2022.09.30

農林水産

篠原の同志カリスマ有機農家、金子美登(かねこよしのり)氏逝く 22.09.30

 金子美登氏が2022年9月24日74歳で突然この世を去られた。氏とは40年前から有機農業の現場と行政・政治と活躍の場所は別々だが、同じ目標に向けて手を取り合い、共に有機農業の推進・食の安全の確保に心血を注いできた。ずっと二人三脚で活動してきた友子夫人から弔辞のお話を頂き、28日(水)有機農業の実践の地小川町に赴いた。
 金子さんの軌跡は日本の有機農業の歴史そのものであり、いかに金子さんの存在が大きかったかを伝えたようとしたため、幾分弔辞としては長くなったがその内容を報告したい。

<団塊の世代の危機感>
 本日ここに金子美登さんのご霊前にお別れのご挨拶を申し上げなければなりません。人生をかけて伝え続けた有機農業に一縷の光の見え始めた今、この偉大なる先駆者を失い、我々が再び教えを乞うすべもありません。人生のはかなさを感ずるにあまりある悲しみです
 金子さんと私をつないだのは、妻の友子さんとともに生涯かけて取り組まれてきた有機農業です。はじめてお会いしたのは40年以上前になり、確か日本有機農業研究会のどこかの会合だと思います。1970~80年代は、有機農業といっても理解者は少なく、変人たちやっていることと白い眼でみられていました。私は当時農林水産省の一介の役人でしたが、金子さんと共通の師ともいうべき一楽照雄さんから強引に有機農業の世界に入り込まされました。
 ただその前に、2人とものどかな農村で農家の長男として生まれ農業を手伝いながら、凄まじい高度経済成長の中で変貌を続ける日本の姿に一末の不安を感じていた点で、共通の価値観を持ち合わせていたと思います。だから、自然に環境の保全にそして有機農業に魅かれていったのだと思います。日本の美しい自然が農薬や化学肥料で汚され、水が危うくなり食料も食品添加物で更に劣化し、アトピー性皮膚炎や発達障害の原因の一つとなっています。こうした流れを止めなければならないと決意されたのだと思います。私も同じ考えを持つに至りました。

<OECDの持続的農業での意見開陳>
 忘れられない思い出ばかりですが、私が1991年から3年間パリのOECD代表部に出向した折には、日本の持続的農業の実践者として金子さんにOECDの会議に日本代表の立場でおいでいただきました。緊張されていましたが、いざ始まると世界中の代表者を前にトツトツとした語り口で日本の持続的農業のあり方を発表していただきました。その折には、金子さんの発表の姿を是非見たいという熱心な方が、食物のことを学んでいる女子大生まで連れて同行してこられていました。金子さんの影響力の大きさを改めて感じた出来事です。残念ながらそのお二人は先立たれてしまいました。

<農業ばかりでなく行政も引っ張る>
有機農業界は世界が日本よりも一歩も二歩も先を行っていましたが、今から30年前やっと1992年農水省に有機農業対策室ができました。そしてその2年後に環境保全型農業推進会議が発足し、金子さんに委員になっていただいたのが、行政との最初の付き合いだったと思います。それからは、農林水産省の有機農業関係の検討というと、まず金子さんには入っていただくことになりました。不肖私も日本有機農業研究会霞が関出張所員という、立派な渾名をいただき、省内で金子さんのお手伝い、援軍を致しました。
金子さんには、過激になりかねない生産者や消費者の要望を丸く収め、現場の農業者や消費者と農水省の橋渡しをしていただき、農水省にとつては有難くも貴重な存在でした。そうした中で、自分以外のいろいろな人に関ってもらうべく、委員になってもらったほうがいいといった気配りもされる方でした。

<SDGsを予見し、エネルギーも自給を目指す>
金子さんは農業の現場で私は行政・政界と分かれていますが、金子さんとは理想とする農業・農村、目指すべき日本の姿は同じで、同志といっても過言ではありません。お互い、戦う場所は異なり孤独な戦いだったと思いますが、私の心の支えは、同志の金子さんが頑張っておられる、だから私もくじけてはならないというものでした
全国の有機農業に取り組んでいる人たちは、理想を重んじる人が多く、近隣の農家からは敬遠されていたと思います。しかし、金子さんは地域でも信頼を勝ち取っていきました。食べ物だけではなく、エネルギーも自給する循環型社会を目指すようになりました。つまり、生きることに必要なものは地産地消・旬産旬消するべきということもこの小さな一画で実現されんとしていたのです。まさに「先見の明」と言わざるをえません。
誰をも暖かく包み込む金子さん、そして友子さんのお人柄がそうさせるのでしょう。小川町議を五期務められました。

<小川町の産消提携が世界のCSAへ>
 生産者と消費者の連携、すなわち産地連携が始まり、小川町全体にも広まりました。その結果、2010年には、小川町モデルが評価され、農林水産祭(むらづくり部門)で天皇賞を受賞されています。先のOECD会議の時に金子さんの発言を聞いていた女性の担当課長がこれに飛びつき、今これがCSA(Community Supported Agriculture)地域支援型農業として世界にも広まっています。更に2014年には平成天皇が視察にもおいでになりました。また、金子さんの農場には国外からの弟子入りも多く、日本ばかりでなく世界にも教え子が広まっています。2015年には、国内外から研究生を受け入れて技術を継承したことを評価され、黄綬褒章を受章されました。

<農水省の突然の100万ha有機農地>
 金子さんをはじめとする皆さんの地道な努力の甲斐あって有機農業も徐々に市民権を得てきました。そして農林水産省は突然、有機農業を百万ヘクタールにするというみどりの食料システム戦略を発表しています。頑迷固陋、伝統墨守、巨艦大砲主義に凝り固まっていた農林水産省にも金子さんの地道な活動が、その理念とともに受け入れられたのです。いや国連が唱えるSDGs持続的社会実現のためにそうせざるを得なくなったのです。

<もっと指導者として活躍してほしかった>
 田んぼの水回り中に急逝されたとのことで、有機農業に最後まで人生をかけてこられた金子さんらしい最後なのかもしれませんが、あまりの突然の訃報に驚かされました。ご遺族の方々の悲しみは、いかばかりかとお察し申しあげます。
金子さんは日本の有機農業の象徴的存在であり、人生百年時代と言われる今、これからも指導者として活躍していただくこと願っておりました。しかしながらお別れせねばなりません。私はここに、金子さんの意志を受け継ぎ、我が国に有機農業を更に広め日本の食の安全確保と農業の発展に力を注ぐことを再びお誓いし弔辞といたします

2022年9月28日 小川町(埼玉県)花友会館にて

投稿者: 管理者

日時: 2022年9月30日 15:02