8月22日 羽田雄一郎参議院議員の「お別れの会」(上田市)が開催され1500人も参列していただきました。その開会の辞を参考までに報告します。【 】は省略した部分です。
本日はお忙しいところ、また、コロナ感染者が増え続ける第7波の最中にもかかわらず、我が盟友羽田雄一郎元参議院議員のお別れの会にご出席いただきまして誠にありがとうございます。
まず、本会が開かれるまで雄一郎議員が亡くなられてから既に1年半が経ち、かなり遅れてしまったことをお詫び致します。これは偏に新型コロナ肺炎で亡くなった故人を偲ぶ会でクラスター感染などを発生させるわけにはいかないとの判断から、延び延びになったことをお察しいただきたく存じます。
雄一郎議員は男盛りの53歳、これからの政治家でした。
【雄一郎議員とずっと同じ党にいる人は、参議院で田名部匡代、徳永エリ、森本真治、古賀之士の4人、衆議院では原口一博、伴野豊、小山展弘、そして私の4人しかいません。いかに我が陣営が混迷を極めていたかを象徴しております。】
(注)民主党が政権を握っていた2012年6月、税と社会保障の一体改革の過程で、消費増税の賛否で対立し、一部が離党し生活の党ができた。
2017年10月、民進党(2014年に維新と統合して名称を改めていた)が、小池百合子の希望 の党と統合し、衆議院の大半が移ったが、排除された者が立憲民主党を作り、残った参議院中心の民進党と3党が鼎立する形となった。
2018年5月、希望の党と民進党が統合して国民民主党ができ2党となった。
2020年10月、旧国民民主党と旧立憲民主党が新立憲民主党として一つになったが、旧国民民主党の一部が新国民民主党を作り、今の状態となった。
雄一郎議員は、微動だにせず、民主、民進、国民、立憲と常にど真ん中にいたが、私も無所属出馬したが、党籍は民進のままで全く別の党に行ったことがない。衆議院では原口以下3人も全く同じ軌跡を辿る。参議院には、落選者も多く、たった4人しかいない。
恥ずかしながら、それだけ野党は、分裂を繰り返してきたということである。
亡くなる約1年前、19年12月13日、私は井出庸生さんから早朝に電話をもらいました。自民党入党を報ずる信毎の1面をみて下さい、すみませんというお詫びの電話でした。私は怒ろうと思いましたが、すぐ違う考えが頭をよぎりました。
(注)2010年、小沢一郎幹事長は、12の2人区に全て2人
擁立した。自・民の対決であり、1人は 当選すること
が確実であり、比例票を上積みできるからである。と
ころが、長野県は北沢俊美(現職の)防衛相と私が全
面的に支援してきた若手女性県議・高島陽子の競争と
なった。
高島に票が大量に流れることが予想されたことから、
私は密かにみんなの党の旧知の浅尾慶一郎、山内康
一、川田龍平に「若い女性を擁立して欲しい」と頼み
込んだ。それに対し、「若い男でもいいですか」と応
じて擁立してくれたのが井出庸生だった。かくして、
若者票が高島と井出に二分され、北沢29万票、高島22
万票、井出18万票と北沢防衛相は辛うじて4選すること
ができた。
だから、私は井出には大恩がある。その後、同じ党
になりリベラルな考えも共通部分があり、同志として
仲良く付き合っていた。
山口県ではいざこざが起きていましたが、ここ信州では羽田孜元総理が雄一郎議員に衆議院へ鞍替えする扉を開いてくれた、と前向きに捉えようと思いました。それ以来、私はずっと衆議院議員になり党首になるべきだとささやき続けました。
(注)もう決着がついているが、山口県では林芳正参
議院議員が将来の総理・総裁を目指して、公認されな
くとも河村健夫衆議院議員の選挙区に立候補せんと
し、それを阻止すべく二階派が大挙して山口に押しか
けていた。しかし、河村は引退に追い込まれ、林が出
馬当選し外相に就任している。政治の世界は残酷であ
る。
今、我が党の支持率は、政権交代には程遠い10%以下に低迷しています。
リベラル色を強くすれば15%くらいになるかもしれませんがそれでは無理でしょう。予算に賛成したりして自民党にすり寄る党など国民はすぐ見限るでしょう。更に提案型野党などと腰がフラフラし、何をしでかすかわからない危うい党でも支持は拡がりません。
そうした中、国民が待ち望む野党は、デンと構えてさわやかに政府を追求しさっそうと政権交代できる党です。私はギラギラした野心もなく誰からも好かれる雄一郎議員こそ混迷を極める野党の救世主になりえる人だと確信しておりました。リベラル保守も一般国民も安心して支持できる政治家だからです。
(注)そして数、割合は前者が圧倒的に多い。例えば、
昨年の立憲民主党の党首選に出馬した4人は、当選6~
8回。全員20代、30代で衆議院議員になっており、ギ
ラギラ野心組になる。更に言えば、私は羽田孜総理に
さんざん勧められて55才でこの世界に入ったが、泉健
太、小川淳也、西村智奈美は55歳未満。
雄一郎議員のような3世議員は、積極的に跡を継ぐ
者は前者、父母の後援会に押され仕方なく出馬するの
は後者に当たる。私が17年間付き合った限りでは、
抑制のきいた人であり、嫌らしい野心は全く感じられ
なかった。
亡くなった20年12月、10か月後に衆議院が任期切れというのに3区の候補が決まっていませんでした。私は、「近づいたら『責任を取って私が出馬する』と言って出ればいい」という悪知恵もささやいていました。ここにもう1人小熊慎司さんも私と同じことを口にするに及び、半分ぐらいその気になりかけていたと思います。その矢先の急逝でした。残念でなりません。
雄一郎議員の意志は、弟の羽田次郎参議院議員と従弟の神津たけし衆議院議員に受け継がれていることが幸いで期待しております。
お別れの会ではありますが、雄一郎議員の意を酌んで野党のあり方に思いを馳せていただくことをお願いして開会の辞と致します。
長くなりまして失礼致しました。