2022.04.09

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平均的日本人の好み - 昔「巨人、大鵬、玉子焼き」、今「朝ドラ(2022年はカムカム)」か - 22.04.09(4.14修正)

(コロナ、ウクライナと気が滅入る昨今、息抜きのメルマガ、ブログです。読み飛ばしてください。)

<日本のプロ野球の平均像は長嶋ファンのアンチ巨人>
 日本人論が盛んだった60~70年代、私は数冊読んでみたが一体平均的日本人とはどういう人なのかがよくわからなかった。そうした中、高度経済成長時代の平均的日本人の好みは「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われた。私は、「アンチ巨人、柏戸、野沢菜漬」だったので、平均的日本人からは程遠いと思っていた。

 私は、何ごとにつけ明るい長嶋のファンで、長嶋がホームランを打ち、ファインプレーをし、ヒーローインタビューでちょっとズレた大げさな表現をするのがたまらなかった。一方金に飽かせて力のある選手を集め、V9を達成した巨人には反感を抱き、負けると胸がスッとした。だから、私は日本人特有の判官贔屓がきつく歪んだプロ野球ファンだと思っていた。ところが、コンピューターが出始めた頃、プロ野球ファンの平均像は、アンチ巨人で長嶋ファンだと打ち出したことに膝を打った。

<寅さんの第1作目に涙する>
 大学1年の春休み、私は京都の老舗旅館に1カ月住み込みのアルバイトで布団の上げ下げ、料理運びをした。その際に暇な昼間中、仲居さんたちと映画館の梯子をして歩いた。その中で、偶然出会ったのがフーテンの寅さんの第1作目だった。私は寅さんを取り巻く人たちの温かさと浮世離れした寅さんの人の好い生き方に心を打たれた。
 それから数年、すっかり忘れていた頃、大ヒット作として年2回作られるシリーズ物として定着しつつあることを知った。私の好みは大半の日本人の好みと一致したのである。

<No.3の毎日新聞を半世紀にわたり購読>
 いつの頃からかわからない。私はあまり強いものは好きになれず、弱い者の味方をしていることに気付いた。
 大学生になり、自分で新聞をとるようになった時、何の躊躇もなく毎日新聞を選んだ。朝日や読売といった巨大新聞は好かなかったからだ。それ以降半世紀ずっと毎日新聞を通して読んでいるが、権威のない父であるにもかかわらず、家族から文句を言われたことは一度もない。
 パリのOECD代表部に勤務した3年間(1991/7~1994/8)日本の新聞は大使館でしか見られなかったが、その時も真っ先に毎日新聞に手を伸ばし、隅から隅まで貪るように読んだ。その時に、日本の忙しい時には読む時間のなかった新聞小説にもふと目が行き、地元長野の北信地方の方言と同じ言い回しに魅かれ、宮尾登美子の「蔵」(新潟が舞台)を楽しみに読むようになった。
 迷惑だっただろうが、途中から妻に毎日筋を話してあげるようになるまでのめり込んだ。

<宮尾登美子の「蔵」で平均的中年男性だと確信>
 私は、パリに3年間いたので(平均的日本人の)評価を知る由もなかったが、絶対に日本人の心に響く作品であり、映画化、テレビ化、舞台化されることは間違いないと踏んでいた。佳境に入ったころ、作者宮尾登美子の言が載った。「私の読者は今まで女性が大半だったが、今回は中年男性からも多くの手紙をいただいた」というのだ。実は私は平均的中年男性だったようで、後の小泉純一郎首相もその一人だったと聞いた。
 新潟の造り酒屋に生まれ、盲目になりながら力強く生きていく少女「烈」が主人公だが、私は必至で「家」を守ろうとする父意蔵に魅かれた。
 NHKでドラマ化された「蔵」は秀逸で、主人公の伯母佐穂を演じた檀ふみが抑制のきいた平均的日本女性を演じ美しかった。渋い演技の意蔵役の鹿賀丈史の代表的作品となったと思う。

<今、平均的高齢者として昭和、平成、令和の三代記に涙する>
 平均的日本人の私は、いつしか朝ドラを見るのが当然のようになった。そして、国会議員になってからもずっと見続けてきた。その延長線で、3代の女性の生き方を追った「カムカムエブリバディ」を楽しく見てきた。多分「あまちゃん」ほどの人気ではなかったと思うが、我々団塊の世代にはウンウンと頷きながら見られたドラマだった。我々の親世代(大正生まれ)から現代までの100年の物語であり、特に後半は涙なしには見られなかった。真ん中の「るい」が我々と同世代に当たり、その自然な生き方に共感した。

<私がカムカムに見入った理由>
 私にとっていつになく面白かった理由を述べておく。

①「おしん」は女の一代記だったが、三世代になっており、ハラハラドキドキが続いた。
②名前に安子(和菓子屋のあんこ)、るい(ルイ・アームストロングのルイ)、桃太郎(岡山の童話)とひなた(サニーサイドからとる)と誰にもわかる由来が傑作である。平川唯一からとったアニー・ヒラカワは、タイトルにこだわってのことだろう。
③朝ドラに珍しく、安子の夫の戦死、父や祖父母の空爆死、さんた伯父の病院を抜け出しての死と、主人公の周りの死を多く入れ、涙を誘っている。
④時代を示すのに巧妙に歴代の朝ドラを入れ、流れる歌もまた合わせており、聴衆に自分もあの時に見ていたと懐かしい一体感を持たせてくれる。
⑤安子と稔、るいとジョー、ひなたと若き五十嵐等と数多くの恋愛関係を散りばめ、ハラハラドキドキ感を抱かせつつ、ほのぼのとした幸せ感も漂う。最終盤にカップルが何組誕生したのか不明なぐらいだ。
⑥あずきが岡山の和菓子屋橘から、京都の回転焼きにつながり、それが安子(ひなたの祖母であるアニー・ヒラカワ)の口に入るといった劇的展開を生む。ラジオ講座カムカムの他にも一つのつながりがみえて面白い。
⑦再会シーン、涙なしには見られなかったが、るいが I hate you. から I love you. に変わるのも当然予想できた。その意味では寅さんのいつもの失恋と同じく、予想される展開が安らぎをもたらしてくれた。
(まだたくさんあるが、この辺でやめておく)

<脚本家のサービス精神に敬意と脱帽>
 ドラマの制作者、特に脚本家は見る人を楽しませるためにストーリーを書くだろうが、カムカムは随所にユーモアが溢れ、それが徹底していることが嬉しかった。そういえば藤本有紀は落語好きで、朝ドラの前作は女性落語家を扱った『ちりとてちん』だった。しかも、多分照準は、昭和・平成・令和を生き続け、今老境にある我々団塊の世代に当てられていたと思う。だから、私はいつになく熱心にドラマの展開を追った。
 団塊の世代は何しろ800万人もいるので、いつも流行を作ってきた。歌で言えばフォークソングの全盛期であり、森山良子の「この広い野原いっぱい」を聞くと誰もが淡い青春時代を思い出すはずである。そして森山自身1948年(昭和23年)生まれの団塊の世代である。それを安子の老後の主人公に選んでくれている。品が良く年老いた団塊の世代を代表している森山良子を選んだことに配役の妙を感じた。

<昭和を駆け抜けた団塊世代への大サービス満載>
 森山に加え、我々の世代にアイドルの一人だった多岐川裕美も出演している。更に、団塊の世代は深夜放送も含め、ラジオを聞くのが当然の時代に生き、浜村淳の声をいつも聴いていた。その浜村もアニー・ヒラカワへのインタビューで登場させている。まさに団塊の世代に向けたサービス満載の構成である。

 2019年100作目ということで鳴り物入りで「なつぞら」が製作されたが、はっきり言って心に残るものはほとんどなかった。それに対し、カムカムは昭和を駆け抜けた平均的「昭和の日本人」、すなわち団塊の世代に昔を懐かしむ機会を提供してくれた。
 多分若い世代にも、冒頭に触れたコロナ・ウクライナで何となく心が重い時ににこにこ笑え、思い切り涙を流すドラマを制作してくれたことに感謝したい。

投稿者: しのはら孝

日時: 2022年4月 9日 16:04