2019.12.21

その他

【台風19号水害シリーズ4】 推論:立ヶ花狭窄部がなぜできたか -太平洋のプレートが長野盆地の真ん中の千曲川を西の隅に追いやった- 19.12.21

<私の科学的空想癖>
 私は文化系ないし社会科学系の法学部で学んで、法律職の国家公務員試験を受け農林水産省に入省し、30年間仕事をしてきている。仕事で理科系、自然科学系の知識や思考が必要とされる場面がないこともなかったが、大半が予算を作るとか法律を通すとかのいわゆる事務的な仕事である。ただ、昔から科学的思考ないし空想(?)は大好きで色々頭の中で考えてはひとりで楽しんでいた。

 そうした中、1976~78年の2年間のアメリカ留学の前半では海洋総合研究所(IMS)の海洋法コースで科学の一端を学ばせていただいた。専門の法律は言葉の問題があり、知識はあるのに疲れる講義だったが、海の仕組みや魚の生態は、言葉が少々わからなくとも実態が目に浮かんでくるので、すんなり受け入れられた。興味津々の事柄が多く、改めて法律だとか役所仕事ではなく理系で研究者になったほうが良かったのではという気持ちになった。

<根拠は理学部図書館、そして雑誌のむさぼり読み>
 実は、法学部の授業例えば民法の債権と商法になると、手形・小切手も見たこともなく金儲けにも興味がなかったので、講義も上の空でピンとくるものはなかった。3畳一間の西日のガンガン当たる安下宿ではなかなか集中して勉強ができず、本部の図書館も大きくてうるさいので、500円で先輩から譲り受けた自転車に乗り下宿に近い京大北部キャンバスの理学部の図書館を根城としていた。
 理系は研究室があり、図書館で勉強をする人は少く、大半が私一人だった。もともと退屈していたので雑誌の棚から「科学朝日」「自然」「NATIONAL GEOGRAPHIC」「英科学誌ネイチャー」等を読み漁った。というより、頁をめくって好きなところを読むだけなので疲れることはなかった。バックナンバーも揃えているので、連載物は集中して読むことができた。物理とか化学というものには全く目が行かず、興味の中心はやはり生物であり土地だった。不思議なことに法律のことはあまり残らなかったが、科学本の内容は今も覚えており、農林水産省での仕事にかなりヒントを与えてくれた。

<衝撃のプレートテクトニクス理論>
 IMSの授業で衝撃的だったのものの一つが、「大陸移動説」「プレートテクトニクス理論」である。
 地球の表面はプレートと呼ばれる10種類近くの硬い岩板によって覆われており、地球内部が冷却するために発生したマントルの対流運動によって動き、その動きにより圧縮・膨張などにより、地震が発生するというものである。そしてこの理論は世界地図を見てパズル好きでなくても誰でも気付く、南米大陸のでっぱりとアフリカ大陸の凹みが同じ形であることに興味を持った、科学者ヴェーゲナーの推論から始まっていた。
 つまり、かつては同じ大陸だったものがだんだん離れていったというものである。二つの大陸の岩石層が同じであったり、化石により太古の植物も同じだったという事象が一つ一つ確認されていった。私が学んでいた1976~78年の頃は、一般的には顧みられなかったヴェーゲナーの説が見直され、それを違った形で発展させたプレートテクトニクス理論が形成されつつあった。

<地震はプレートのぶつかり合いで生じる>
 その後、プレートテクトニクス理論は通説となった。
 2011年3月11日14時34分に発生した東北地方太平洋沖地震(以下、「東日本大震災」という)は太平洋プレートが陸のプレートの下に沈み込む時に発生した活断層型地震で、規模は2005年の阪神淡路大震災の1,400倍以上、世界観測史上4番目の規模(震度7、マグニチュード9.0)となった。このことは繰り返し報道されたので、大方の人が承知するところとなった。
 今後予想される南海トラフ地震も同じメカニズムで発生する。また、これとは少々違った形だが、インド洋の南のプレートがユーラシア大陸にぶつかり大陸を押し上げてヒマラヤ山脈ができあがっている。

<100年に一度の善光寺地震>
そして本論の立ヶ花狭窄部である。世界のどの大河も盆地であれ平野であれ谷であれ、それらの真ん中を流れている。誰もが盆地の中心を流れる千曲川が、立ヶ花で突然隅っこ流れるようになるのが不思議に思えるはずである。
 1847年5月8日に善光寺地震(善光寺震度5、マグニチュード7.4)が発生した。飯山市常郷付近から筑北村にかけた長さ74kmの長野盆地西縁断層帯(信濃川断層帯)で、北西側が南東側に対して2~3m隆起する逆断層帯地震により、8,600人強の死者、2万1,000軒が全壊、3,400軒が焼失したという。また、北海道厚真町と同じく、山崩れが松代藩内だけでも4万2,000箇所発生した。更に各地斜面の崩壊により、河道閉塞が生じ巨大な堰止め湖ができ、多くの集落が水没し、その後の決壊により下流で浸水被害も多く発生した。
 プレート同士のエネルギーの偏り具合から、地震は約1000年に一度発生すると見られている。そして立ヶ花狭窄部は、かなり昔の善光寺地震で同じような巨大な堰止め湖ができ、それが一気に流れた折に偶然旧豊田村と中野市のあいだのいわば渓谷のような狭いところに流れ込み、それがずっと続いている、と教わったこともある。そして私もプレートテクトニクス論を学ぶまではそう信じていた。

<松代群発地震の大元はプレートのおしくらまんじゅう?>
 以下はプレートテクトニクス理論に基づく私の素人的推論である。
 太平洋プレートが1年に6~8cmずつ北西移動しており、その上に位置するハワイは少しずつ日本に近づいている。すると約8000万年後、日本列島とくっついてしまうことになる。8000万年は300万年の歴史しかない人類の時間軸からみると、長くて想像がつかないが、46億年という地球の歴史からすれば、ごく短い期間かもしれない。
 となると、日本列島の形成や、長野の山々の形成もプレートが深く加わっていることになる。日本列島では、4つのプレート(太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレート)がぶつかり合っており、それが故に世界の地震の相当の割合(約10%)が発生している。反対にヨーロッパは岩大陸の上にあり、地震は殆どないに等しい。アメリカは環太平洋火山帯(The Ring of Fireと呼ばれる)の西海岸はもともと地震が多い。更に断層の動きも激しく、カリフォルニア半島は今も大きくずれており、いつか大陸から離れるという。
 わたしの高校時代、東京オリンピック(1964年)の翌年から5年間も続いた松代群発地震で木造の校舎がしょっちゅう揺れていた。日本の屋根・長野県は4つのプレートがひしめき合う場所である。松代地震の原因に関する専門の論文も何も知らないが、私はプレート同士のおしくらまんじゅうにより引き起こされていたのではないかと考えている。これが近年では2004年中越地震、2007年中越沖地震、2011年長野県北部地震、2014年神城断層地震と震度6クラスの強い地震につながっているのではないか。

<太平洋プレートに押しまくられてできた長丘丘陵が千曲川本流を西端に追いやる>
 上記の信濃川断層帯は、私の生まれ故郷田麦の長丘丘陵沿っている。つまり長丘丘陵は断層の造り出した丘でもある。このことから、かつては長野盆地の真ん中を流れていた千曲川が太平洋プレートに徐々に押され、いつの間にか10kmの渓谷に封じ込められたのではないか。8000万年でハワイが日本にくっつくというなら1千万年の間に千曲川の流れが変わることなどすぐ起こることである。松代群発地震も立ヶ花狭窄部も1970年代に定着したプレートテクトニクス理論で説明がつくのではないのかという素人推論である。いつか専門家に検証してもらいたいと思っている。

投稿者: しのはら孝

日時: 2019年12月21日 19:49