2022.03.01

外交安保

冬のウクライナを凍てつかせるロシアの侵攻は許されない- いつも紛争に巻き込まれる東欧の中継地の不運- 22.03.01

<第二次東西冷戦の予感>
 プーチン大統領の危険な賭け、私には殊のほか胸が痛む。2014年のクリミア侵攻の際「頑張れウクライナ -紛争の種は早く摘むべし-」(しのはら孝ブログ2014.3.28)で、ロシアのウクライナに対する領土的野心を懸念してブログをまとめている。その結論のサブタイトルが「第二次東西冷戦か?」である。どうして私の懸念したことがそのままになってしまうのか。悲しい限りである

<キエフはロシアの京都・奈良>
 ウクライナはキルギス等中央アジアの旧ソ連邦国とは異なり、ベラルーシとともにスラブ東方系3国は別格の同志だという。ロシアの元は中世に存在したキエフ大公国であり、キエフはロシア人にとって、日本人の奈良・京都(姉妹都市)のようなもので、それがNATO(北大西洋条約機構)に加盟するなど考えられない、という気持ちがあるという。きれい事を並べているが、日本の7倍の面積の黒土を手にし、世界有数の小麦輸出国たらんとする領土的野心もあるのかもしれない。

<同じスラブ系でも明るく感じられたウクライナ>
 私は1985年末、大地が真っ白な雪で覆われたキエフを訪れた。まだ鉄のカーテン時代のことである。16日間の土壌学者としてのソ連出張で5日間ぐらい滞在したと記憶している。1978年に2年間のアメリカ留学から戻って初の海外出張で、モスクワとサンクトペテルブルグと三都市を周ったが、キエフが最も印象に残った。その理由は、厳しい寒さのモスクワと違い、気候が暖かいばかりか街の雰囲気もずっと開放的であり、接する人たちも明るかったからだ。更に店が何を売っているのかわからないほど品不足のモスクワと異なり、店頭にちゃんと物が並び豊かだった。出された料理も格段に美味しかった。皆がロシア料理の典型と勘違いしているボルシチは、外ならぬウクライナ料理である。

<ソ連は一国ではなく、まぎれもない連邦だった>
 私は「合州国」と「連邦」は大した違いがなく、てっきりアメリカ同様に「ソ連」という一つの国だと思っていたが、「ウクライナ共和国」として国連に加盟する別の国だったのだ。経済事情も異なりウクライナの豊富な農産物がロシアのモスクワには届いていなかった。つまり、両国間では貿易(と言うより流通)もスムーズに行われていなかった。
 今回の爆撃対象になったであろうキエフ空港の壁にも、名称が2つの似たような文字で大きく書いてあった。キエフ大学のきれいな紹介本も、同じキリル文字だが必ずロシア語とウクライナ語で書かれていた。私は「土壌関係以外の会話をしてはならない」と通訳からきつく止められていたが、こっそりとどっちの言葉がいいのか聞いたところ、ウインクしつつすぐさま「ウクライナ語」と返ってきた。私はこの時、ウクライナはいずれ独立した国になると確信した。
 科学者の一行だというのに、キエフ大学の科学者は我々をナチスが侵略した時にいかに勇敢に戦ったかを示す大きなジオラマに案内してくれた。今、その時以来の侵略に苦しんでいると思うと暗い気持ちになる。しかし、勇猛果敢なコサックの子孫たちは、おいそれとロシア軍に白旗は上げないであろう。

<クリミア半島編入後、着々と進めたウクライナ侵攻>
 1986年のチェルノブイリ原発事故で国力が削がれたのか、1991年ソ連は突然崩壊し、ウクライナは他のソビエト連邦の国々とともに独立した。ところが、ロシアは2014年軍事的な要塞でもあるクリミア半島を併合(強制編入)した。15%ほどいたタタール人を強制移住させ、ロシア人を住まわせ、着々と駒を進めていることが窺えた。プーチンの野望は旧ソ連の復興と言うが、その第一歩がウクライナなのだ。
 つまり、ウクライナはアメリカにとってのキューバどころの話ではない。キューバは地理的にはアメリカの目と鼻の先で同じだとはいえ、言葉も人種も違ううえに歴史的なつながりも少ない。ロシア側から見れば、ウクライナがロシアにとって別格なことぐらいわかってくれというのだろう。

<戦争を始める口実は捏造が常>
 しかし、ロシア系住民のジェノサイト(集団虐殺)が起きている、といった難癖をつけての軍事的侵略は受け入れられない。多分アメリカのイラク侵攻の大量破壊兵器と同等の、今風に言えばフェイクの可能性が大だからだ。米露とも戦争を始める大義名分をでっち上げていることに違いはない。戦争とはいつもそういうものである。
 1997年ロシアは、NATOの東方拡大を止めてくれと西側諸国に注文を付けた。そして2014年クーデターで親露政権が西側寄りの政権に代わり、ウクライナがNATOに加盟をと言い出した時から、今回の侵略の計画を練っていたのだろう。この無謀な企みに対して当然西側諸国はいまだかつてない経済制裁で応じようとしているが、核戦争も辞さないとするロシアのプーチンに対して、アメリカは軍隊を派遣することはできまい。こうしたことを見越した計算づくのウクライナ侵攻である。

<原発事故と戦乱で2度避難を強いられる悲運>
 私は、偶然だが国会議員になってからも2回、合計3回キエフに行っている。2005年に2期生議員の時の外務委員会視察と2011年福島第一原発事故後のチェルノブイリ原発視察である。考えてみたら、留学の地(ワシントン州シアトル、カンザス州マンハッタン)と勤務地パリを除けば、外国の地で滞在日数が1番多いのはキエフかもしれない。その愛おしいキエフがロシア軍の攻撃の的になっている。
 11年に通訳としてお世話になった日本留学帰りのオリガは、小学生の時にチェルノブイリ原発事故でキエフからクリミア半島の保養地に学童疎開させられている。言ってみれば「原発避難」だった(この件は拙著『原発廃止で世代責任を果たす』に詳述している)。その時は一番気に入っていた服をみな脱がされ捨てられたと嘆いていたが、今度はロシアの侵攻から逃れる「空爆避難」である。家も何もかも滅茶苦茶にされてしまう可能性がある。短い人生で2度も遠くに追いやられる悲劇に遭っている。胸が痛むばかりである。
 東西の要路にあり、いつも戦乱に巻き込まれてきたウクライナの哀れな境遇と比べて、島国日本がいかに恵まれているか感謝せずにはいられない。

<台湾海峡への飛び火もあるかもしれず>
 日本も安閑としてはいられない。中露外相会談も行われており、冬季北京オリンピックの時も、ロシアは中国の人権問題などどこ吹く風で、蜜月関係を保っていた。ウクライナと似たような位置づけにあるのが台湾である。そして、香港返還がクリミア編入に例えられる。前述のキューバやウクライナと同様になんと恐ろしいアナロジー(類似性)なのだろうか。
 それでも香港は1984年の英中共同声明により、1997年合法的に平和裡のうちに中国に返還された。ただ、昨今の弾圧にみられるように一国二制度の約束は完全に反故にされている。一方台湾は、中国の心の故郷でも何でもない。事情は大きく異なり、同じこじつけは通用しない。
 中国がウクライナ情勢に乗じて台湾にちょっかいを出し、台湾海峡が突然有事になるかもしれないのだ。恐ろしいことは、ロシアが許されるなら中国も許されて当然という開き直りである。香港への手荒な仕業もウイグル弾圧も国際的非難の的だが、北京冬季オリンピックでは国威発揚に成功し、軍事的脅威はますます高まるばかりである。

<まさかに備えると同時に地道な外交努力が不可欠>
 さて、我が日本はどう対応するのか。敵基地攻撃能力といった憲法違反の抽象的議論や憲法改正といった迂遠な議論をしている場合ではない。ロシアに対して真剣な経済制裁をすることはもちろんだが、明日は我が身と中国に無謀なことをさせないように外交努力を重ねていかなければならない。
 プーチンの歪んだ世界観や強引なこじつけに対して、世界が一丸となって向き合っていかなければならない。今、世界は見えない敵・新型コロナウイルスと全面戦争中だが、そこに在来型の戦争が勃発した。両方の戦争を一刻も早く鎮静化しないとならない。

投稿者: 管理者

日時: 2022年3月 1日 09:32