときに、外国にその資源を割り当てることになった。そのため日本は外国のEEZ設定により、徐々に締め出され、結局沿岸国がほとんど漁獲するようになっていった。
 その結果、1973年のピーク時には399万tだった遠洋漁業の生産量は、2017年には32万tと10分の1以下になっている。内訳を見ると、島嶼国のEEZを含む外国の水域は僅か20.6万tにすぎない。つまり、世界ではこの20世紀の後半の20~30年で、漁業における沿岸国主義が徹底されたのである。

<遠洋漁業の締め出しは当然の流れ>
 言ってみれば当然の報いであった。一般に遠洋漁船が外国の漁業水域で操業していても、来年は漁業交渉で締め出されるかもしれないと思えば、尚更荒っぽい漁獲をしても今のうちに儲けようとする。今風に言えば「今だけ、自国船だけ、金儲けだけ」である。遠洋漁業のこうした漁業資源の乱獲競争という悪循環が続き、結局沿岸国から一斉に締め出された。その裏返しで、海洋法条約により資源に最も依存する沿岸国が資源管理することが定着していった。世界各地で起こっていた失敗を繰り返さないためである。

<漁業権制度は世界に先駆け沿岸国主義を制度化>
 前号及び前々号で触れたが、日本の漁業権制度はまさに資源管理の沿岸国主義を先取りする優れた制度だった。沿岸漁業の中でも、沿岸漁民主義を貫き、その資源にずっと依存し続けてきた沿岸漁民が資源管理を中心となり、日本近海の資源を枯渇させることなく世界一の漁業国になっていった。共有地での早い者勝ちが資源の枯渇を招くというハーディンの言う「共有の悲劇(The tragedy of the commons)」を見事に回避してきたのである。
 それを今回の漁業法の改正で、EEZ内にかつての遠洋漁業と同じような操業を認めるというのであり、まさに時代錯誤と言わねばならない。資源の枯渇に繋がることは明らかである。

<漁民の生活を脅かす知事の恣意的許可権限>
 今回の漁業法の改正の一番の問題点は、この沿岸国(沿岸漁民)主義という大原則をも踏みにじっていることである。漁業法は沿岸漁民を第一とする優先順位を決めて漁業権を割り振ることにしていた。ところが、その優先順位を廃止し、そこに「適切に有効利用」していなければならないというような訳のわからない抽象的条文を加え、誰でも漁業権を得られるような形にしている。また、トン数制限をして過剰漁獲を抑えていたものを、その制限を取っ払って大規模漁船に沿岸・沖合漁業をやらせるというのだ。これでは沿岸漁業を守るためにEEZ内に小規模な沿岸と大規模な沖合を分けるもう一つ線引きをしなければならなくなる。

<先行き不安で漁業後継者が跡継ぎをためらう元凶になる>
 しかも、その漁業権や指定漁業を許可するのが知事である。詳細は省くが、海区漁業調整委員会の委員も知事の任命が多くなると、知事の思いのまま恣意的な運用が行われるのは目に見えている。農業はまだ農地所有がしっかりしているから、おいそれと企業の手には渡らない。それを漁業権は5年あるいは10年毎に更新され知事の許可を得なければならない。ただでさえ不安定なのに「適切に有効利用」されていないといって許可されない恐れがあるとなると、漁業の後継者はますます二の足を踏むことになる。漁業従事者数は50年前の1965年には61.2万人だったが、2017年は15.3万人と4分の1以下となり、この10年内でも3割も減っている。
 共同体に依拠した(Community-based)資源管理システムとして世界の資源学者が、高く評価されている仕組みを台無しにしようとしているのである。こんな荒っぽく世界の潮流と違う方向に行っている国は、世界中で日本だけである。

<世界は大規模漁業を規制>
 漁業は技術が進歩したし、簡単に言えば大きな船が数隻あれば一網打尽で、他の小さな船はいらなくなる。資源管理を蔑ろにしていいのだったらそれが一番効率的である。だから各国ともいかにして資源を保存しつつ漁獲を上げる、つまり持続可能な漁業(Sustainable Fishery)をどのように達成するかと腐心しているのである。そこには当然入口規制があり、そう簡単には入れない仕組みになっている。
 それを漁業法改正は、出口規制すなわち漁獲量を規制すれば入口規制(参入等)は自由でいいとして、漁業権漁業でも許可漁業でも大手企業や漁村外部の人たちもどんどん入っていいという仕組みになっている。
 世界の海で自由競争の下、大国の大型漁船が資源を枯渇させてきた悪い歴史をすっかり忘れ、日本のEEZで、どんどん大規模漁業を推奨し、資源を枯渇させてしまう。同じ間違いをしようとしているのだ。ピントが外れた愚かな法改正なのだ。

<漁業では技術革新が資源枯渇に直結する>
 これを農業との比較で見るとよくわかる。技術革新が起こればすぐに労働生産性の向上に結び付き、農業生産量も増えていく。漁業も同じだ。ところが、「漁獲漁業」は自然が生み出してくれたものを獲るのであり、常に資源の減少・枯渇の問題が生じてくる。例えば、同じ40tの漁船でも、高性能のエンジンを付け、高機能の魚群探知機を整備したら漁獲能力はすぐに数倍となり、漁業許可を受けた時の数隻分の漁獲圧力を持つことになる。そのためその時点で入口規制を見直し隻数制限等をしなければならないが、それができずに放置されてきている。
 このために世界中の海で、そして特に日本近海で漁業資源が枯渇してきたのである。つまり、後述する資源状況の悪化の要因は、色々な説があるがマイワシを例に自然要因を挙げる者もいるし、TACが緩いからだという者もいる。しかし、私は実績主義に気圧されて、漁獲能力が格段に高まった漁船の隻数・トン数を減らすという厳格な入口規制を怠ったことが一番大きな要因だと思っている。
 従って、一斉更新をやめて随時新しい許可を出せるように改正するというが、資源管理のためにはむしろ逆に今まで許可したものを制限して止めるようにしなければならないのだ。それを、漁業を成長産業にするために許可をいつでも出すというのだ。これでは改正で資源管理できるはずがなく、資源枯渇にまっしぐらに進むだけである。

<原住民捕鯨は許され、大型遠洋捕鯨は許されず>
 もう一つ今改正のいかがわしさを捕鯨で説明してみる。原住民捕鯨というずっと昔からやっていた捕鯨は、さすがに反捕鯨団体も反捕鯨国もクレームをつけない。なぜかというと、この人たちは枯渇させたら自分たちが一番困るから今まで資源を枯渇させたこともなく今後も絶対ありえない。感情的に反捕鯨を唱える人たちも外部が口を挟むことを慎んでいる。
 それに対して、今回の改正はそこに適切有効利用する外国の大型捕鯨船を許すというのだ。世界の常識では絶対に許されないことである。
日本の資源状況をみるとTAC対象7魚種で32%、未対象43魚種で54%もが低位で危うい状況にある。漁業を成長産業にという空論を唱える前に、資源の保全管理が必要なのだ。そして、それは過剰漁獲を抑制すること以外に達成できないことである。(以下次号に続く)(2018.12.3)

投稿者: しのはら孝

日時: 2018年12月 3日 18:19