2019.07.31

政治

長野県(羽田)の圧勝から見えてくる政権交代への道 -反安倍連合戦線により14万5千票の大差の勝利-19.07.31

 後日のブログで公開するが、参議院選挙は野党の敗北である。しかし、そうした中で一人気を吐き健闘したのが、我が長野県だった。

<3年前の杉尾議員の勝利>
 杉尾参議院議員は3年前に当選して以来、今回の羽田候補の応援活動でも必ずよく使うフレーズがある。「3年前は大激戦で全国一の62.86%の投票率、自民党の若林候補は50万票とれば当選と頑張り、ほぼ達したが、私はお陰でそれを7万5千票上回る得票をいただき、当選させていだいた」というものである。私はこの杉尾の自慢話(?)を引き継いで、いつものジョークで「杉尾議員をこれ以上威張らせないためにも、羽田さんには10万票以上の大差をつけて圧勝させていただきたい」と個人演説会の前座を締めくくっていた。

<予想された激戦>
 しかし正直のところ、これといった争点もなく、盛り上がりに欠ける今回の参院選は、投票率がガクーンと下がり、その結果同じような大差がつけられないだろうと思っていた。そこに、羽田候補を中傷するビラが出回り、まじめな有権者は拒否反応を示し始めていた。
この他にもう一つ激戦になるという理由があった。
 小松裕候補は長野1区で3回も私と戦っていた。吉田博美・参院自民党幹事長からいわば押し付けられるかたちで、引き継いだ長野地方区だが、元の選挙区である長野1区ではかなり善戦するだろうというものである。小松氏の後を継いで衆院選長野1区の候補者となった若林氏も大張り切りで、二人の2連ポスターがあちこちに貼られていた。それに加えて若林氏は私のミニ集会に倣ったのか(自分のためもあって)1区内に相当数の集会を設定し、そこに閣僚クラスの大物をも続々と応援に駆けつけていた。

<小松の選挙区1区でも勝利>
 しかし、選挙結果は、1区でいうと北部の人口の少ない4町村で僅かずつ敗れただけで、大票田の長野を始めとする6町村は羽田が少しずつ上回り、1区合計で約1万6千票上回った。もちろん、他の4つの選挙区と比べて差は少ないが、まずまずのできだった。
 そして、全体では投票率が予想通り54.29%と、前回と比べ8.39ポイントも下がり過去最低になったにもかかわらず、51万2,462票と小松の36万6,510票を約14万5千票余も上回る圧勝となった。私の前座挨拶を聞いていた方が喜びながら「篠原さんの予測を超える勝利ですね」と電話してきた。
 国民民主党が衰退の一途を辿るばかりだったが、2017年秋の総選挙で大躍進した立憲も同じだった。例えば、岡田克也(立民会派)が三重で擁立していた芳野正英(私の初代の東京の秘書)は、4万票差で惜敗し、岡田の求心力が低下などと書かれている。そうした中で、我が長野県だけが別格だった。

<長野圧勝の理由>
 それではなぜ、このような結果になったかを顧みてみる。圧勝の理由を挙げると以下のようになる。

 (1) 長野県民がリベラル色が強く、安倍政権を嫌っている。
 (2) 野党共闘がうまく機能している
 (3) 羽田候補は民主、民進、国民民主党と一貫して野党本流におりブレていない
 (4) 羽田孜元総理の息子というブランドが今も根強く生きている
 (5) 小松候補は、衆議院で比例復活できずに参議院に回ってきたため、新鮮味がなかった

以上の5つについて、日本全国で真似ができそうかどうか分析してみる。

(1) 長野県民のリベラル志向
  私ごときが6選されている1番大きな理由は、長野県気質によると思っている。
この実例は自民党総裁選にて、安倍晋三(首相)と石破茂(元幹事長)の票差が僅か15票差だったことに如実に現れている。(しのはらブログ 【県民気質シリーズ1】自民党総裁選、石破が安倍首相に15票の僅差で肉薄した本当の理由-愛すべき長野県民気質がタカ派の安倍首相を嫌い篠原にも味方する- 18.10.2)私の戸別訪の折、よく羽田候補が「靖国神社を参拝する国会議員の会」の重鎮であることを指摘され弁明させられていたが、今回選挙前に辞めていた。有権者はこれを評価していた。
 参院選で野党が勝利している新潟県、山形県も同じ傾向があると思われる。
 しかし、2017年秋の総選挙で原口一博(無所属)と大串博志(希望の党)と非自民が独占した佐賀県もリベラル色が強く、知事選でも非自民が勝ったこともあるにもかかわらず、長崎県選出の元参議院議員、犬塚直史を当選させることができなかった。候補者決定が遅れたからである。
 また今や立民の金城湯池となった北海道は若い獣医師、原谷那美(35才)を擁立したが、3人区の当選には程遠く、共産党の後塵を拝している。2016年には民進党が鉢呂吉雄と徳永エリの二人が当選できたのは、片や衆院6期、知事選にもでたことがあり、もう片方が2期目の実績のある徳永だったからである。知名度が重きをなす参院選である。
自民が前知事と毛並みのいい道義、立民もベテラン道議というのにズブの素人では無理だったのである。リベラル志向は、一朝一夕でできるものではなくむづかしいが、やり方ではリベラルの票を喚起できる県はいくらでもある。しかし、選挙直後の玉木代表の「私は生まれ変わった」とか「憲法改正の議論に応じる」といった軽率な発言に、羽田に投票し篠原を支持した人達は怒っており、今後来るべき総選挙での反発が懸念される。

(2) 野党共闘
 長野県ではいち早く国民、立民が中心となり統一地方選に向けて「新政信州」を立ち上げ、野党共闘の体制を整えた。もちろん、一般有権者には浸透していないが、政治家・連合・市民団体レベルでは新政信州を核としてまとめる事ができた。代表にはうってつけの北沢俊美元防衛相が就いて睨みをきかせた。統一地方選では野党での候補者に新政信州の推薦を出し、参院選では杉尾秀哉 ・立憲民主党長野県連代表が羽田選対総合本部長を務め、私が1区の選対本部長という陣形を立てた。
 また共産党・市民連合とも緊密な連携をとり、集会も1人区の例でいえば共産党・市民連合中心のもの、立民中心のものも散りばめた。事務所はもちろん国民、立民とも同居していたし、当選祝いの挨拶は国民、立民,社民、共産の代表に市民連合代表も加わっていた。
 他の府県では、国民と立民の事務所が別だったり、共闘とは名ばかりのものが多かったようだが、長野は完全な共闘体制ができあがった。考えてみれば当然のことで、3年前の杉尾選挙の時は民進党で一丸となって戦い、そこに共産、社民、市民連合が共闘していたのだ。その後途中で杉尾が立民に移ったことを除けば、なにも変わるところがなかった。
他県では、立民の組織などなく、かといって国民の国会議員も居ないという状況で、長野モデルは一気にはむずかしいという言訳もあろうが、衆議院議員のいない中南西部の4・5区でも勝利している。つまりどこの県でも仲良く団結して反安倍でまとまろうとすればできないことではない。

(3)ブレない
 政治家の立ち振る舞いは有権者が注意深く見ている。
 岩手の平野達男は小沢一郎に勧められて農林水産省をやめて玉澤徳一郎に挑戦、僅差で勝利して政界入りした。その後民主党から離れて自民党に入党した。資質の高い政治家だが、今回の平野の敗北はこの党の変更が嫌われたのが一因だと思われる。長野県民はよく筋を通す県民で、理屈を重んずる人が多いと言われる。だから、信条を貫き通す政治家が好まれ、一貫性の欠く渡り鳥は嫌われる。羽田孜とともに自民党を飛び出した北沢参議院議員はずっと非自民を貫き通した。小坂憲次や村井仁も一時羽田の党に属したが後に袂を分かっている。その後二人とも議席を失っている。長野県民はそういう厳しい鑑識眼を持っている。
 その点、羽田雄一郎は父の作った民主党にずっと居続け、今も国民民主党にいる。これが私同様に評価されての圧勝である。誰しも変節漢は嫌いなのだ。
 これは、誰でもどこの県でもどの候補でもすぐに見倣えることである。

(4) 羽田孜ブランド
 日本人は律儀である。政治の世界でも余程のことがない限り一度支持した者を支持し続ける。そしてそれが世代交代しても続き、二世議員が跋扈することにつながっている。長野県の生んだ唯一の首相、羽田孜は長野県民にこよなく愛されている。堂々たる与党の政治家であり、自民党のままでも首相になれたのに、あえて理想に燃えて自民党を飛び出し、新生党から始まり様々な小政党を立ち上げ、イバラの道を歩んだ。幸いにも細川護煕の後首相になれたが、その後も二大政党制という夢を追い続けた。長野県民の理を重んじ、一方で進取の気鋭に富む気質と相通ずるものがある。
 しかし、羽田孜は他の数多いる野心的・攻撃的政治家と異なり、普通の人であった。そして物事をまとめることのできる「和み」の人であった。以下、私の羽田候補の前座での紹介でおわかりいただけると思う。
 「羽田さんは顔も丸い、体も丸い、性格も丸い(笑)。だから同じことを言っても嫌われることがない。何か揉め事があっても羽田さんが言うとまとまるのです。国民だ立民だなどと言っておられず、まとまっていかないと政権交代などできません。今後野党をまとめるために大切な人です。
 だから立民の枝野代表、福山幹事長、そして国民の玉木代表も応援に来るのです。自民で鉄壁なのは林芳正元農水相、世耕経産相ですが、安倍首相は応援になど行きませんが、我が陣営では、羽田さんと大塚耕平がそれに当たりますから、本当は戦略的には来なくてよく、他の激戦区へ行くべきなのに、わざわざ来ているのは羽田さんがそれだけ重要な政治家だからです。あまり票の増えそうにない長野には来なくていいようにしましたけどね(笑)。
羽田さんは紛れもなく、父とそっくりなのです。私が農水省時代、事務方で農林族の強烈な議論でなかなかまとまらないのをみてきましたが、羽田さんが一言発すると不思議にまとまるのです。DNAは偉大でそっくり引き継がれています。これは小泉親子と同じなのです。ところが、最近は長話も似てきたので困っています(笑)。父上は晩年70歳近くなっていたのに、雄ちゃんはまだ若干51歳、今日話をも短くさせて次の会場に行かせていただきます(笑)。」
 有権者は雄一郎に孜を重ねてみている。農水大臣を二度務めた農政通の父のイメージをそのまま引き継ぎ、他県と異なり農政同友会からも小松と同じく推薦を受けている。だから羽田孜の小選挙区3区(上田中心)では小松の惜敗率は僅か60%に過ぎず、一番高い1区86%を26ポイント以上も下回っている。比例区の4党の票が立民16万、国民12万、共産10万、社民1万と41万票にしか達していないのに、羽田は10万票上回る51万票である。つまり個人票が多いのだ。これは他の県、候補は真似できない。

(5) 相手候補に恵まれる
 もしも吉田が相手なら、多分全国一の死闘を繰り広げる大激戦区となっていただろう。小松は長野1区で比例復活できずに参議院に鞍替えした候補だった。三年前に三度も長野入りした安倍首相は一度も応援に入らなかった。与党の比例区(自・公票)が39万に対し(維新を入れると44万票)に対し、2万票下回る37万票にすぎないことからしても、それほど人を惹き付けることができなかったことがわかる。
この点は反面教師として学べることである。つまり、参議院向けには政策力のある有権者が振り返ってみるような候補を選べということである。

<長野をみならってほしい>
以上をみると分かる通り、4つの理由はまねることができ、きちんとした候補を立て野党共闘を構築したら、野党側が勝てるのだ。ただ、惨敗の参院選の得票を元に次期衆院選を占った共同通信試算(毎日7/29)では、野党5党側は、長野と沖縄のみ全勝、北海道と岩手で勝ち越すものの、自公が37県で全勝するという。今回は、自民が9議席減も立民が議席を倍増させ17議席になったとはいえ、やはり野党が惨敗したのである。
政権交代の狼煙を我が県から、とはどこの選挙応援に行ってもよく聞かれる美辞麗句だが、この言葉はやはり我が長野県にはそのまま充てはまる。羽田民主王国は健在であり反撃の狼煙は長野からぶち上げるしかない。
政治は結果であり、もっと言えば選挙の結果である。新聞紙上では岸田派は4人を落選させた、岸田首相の芽はなくなったのに対し、菅の存在感が増したと与党ばかりに関心が行っている。それに対し、我が陣営で玉木代表のお膝元の香川で議席がとれないという批判もなく、長野は立派という説明もみられす無視されている。自民党に倣うなら、結果を出した長野が求心力を強め、リーダシップを発揮していく時が来ているのだ。長野スタイルを是非全国に広め、総選挙で勝利を遂げたいものである。

投稿者: しのはら孝

日時: 2019年7月31日 17:31