2022.07.09

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芳野正英、細切れ街頭演説集 -市議・県議・県連・4人の代議士秘書と全てを経験した完成した候補者-22.07.09

 7月5日、私は朝早く東京を出て、数ヶ所の街宣の前座から夕方の南部度会町の個人演説会までどっぷり芳野候補の応援に行ってきた。3~5分の細切れ演説ばかりで、十分意を尽くせなかったので、このブログ・メルマガで足らない所を補って再現してみる。

<応援の理由-信念を持った押し掛け秘書->
長野の衆議院議員の私が、何故三重県の芳野候補の応援に来たのか皆さん疑問をお持ちと思います。彼は2003年11月、今や立憲民主党の代表となった泉健太の秘書として上京していました。そこで学生時代に読んで感銘を受けた本『農的小日本主義の勧め』の著者(私)が衆議院議員に同期当選していることを知り、私の部屋に秘書として使ってくれと押し掛けてきました。私の下で政策の勉強をしたいというのです。私は、泉さんがいいよ言うことが条件だと、一旦は追い返しました。案の定すぐには来れませんでしたが、泉事務所の立ち上げを済ませてから、私の事務所に来て2007年秋まで足掛け5年、粉骨砕身仕えてくれました。
 私も彼も全くの新人だったので試行錯誤しながら週に3回質問といったハードな仕事をまさに二人三脚でやりくりしました。
その間に彼の関心分野だけでなく、国政に係わる諸々の政策の勉強には事欠かなかったことでしょう。彼の政策の勉強という目的は十分に達成されたと思います。
その彼が参議院に立候補となれば、私の地元長野県でも杉尾秀哉候補が苦戦していますが、私は応援しないわけにはまいりません。

<三重県にふさわしく、SDGsの時代にピッタリの芳野候補>
 芳野候補にはたくさんの「ウリ」があります。まず健気なことに、生まれ育った三重を元気にする政治をしたいと、国政よりも地方政治を目指していましたが、前回岡田克也さんに懇請され、参院選に出馬、惜敗し2度目の挑戦です。外交安保、財政金融といった分野もさることながら、私の専門の農業分野と、こだわりの環境分野にかなり関心を持っています。そういう点ではまさに三重県にふさわしく、またSDGsの時代ピッタリの政治家になります。
 つまり、簡単にいうと私と共通の価値観を持っているのです。もし議席を与えていただいたあかつきには私の強力な助っ人となり、すぐに国政で活躍できます。

<ものごとをまとめることができる貴重な人材>
 他人のことはあまり言えませんが、我が党にはあまり政治に係ることを経験せずにポッと突然国会議員になってしまった人が多くいます。そういう国会議員は大体は口先が上手く、立派な演説はできますが、どうも交渉などの駆け引きが下手で、物事をまとめることも苦手です。残念ながら自民党に比べて地方自治体議員経験者が少ないのがまとまりに欠ける要因の一つです。
 その点、芳野候補は四日市市議・三重県議を経験しています。顔も体も丸いですが、性格はもっと丸く、同僚議員にも好かれてきたはずです。だから県議の代表という形で参議院候補にもなっています。まさにわが党の足りない部分を補う人材です。

<4人の国会議員に仕え、聞く力からもの備わる>
 私は新人議員だったので優しかったと思いますが、党代表、副総理までやられた岡田さんはさぞかし厳しかったと思います。その政策秘書を務め上げています。中川正春さんの下で教育・憲法を、岡田さんの下で外交安全保障の政策の勉強もできたと思います。4人ものそれなりに立派な国政政治家の秘書をやり遂げてきてるのだから大した者です。岡田さんも私も役所の出身です。昔は今でいうパワハラ上司がたくさんいましたが、一応仕えてきました。しかし、代議士のほうがずっとワガママです。
 ワガママ代議士に仕えた芳野候補の経験は、議員になったら有権者の声を聞くことにつながります。 岸田総理は「聞く力」とか言ってますが、ただ聞くだけで実行に移したものがないんじゃないでしょうか。そういう点、秘書はそういうわけにはまいりません。議員の言う通りに結果を出さないとなりません。自然に聞いて実行する癖がついてきます。上から目線の人が多い中、芳野候補は国民の目線、有権者の目線を持った人です。

<地産地消・旬産旬消の国会議員>
 最近、細田衆議院議長の「10増10減」批判発言が問題になっています。しかし、私は心情的には理解しています。地方の声が段々通りにくくなることを憂いている一人だからです。ただでさえ、土の臭いのする土着の政治家が少なくなっているのに、地方に人材が不足しているからといって落下傘候補が増えています。私はその地で生まれ育った人が1番議員にふさわしいと思います。
 私は、食と農の世界で、「地の物を食べる」「旬の物を食べる」を四字熟語にし、地産地消・旬産旬消という造語をし(1987年)、今や再生可能エネルギーの分野等いたるところで使われています。
このことは政治家にも完全に当てはまると思います。相手の候補は、ご先祖様が三重県人というだけで、本人はどこかで生まれどこかで育った方、三重県生まれ三重県育ちの芳野候補こそ正真正銘、三重県選出の参議院議員にふさわしいのではないでしょうか。
実は、私も19年前の衆院選の時に幹事長で長野入りした岡田さんにこの四字熟語を使ってほしいと頼んだのに、さっぱり言うことを聞いてくれませんでした。だけど、私は地元でこのことを連呼して当選し、以来7回連続当選させてもらっています。
その時、私は55歳、初出馬には旬を過ぎていたかもしれません。それに対して、芳野候補は47歳、まさに男盛り、旬の男です。

<芳野候補の隠された貢献に報いるべき>
 少々昔の話になりますが、今のように支持率が低くはなく、そこそこ上り調子だった2004年の参院選。岡田さんが、年金未納三兄弟が問題となり辞任した菅さんの後の代表でした。その時に、菅代表の強い要請により私が練り上げたのが「農業再生プラン」でした。私の誰もが悩む悪字をワープロ打ちし、表を作り文字通り手助けしてくれたのが芳野秘書でした。それを農政ビラとして300万枚を1人区中心に配布したところ、27の1人区で思いがけず13も勝ち(自民14)、全体で50対49と初めて自民党を上回ったのです。
つなぎの代表にすぎないといわれていた岡田代表が盤石の党内基盤を作るキッカケになったと思います。
 その後07年の参院選の時には小沢代表が我々の作った政策に飛びつき、「農業者戸別所得補償」と名付けられ、再び1人区を中心に徹底的にPRしました。その結果なんと1人区で23勝6敗と大勝し、全体でも60対37で民主党が23議席も上回り、参院で野党・民主党が上回るいわゆるねじれ国会になりました。何と民主党は32議席増やし、自民党は27議席減らしました。消えた年金も争点でしたが、都市部の2人区以上で増えた議席は4議席だけでした。つまり、「農業者戸別所得補償」で勝ち、自民党は大敗し、安倍総理は退陣しました。そして、2009年の政権交代につなげたのです。言うなれば、民主党の政権交代の下支えは芳野秘書と私がしたのです。
 
<芳野候補に国会での活躍の場を!>
 京都府連に2年先に入った泉さんは、今や立憲民主党の代表。それを横浜国立大(経)と京大(法)の二つの大学を卒業したため2年遅れた芳野候補は、私の秘書から始まり、政治家の階段を一歩一歩上っています。資質は二人の間に差がありません。
 私の願いは、いまひと度、国会で芳野候補とのコンビで仕事をさせていただきたいということです。そうすれば、第二の目玉政策を作り、再び我が党を上昇気流に乗せることができます。

投稿者: しのはら孝

日時: 2022年7月 9日 15:09