2022.07.18

外交安保

【ウクライナシリーズ②】 ウクライナの混乱はロシアだけが悪いのではない - ロシアの侵攻は正当化されないがアメリカ・NATOの東方拡大こそ遠因 -22.07.18

参院選挙そして最終盤7月8日の安倍元首相の逝去と目まぐるしく動いたが、私はずっとウクライナ情勢が気になっていた。拙い見方かもしれないが、戦争を引き起こさないために何が必要か必死で考えたことを2回から7回に分けて報告したい。

<ソルジェニーツィンも主張したスラブ3ヶ国統合>
ロシアはずっと「ウクライナは他の東欧諸国とは違う」、と言い続けてきた。しかし、度重なる(プーチンから見た)裏切りに堪忍袋の緒が切れ、ロシアは着々とウクライナ侵攻の準備を始めていた。プーチンだけでなく、スラブ民族には、ロシア・ベラルーシ・ウクライナの東スラブ諸国を一体と考える「ルースキー・ミール」というイデオロギーがある。13~14世紀のキエフ大公国をルーツとする、同じ民族の国家だからだ。
1970年にノーベル文学賞を受賞したソ連の反体制作家ソルジェニーツィンも、ロシア正教を基盤にした3ヶ国連合を提唱していた。ただ、ロシアは言語について象徴的だが、どうも上から目線でウクライナを従わせようとしており、これが民族間の対立感情につながっている。

<アメリカのアフガンの撤退もウクライナ侵攻の遠因>
1981年ソ連の突然のアフガン侵攻に対してアメリカが中心となり、モスクワ五輪をボイコットし、2001年には米軍を投入し、ずっと駐在していた。どこの国のトップもそうだが、アメリカ大統領といえども自国の兵士が亡くなることに対する国民の批判はなかなか抑えることができない。バイデンはタカ派のごうごうたる非難の中、2021年8月15日カブールの陥落により、米軍の20年に及ぶアフガニスタン駐留からの完全撤退を完了した。しかし、非人道的な撤退には、今まで協力してきたNATO諸国をはじめ世界は失望した。そして、これもアメリカはウクライナへの直接的軍事介入をしないというプーチンへのメッセージになり、半年後にウクライナ侵攻が始まった。

<プーチンを刺激し続けたバイデンのアメリカ>
1999年ポーランド、チェコ、ハンガリー(第一次拡大)、2004年にバルト3国、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアの7カ国がNATOに加盟した。プーチンは2001年9.11の時のブッシュ政権のアフガニスタン攻撃に協力するなど、一時は米ロ密月状態が続いたことから、これら一連のNATO拡大は容認した。東欧諸国が次々とNATOになびく中、ロシアにとってウクライナは最後の砦となった。
ウクライナ国内では、一部の政治家や経済的支配層の間にEUやNATO加盟について確執が生まれていたことは確かだが、国民が親露か親EUかに二分化したということはない。むしろ大半はNATO加盟などには反対で中立志向だった。そうした中2009年、当時のバイデン副大統領が、ウクライナで「NATOに加盟するなら、アメリカは強く支持する」と演説し、これにプーチンが強く反発した。

<ロシアが最も警戒していたNATOの東方拡大>
2008年ブカレスト首脳会議で、ブッシュ政権がグルシア(ジョージア)とウクライナをNATO加盟国に推薦した。これに神経を尖らせたプーチンがウクライナのNATO入りに警戒心を抱き怒りを表明した。ところが、西側諸国は本気にせず相手にしなかった。ロシアの西側への疑心暗鬼は今に始まったことではないが、この時に拍車がかかったといえる。この4カ月後、ロシアはグルシアに侵攻し、すぐ怒りを実行に移している。
09年1月に就任したオバマ大統領は、米ロ関係の改善政策を打ち出した。つまり、アメリカも世界もロシアのグルシア侵攻を事実上認めたのである。オバマはアメリカは世界の警察官ではないと明言し、シリアの化学兵器使用等についても、批判はしてもやめさせるための手を打たなかった。昔ならモンロー主義、今ならアメリカ第一主義はアメリカの外交の中に常に頭をもち上げてくるが、その後トランプ、バイデンと続いてきた。プーチンは、自らの受忍限度を2008年に明示しており、アメリカのこうした隙を突いて14年後(2022年)に今度はウクライナでもそれを実行したにすぎない。
2008年のアメリカの高飛車な発言が今回の混乱の始まりであり、更にその後の我関せずと侵略を許容する姿勢がプーチンの暴走を許してしまった。

<アメリカが手を出したヤヌコーヴィチ政権の崩壊>
ウクライナの政権は、親ロと親EUのせめぎ合いが続いた。2013年11月 キーウの独立広場(マイダン)で、連合協定締結の撤回に抗議するデモが始まった。親ロ、ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連携を中止し、ロシア寄りになったことに反発し、2014年2月には政権が崩壊した。その後、ロシアはクリミアを併合した。また、東部のドンバス(ドネツク、ルハンスクの2州の地域)の親ロ勢力が反乱を起こし、それをロシアが支援し、2つの人民共和国の樹立を宣言した。
この時以来ウクライナは、EU統合とNATOへの接近へ完全に方向転換した。簡単に言えば、ヤヌコーヴィチ政権の崩壊こそ、今回のロシアのウクライナ侵攻の直接の引金といっても過言ではなく、アメリカはプーチンの怒りをかき立ててしまったのだ。プーチンは、一連のことでウクライナを「テロリスト」「ネオナチ」と攻撃し始めた。
 2022年3月にバイデンは、プーチンを「人殺しの独裁者」「戦争犯罪人」と呼び、ロシアが反発して駐米大使を召還している。まさに泥仕合の様相を呈してきており、事態は改善される兆しが見えてこない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2022年7月18日 21:44